2006年6月30日金曜日

first authorとは、論文の著者の一番初めの人。つまり、論文に一番関わった人がここに名前を書く。

先日submitして、無事にacceptされたIROSの学会論文。とうぜん、first authorは私。今度はreviewerのコメントを参考にして、最終的にpublishされるものを来月提出しなくてはならない。

どのように書き換えるかとアドバイザーと話していたところ、信じられない一言。
「論文の結果をすべてLの結果に代えて提出しよう。」
Lは同じ研究室でおれの手伝いをしてくれているスタッフ。簡単に言うと、ぼくは人間の足を簡単にモデル化したあとその結果を論文に書いて提出し、モデルの最適化を彼に任せて、ぼくはシミュレーションに取り掛かり始めた。しかし、彼が続けてきた結果がよいために、今回の論文の結果を彼のものに代えようというのがアドバイザーの提案。
私の意見としては
-結果を代えるならば、first authorも彼に代えるべき
-もともと、ぼくの結果で通った論文なのだから、結果はそのままにすべきではないのか
と思う。もちろん、アドバイザーにも言ったけれど
-Kenの結果で通ったのだから、Kenが発表すべき
-当然first authorもKenでいい
という返答。他人の結果で発表なんかしたくない。代えるのだったら、論文から自分の名前も消してほしいくらい。
どうしたらいいんだろうか。。。

2006年6月21日水曜日

タイのヒューマノイドロボット

以前ここで紹介した、アドバイザーのきびしい意見とぼくの何気ない意見でミーティング中に困り果ててしまった三ヶ月限定ポスドクのタイ人N。結局Humanoid 2006には投稿することができなかったらしい。 本当にごめんなさい。。

そして今日、ラボのメンバーがつぎつぎと帰ってしまい、夜7時くらいに彼と2人きりになってしまった。これはチャンスと思い、がんばってコミュニケーションをとってみる。そして、彼が所属している研究室のURLをゲット。
それがここ
タイではじめてヒューマノイドロボットを作ったところらしい。それにしてもネットが重い。重いくせに動画のサイズが大きい。タイのネット事情はこんなものなのだろうか。がんばってダウンロードしてみたものは、でっかい2足歩行ロボットが静歩行しているところ。なんでもプロジェクトがはじまたのが3年前でハードウェアが2年前にできて、改良を重ねているけれど、まだまだ研究が進んでいないというのが現状らしい。これからが楽しみです。
現在ドイツで行われているワールドカップと平行で行われているrobo-cupのヒューマノイドリーグにも参加しているプロジェクトがあるらしい。でもこのページの動画はすべてリンク切れだったので、ロボットが動いているところは見れずじまい。robo-cupのページから結果をみると、そこそこの成績だったので、それなりに動いているのでは。
彼の話によると、タイの大学は本当に研究しづらい環境らしい。まずは、お金。研究費となるのは国からちょっと出る助成金のみ。あと、優秀な学生は国費で日本やアメリカに行ってしまい、タイにいる学生はだいたい学士、よくて修士でいなくなってしまうから、なかなか研究がすすまないらしい。
とここまで書いたけれど、彼の片言の英語なのであっているかどうか。。。。

2006年6月20日火曜日

RoboOne@MIT

ことの始まりは今年の2月。MITは1月にIAP(Independent Activities Period)という期間があり、1ヶ月の期間さまざまな授業が用意されいる。この授業は普段のものとは異なり、学生がオーガナイズして行うものが多い。

