2009年5月24日日曜日

久しぶり。

先日の学会で日本で活躍されている若手の先生方や研究員の方々と話をする機会があったが、やはり自分が気になるために、よく自分の今後の進路について相談をする。

海外でPh.Dをとるということに関しては、メリットはもちろんデメリットもある。これに関しては留学生の間でもかなりの議論されていることだと思う。これから書くことは、ロボット関連のことだけれど、もしかしたら他の分野でもそうなのかもしれない。

研究者として留学するメリットとしては
1.日本国内だけではできないことができる
2.英語がうまくなる
3.進路先の選択肢が広がる
4.お金がもらえる

1に関しては人によるのだけれど、自分に関していえば、潤沢なグラントを使える研究環境の他にも、安い義足をつくってインドにもっていくプロジェクトに参加したり、MITの学生相手にrobo-oneをオーガナイズしてみたり、なにかやろうとすればしやすい金銭的にも恵まれた環境であると感じる。2に関してはもちろんだれも疑わないだろう。しかし、ネイティブレベルかといわれると、絶対にそれはないと思う。よく1,2年アメリカにいれば、英語は完璧になると思っている人がいるようだけれど、実際は4,5年いても純日本人は結局はネイティブとの差を歴然と感じ続けているはず。3はいろいろな経験をすることができるので、自ずと人間関係は広がり、いままで一人では知り得なかったことを知るようになり、当然将来のオプションの増えていく。4はあまり知られていないようだけれど、大抵留学生は授業料と生活費を研究室の先生から支給されている。

つぎにデメリットを考えてみる。
1.博士取るまでの時間が長い
2.学会論文、雑誌論文を出しづらい
3.日本でのコネを増やしづらい

��学科や大学によって異なるだろうけれど)平均5年はかかるアメリカでの博士課程。修士をもっていても結局はQualifying examがあるので、同じ大学で修士と博士を取得する場合には、実はあまり年数に影響はない。2の論文の数に関しては、一言申したい。日本の学生は国内の雑誌があるために、あきらかに論文の数を揃えやすい。さらに狭い業界であるために、研究室の先生が論文誌の特集を組むときには同じ研究室の学生の論文が投稿される。一方で海外でPh.D取得を目指す学生は最初の2年はQualifying Examがあるために、授業でいっぱいいっぱいになる人が多い。そのあとも結局はマイナーなどのために授業は取り続けなければならない。論文の質を無視して、論文の数を評価の対象にいれる大学があるのはどうかと思う。最後にやはり狭い業界では良くも悪くもコネが必要であるということをよく思い知らされる。博士課程を終了した人たちは多くが本人、あるいは先生の知り合いのところにお世話になることが多いのも一つの理由だ。

別に日本の博士がだめだといっているのではない。日本の学生はあまり授業がないために、純粋に研究をする時間の割合が多いのが魅力だと思う。ただ、日本の博士とアメリカのPh.Dを同じ土俵にのせて勝負させても意味がないのではと思う。

今回いろいろな人と話をするまで、このような不満を日々持っていた。そのために、日本のアカデミアへの就職はかなりきびしいものと思っていた。いまでも厳しいとは思う。しかし、今回の学会で会った先生方の話によると、評価対象も徐々に変わってきているらしい。とくに、アジアや欧米からの留学生が増えている大学では、英語で講義ができるということもプラス査定になるとのこと。

ただ、評価方法や大学のシステムが変わってきている反面、まだまだ至らない点も多いらしい。例えば、海外の大学ではよくあるテニュアの制度を取り入れている大学も増えてきた。しかし、本質はあまりかわっていなかったり、任期があるだけだったりするらしい。古くからのこっている講座制というものも、システムを新しくすることへの妨げになっている大学もあるらしい。

日本は優秀な研究者を増やすために、ポスドクを増やしたり、高校生向けのプログラムを用意したり、大きな助成金を大学向けにつくったりと一見努力を試みていはいる。海外の大学へあわせるために、教授、準教授、助教という名前に変わったりと、様々な制度も新しくなったけれど、本質を知らずに海外のまねだけしてみても、結局は民間主体の日本の科学技術は変わらないと思う。変な欧米化はしなくていいから、とりあえず名刺のサイズは同じにしてほしい。。