その中で、ロボットコンペティションに関するクラスもいくつかあり、ぼくはAutonomous Robot Design Competitionの最終日にコンペティションを実際に見に行った。詳しくはこちら
自分も何かできないかなぁと思っていたところで思いついたのが、robo-one。簡単にいえば、2足歩行ロボットを扱うクラスをオファーしようと考えた。ゼロからロボットを作るとなると1ヶ月では無理なので、市販のロボットを使えば可能なはず。調べたところ、上記のクラスのきっかけを作ったWoodie Flowerという当時の学生も義足を、しかも膝関節の研究していたらしい。なんか運命を感じずにはいられない。
当然1人では無理なので、誰かに相談しようと考えて、思いついたのが。夜中に酒を飲みながら、小一時間話をして、「よし、やろう」ということになった。これが今年の5月。詳しくはこちら
少しずつ話が進んで、現在4人のメンバーとクラスの詳細なスケジュールについて検討中。
問題となるのが、やはりスポンサー。現在のところ、まだまだ足りないので、もしご興味がありましたら、kene at mit.eduまで連絡ください。
個人的な狙いは希薄なロボット研究者達との交流を活発にすること。個人的に付き合いはあるけれど、知り合いというだけで、そんなに強いつながりはない。2足歩行ロボットをえさに、各学科に分散しているロボット研究者を集めて、MITのロボットといえばここに聞けといわれるようなコミュニティができればと思う。本当ならハーバードのような、近くにある大学も一緒にできればと思うのだけれど、IAPはMIT特有のものなので難しい。まず来年は、MITを制するところから。近々MITからgrand challengeに挑戦するかもといううわさもあるし、来年はMITのロボットが盛り上がること間違いなし!?

2006年6月16日金曜日

今日のミーティングにて。。。

今月中にタイに帰ってしまうポスドクN。3ヶ月前にうちにきたばかり。なぜ3ヶ月しかいないのかというのはいまだになぞ。なんでも彼はタイではじめてヒューマノイドロボットを作ったグループの一員らしい。どこの大学から来たのか聞いたけれど、うまくコミュニケーションがとれなかった。それ以来、あまり話していない。。。
そのNが、通訳のM、ではなくて一緒に研究しているMが彼の研究について、アドバイザーに説明する。そして、この成果をHumanoids 2006に出すらしい。しかもアブストラクトの締め切りが今日。急いでいるのがみえみえでいち早くミーティングを終えて、執筆に取り掛かりたい様子。
しかし、アドバイザーからのするどいつっこみによりあえなく撃沈。ZMPとバーチャルZMPに関する研究で、アドバイザーから「Ken、彼がreferしなければならない研究しってるか?」と聞かれたので、似ているような研究だなーと思っていた論文を教えた。すると、アドバイザーから「これはまったく同じ事をやっているだけだ!!こんなの学会に出せない。」とバッサリ。がんばって新規性を説明するNとM。ややこしいことになって、ごめんなさい、N。
そして、「どうしてreal paperにしないのか?」というアドバイザーからの意見。real paperとはちゃんとした査読のある投稿論文で、学会論文では査読つきとはいえ、その評価方法はいい加減で、投稿論文だけがアカデミックの分野では評価されるらしい。投稿論文の数だけがドクターになるためのrequirementになってたり、tenureになるための評価基準になったりするので、それはうすうすわかっていたけれど、どうしても学会に出したそうなN。だって、来週帰国しちゃうから。そんな必死なN、そして英語が話せないもどかしさ。わかる、わかる。
投稿論文にだせば
-より多くの人が読む
-feedback(とくに厳しい意見)がたくさんくる
-学会に呼ばれる
だから学会に自分から論文をsubmitする必要がないというのがアドバイザーの意見。最初の2つは理解できるけれど、3つめは大物がいうせりふだよね。。。おれには無理です。
だったらさ、なんで2月にあんなことおれにいったんだろ。。。おれが小物だからか。。なるほど。。。。。
とにかく、Nが無事に学会に投稿してから帰国できることを祈っています。

最近、せっかくMITにいるんだから、いろいろな研究室のロボットを紹介してよっていうメールをもらいました。確かにいろいろな研究室に知り合いはいるけれど、いまさら「ロボットの写真とっていい?」って聞きづらいでしょ。機会があったらチャレンジします。

2006年6月15日木曜日

だれにも恩師と呼べる人が何人かいると思う。ぼくにも何人か恩師と呼べる人がいるけれど、今回は大学時代に出会った恩師について。

慶応義塾大学の機械科は、(いまはわからないけれど)研究室見学のあとに自分の希望する研究室を第3希望まで出して提出する。そして、第1希望の研究室の先生と希望者の面接が行われる。ぼくの第1希望は前野研究室。前野先生は当時、研究室を持ちはじめて1年未満だったけれど、大人気だった。希望者が15人くらい(だっけ?)、つまり半分以上が落とされるということになる。
面接のとき、いすのタイヤがあまりにも滑らかで、思ったよりも後ろにあったため、はじめに座るときに転んでしまった。緊張感ただよう部屋の中で、笑いをこらえる先生。こんなぼくを研究室に配属してくれた。
前野研の2期生として研究室に配属されてから、1年間は大学の研究室で研究の楽しさを教わった。部活にも行きつつ、研究を続けるということは、そのときの自分にとっては本当に辛いものだったけれど、同期にも恵まれ、楽しい研究室生活をすごすことができた。
転機がおとずれたのは学部4年の後半、わけあって北野共生システムプロジェクトというところで、ロボットの研究をすることになった。ここでの生活は本当にきつくて、人生の中で一番がんばった時期じゃないかと思えるくらい。しかし、ここでロボットの基礎となる知識と技術を身につけた。大学にはあまりいけず、ゼミにもいけないときがあったにもかかわらず、前野先生はそんな生活を許してくれた。むしろ、大学の理工学部の卒業式には「2足歩行ロボットはうちの研究室ではできないっていったら、自分で研究する環境をさがしてきたやつがうちにいる!!」といってくれた。ほめられ好きのぼくとしては、名前も出してもらいたかったくらい、じゃなくて、研究室を離れて研究をしている自分を応援してくれているその懐の広さに涙を流しそうになったくらいだった。
そして、博士課程にも進学し、北野プロジェクトが終了すると同時に、fuRoに移籍することも前野先生は「いい話じゃない!!」といって、わがままを許してくれた。その後も、津田沼と横浜を行き来する生活で、大学にはあまりいけない生活が続いた。でもドクターは慶應でとって、先生に恩返しができればと思っていた。
そして、自分の中でまた転機が訪れた。後輩の癌。同じ研究室でMIT出身の訪問研究員のアドバイス。違う後輩の留学。そして、学会で知り合ったMITのポスドク。自分の中でMITのHughの研究室でロボットではなく、義足の研究がしたいと思うようになった。ドクターを取ってからでもいいのではっていう人は多かったけれど、自分としてはどうしてもすぐに行きたいという衝動を抑えることはできなかった。でも前野先生にはMITにアプライするときに、どうしてもいえなかった。引け目を感じていた。ドクター2年もやっといて、いまさらやめるっていえない。そうやって悩むうちに、MITに不合格であれば、あきらめもつくものだが、合格してしまう。ここで慶應を辞めてMITに行く大決断をした。前野先生にいうと「おめでとう。MITにいけるなんて最高じゃない。」とかるくいってくれた。先生の人間の大きさを感じました。
前野先生は、家庭も大事にするし、学生といっしょに飲み会によく行くし、カラオケにまで参加する。研究者として、人間として本当に尊敬しています。いまの自分は先生なしではありえません。MITでドクターをとって、立派な姿をみせることがいまできる最高の恩返しだと信じてがんばっています。
最後になりましたが、教授昇進、本当におめでとうございます。OB会には参加できなくて申し訳ありませんでした。日本に帰ったときには、お祝いもって慶應に行かせていただきます。
とお伝えください。(慶應の人)

2006年6月13日火曜日

アメリカの有名な大学院の学生はアメリカ人よりも留学生の方が多いらしい。うちの研究室のメンバーもアメリカ人よりも外国人が多い。いろいろな国の出身者がいて、楽しいときは楽しい。しかし、ワールドカップ期間中はいろいろ気を使うことが多い。。。

現在、スタッフと学生を合わせて18人のメンバーがいるけれど、そのうち、6人がアメリカ人。そのほかの人は、メキシコ、インド、イラン、香港、ドイツ、タイ、アイルランド、カナダ、そして日本出身。
ワールドカップ初戦のドイツ対コスタリカ戦。ドイツが勝利したのだけれど、ドイツ人が大喜び。初戦で格下のコスタリカとはいえ、やっぱりほっとするらしい。そして、昨日のメキシコ対イラン戦。今日ラボにきてみると、メキシコ人のやつは大騒ぎしている一方で、イラン人が静かに仕事をこなしている。
そして、今朝日本対オーストラリア戦。結果をしったラボのメンバーは静かに仕事をしているおれをからかってくる。彼らも日本が勝つと思っていたらしい。だって日本はドイツと引き分けたチームだから。ちくしょ。
この時期、研究がまったく進まない人が多いらしい。多分、日本人にとって、今日はもう終わっている気がする。
がんばれ、日本。日本の国民のために!!そして、おれがラボでいじめられないために。。