正直、いろいろなオプションはあるけれど、卒業してからの進路はまだ決めていない。こんな時代、卒業したらなにをすればいいのだろう。なにかコメントや反論があれば、ぜひぜひお願いします。

2009年5月22日金曜日

おひさしぶりです

実は5月12日から日本にきている。

空港での新型インフルエンザ対策はマスクと白衣を身につけた10名ほどの人たちがサーモグラフィーのカメラを片手に乗り込んできた。あとはどこからきたか、あるいは日本の滞在先を用紙に記入し提出するだけ。これだけでも乗客全員を終えるのに1時間以上かかり、一部の人たちはかなりいらついていた。乗り継ぎがきびしかったのだろうか。

そのあと、実家にはよらずに直接学会の開催地である神戸に向かった。10時間以上のフライトでつかれきっていたので、東京から新神戸の新幹線の中では寝てしまおうとおもっていたのだけれど、同じ学会に参加したドイツ人の集団に絡まれ、終始話しかけられて、寝ることができなかった。それでも大阪についたころには知らない間に寝てしまっていて、実家からかかってきた電話で目が覚めた。

今回の帰国はICRAという国際学会に参加するためだ。学会会場にもサーモグラフィーカメラが入り口にあって、スタッフはみんなマスクをつけていた。学会会期中は参加者もマスクをつけるようにといわれたが、海外からの参加者はとくにつけている人は少なかった。会期中に神戸市内で感染者がでてからは、とにかく全員マスクをつけるようにと市からもいわれて、スタッフは徹底しようとしていたけれど、それでもあまり効果がなかった。

また、会期中に保健所から実家に連絡があったようだ。その日から毎朝電話がかかってくるようになり、渡航してきた人の体調を観察してるのだ。幸い、いまのところ体調はかわりない。

その後、数日にわたって日本では新型インフルエンザ感染者が急激に増えた。最初に感染者がみつかったのは神戸だ。しかも学会期間中に。この時期に海外からたくさんの人が一カ所に集まるイベントはそうない。まっさきに疑われるであろうこの学会だけれど、いまのところ感染者がいたという情報は聞かない。それでも某大学では、この学会に参加した人は数日間自宅待機であったり、感染をさけるためにfarewell partyに参加できなかったりと、かなり警戒している大学があったようだ。

今週末からはまた別の学会があり、同じような参加者が今度は福岡に集まる。福岡に感染者がでたら、きっと同業者が疑われるのかな。

水際で防ぐといっていた厚生労働省だけれども、警戒しすぎだよと避難されている日本人。おれはそれよりも、感染者が増えてから、新型は季節性と変わらないといって、感染者の入院措置を緩和するのはちょっと、「防ごうと思ったけれどやっぱりだめだった、ごめん」というようなニュアンスに聞こえる。これからどうなるんだろう。何事もなくアメリカに帰れればいいけれど。

2009年5月8日金曜日

ぼくの所属する研究室の真上はちょっとしたアートギャラリーになっていて、数ヶ月ごとに展示されるものが変わる。その展示物を入れ替えるときに簡単な工事がよくあるのだけれど、そのときの騒音が本当にうるさい。そのため、最近tenureをとって浮かれているアドバイザーは人数分Bosequietconfort3を買ってくれた。その性能は本当に驚くべきもので、工事の真下で働く人に取っては書かせない物になったとさ。

そのBoseとは全く関係ないのだけれど、1ヶ月ほど前に坊主になった。ずっと長めだったのだけれど、「あ、坊主になったらどうだろう」と思い、バリカンを用意して友達にきってもらった。野次馬的にあつまった人とうちの部屋でわいわいやりながら刈ったのだけれど、刈った当時はまだ外は寒く、ニットの帽子をかぶらずに外を歩けなかった。

Before
before.jpg
After
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刈った直後はさすがに5mmはやりすぎたと思ったけれど、触った感触の気持ちよさとか懐かしさとか考えるとやってよかったかな。誰かに、「どうせ抜けてなくなるのだから、いまやらなくても。。」ともいわれた。それでも、体も少し軽くなった気がするし、バスケをやっても少しドライブが鋭くなった気がする。いまは少しのびてしまったけれど、これからしばらく坊主を続けようかと思ってます。

どうかよろしく。