2006年6月9日金曜日

フランク・ゲーリー

これまでの建築の常識をくつがえすかのような建物には賛否両論あるみたいだけれど、好きな建築家の1人です。

もとから興味がなかったわけではないけれど、architravelerにいろいろ教わって以来、建築物に強い興味を持つようになった。MITはいろいろな建物があるので、ぼくのような中途半端な建築好きにはちょうどいい。
中でも一番目立つのがstata center。中はコンピュータサイエンスの研究室が中心。私はコンピュータサイエンスに所属しているので、この建物で行われる授業によくいく。道路側からみると、道路が狭いせいか、建物を一望することが難しい。また、反対側からみると、直方体をしたプールがある大きな建物があるため、stata centerとは合わない。
お勧めなのが位置からみるstata center。
mybest_stata.jpg

ちょうど建物が中心に集まっているように見えるし、緑と建物のバランスもいい。
最近、New Yorks timesの記事に、atlantic yardsの開発にも携わっていると書いてあった。さらにドキュメンタリータッチの映画'Sketches of Frank Gehry'も去年から上映されている。今年の夏はnew yorkでも上映されるらしいので、ぜひ行こうと思う。谷口氏(慶應機械科出身!!)のMoMaもあるし、フランク・ロイド・ライトグッゲンハイムもあるし。改装中と聞いているが、それが終わっているかどうか。。。
建築物にお金をかけている大学はアメリカにたくさんあると聞いた。いつか、留学している間に大学めぐりというのも楽しそう。。

2006年6月8日木曜日

日本のスイッチ、アメリカのスイッチ

日本の何人かの大学生のブログなどをみていて、最近ちょっと気になったことがあるので。。。べつにアメリカがいいとか、日本がだめとかそういうことじゃなくて。。。とくに高校や大学の後輩へのメッセージです。

すべての人がこうであるとは思ってないので、あしからず。

こっちの国と日本では、大学や授業に対する考え方に違いにすごいギャップを感じる。
ある日本人学生のブログにて、えらそうに
「昨日は飲みすぎたので、今日授業はさぼった」
「今週はまだ一回も学校にいっていない」
「授業中ずっと寝てた」
と書いてあったりする。
ブログなので本当かどうかわからないけれど、こういう人は多いと思う。一応自分の最近まで大学生だったし、大学で授業もやっていた。日本では大学は遊ぶところと思っている人が本当に多いと思う。でも、就職したりすると人が変わる。時間を守るし、毎日仕事にいく。日本人はここでスイッチが切り替わるみたい。そのまま大学院に進んで、研究者になったりするとそのスイッチはどうなるんだろうか。人によってはoffのままだったり、知らないうちにonになったり、あるいは教授の愛のムチでいきなりonになったりする気がする。
アメリカではというと、高校ではまったくといっていいほど勉強しないけれど、大学生になったとたんに、急に勉強しだすらしい。現にMITの学生たちはセメスター中は本当にがんばっている。ほかの大学でもそうだろう。アメリカ人はここでスイッチが切り替わるみたい。さらにアメリカ人は2種類スイッチをもっているようだ。それは時間を守るかどうかというもの。アメリカの大学生は基本的には時間を守らない。重要なミーティングのときにも大体遅れる。でも就職すると時間をしっかりと守るようになると聞いた。ここでもスイッチが切り替わるみたい。
一概には言えないけれど、ここからが思うこと。どっちがいいとかはわからないけれど、遊ぶならば大学ではしっかりと学んだ上で遊んでほしい。どれだけさぼったとか、どれだけ寝てたというのを、えばって言う人がいるけれど、それはむしろ恥ずべき行為だと思う。日本の大学のいいところのひとつは、自分の自由な時間がとれるところだと思う。毎日授業に出席したとしても、アメリカの大学生にはできないことがいっぱいできるはず。
スイッチをoffからonに急に変えることは自分ひとりでは難しいとは思うけれど、せめてonとoffの中間くらいにできないかな。。
とかえらそうにいってみたり。。。

2006年6月6日火曜日

from JP

運がいいとかついてないとか、非科学的なことはあんまり信じてないけれど、実際についているときとついてないときがある。それが自分のバイオリズムの周期が上向きなだけなのか、過去にがんばった成果がでるだけなのか、あいまいだけれど、言葉にするときには、「最近ついてる」って言い方がすき。

だって、謙虚に聞こえるじゃない。。

というわけで、
最近ついている
Bがついた成績。自信があったんだけれど、Bがいったんはついた。でも、文句をいってみたら、あっさりAに変わった。採点ミス?ただのタイプミス?
最近ついている
ロボット系の国際学会の採択率は他の分野の学会にくらべて採択率が高いので油断していたら、今年は50%を下回ってきた。それでも、内容はいたってシンプルで4枚しか書いていない論文があっさり通った。しかも、reviewerの評価もなかなか。
最近ついている
研究、コースワークとは別に2つのプロジェクトに携わることになって、最近それが楽しくなってきた。いままでは片手間で他人任せみたいなところがあったけれど、ほかのメンバーがあまりにも真剣で、それに触発された。楽しい。
最近ついている
ラボのメンバー数人が首を切られる中、おれはなんとか生き残った。今年いっしょにドクター課程1年生としてここに来たもう1人はいなくなると聞いたとき、一瞬凍りついた。きびしいと思った。そして、自分はどうなると思ったけれど、なんとか来年のRAの契約ができた。
最近ついている
ラボで自分の研究内容のプロポーザルが通ったらしい。つまり多額の助成金がもらえるらしい。このプロジェクトはいままで一人だったけれど、何人かほかのスタッフをやって、いっしょに義足をつくることになった。
細かいところはいっぱいあるけれど、セメスター終わってから調子がいい。ここで油断するとまたどん底に行きそうなので、気を引き締めていこう。。。。

2006年6月3日土曜日

春セメスター中に何とか提出したIROSの結果が送られてきました。(IROSとはロボット関係の国際学会)

今回投稿された論文の数は2166、採択された数は1002、採択率46%。この学会毎年大きくなっているけれど、2000って数にびっくり。中国の北京で開催されるから中国からの投稿が激増したのかと予想してみる。(ほら、人口がすごいから)
IROSといって思い出すのが2001年。まだ修士1年生のころで、学会がハワイで行われると聞いて、がんばって卒論シーズンに書いた論文。無事に採択され、楽しみにしたときに起こった911のテロ。日本でも大ニュースになった。(その話が始まると本当に長くなってしまうからまた今度)
学会は10月か11月くらいだったけれど、開催されることになっていた。いっしょにいく予定だった先生や先輩が行かないといっていたにもかかわらず、おれは一人でも行こうと思っていた。でも、大学からアメリカへの渡航禁止令がでたため、結局いけなかった。
一番のIROSの思い出は2003年のラスベガス。なぜこんなところで学会をやる必要があるのかと疑問に思う純粋な研究者である自分と、せっかくやるんだったら楽しめるところでやるべきと思う人間としての自分。そんな葛藤も現地にいってしまうと楽しむだけ楽しむ自分。(もちろん学会期間中は真剣そのもの)さすが魅惑の町、ラスベガス。
というように、学会には、特にIROSにはかなり思い入れがある。ここ数年、いろいろあって学会に論文を投稿することができなかった。今回セメスター中で大変だったけれど投稿してよかった。
同業者のみなさん、最後になりましたが無事4枚しかない論文、採択されました。北京であいましょう。

2006年6月1日木曜日

遅ればせながら

先週、今期にとっていた授業のひとつに成績がつきました。結果は「B+」。。

何度もいうけれど、QualをパスするためにはA-以上を3つとらなければならない。この授業では、宿題もファイナルもばっちりやって、自信があった。それだけにかなりショックで数日間立ち直れず。
先日、日本人の友人と話したところ
「自信があるんだったら、なにが問題だったのか聞くだけ聞いてみたら?」
といわれ、ダメもとで先生にメールを送ってみる。
すると
「graderを雇ったから、もしかしたらまちがいがあるかも」
という返事。しかしB+からA-の間にはかなりの差がある(らしい)ので、半分はあきらめていた。
そして今朝、先生からのメールで、
[A-だった。ごめん。」
という返事。半分あきらめていたけれど、言ってみるもんだね。Ph.Dに向けてかすかな光がみえてきた。あと、A2つ!!
あまりのうれしさに、こんな日記になってしまった。ごめんなさい。