2009年2月2日月曜日

物心ついたときから、沼津という港町に住んでいて、テレビで見る都会に憧れて、中高生のときは兄と同じように一刻も早くこの町を出て行きたいと思っていた。当時は特に理由もなく、やりたいこともないのに、アメリカの大学に行きたいといって、親に反対されたときもあった。ただ、とにかくいち早く沼津という町から東京に出て行った兄がうやましくて、自分も東京の大学に入学して、一人暮らしをするんだということばかり考えていた。実際に10年後、20年後自分が何をやっているかなんてあまり考えていなかったな。

高校を卒業してから、念願の東京での一人暮らしが始まった。正確に言うと、東京ではなく、横浜なんだけれど、沼津からみたらあまり違いがないので、この際関東圏を東京と呼ぶことにする。

そして、ほかの同郷の人たちが上京してから思うのは、やっぱり故郷というはいいものだということ。おれも例外にはならず、沼津に帰省するたびに故郷の空気の心地よさを実感した。

今年の正月は3年ぶりに日本で過ごすことになった。今年の正月はとても空気が澄んでいて、とても清々しい年の始まりを故郷で過ごすことができた。

1月のある日、自宅の2階の窓から富士山が夕日に赤く染まっているのが見えた。「今日だったら夕日がきれいにみえるかもしれない。」と思い、近くの海岸に歩いていった。


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海岸まで続く道は、高校を卒業してから10年以上たっているのに、あまり変わっていない。それも、帰省するたびに夕日を見に行っていたからかもしれない。歩くこと3分、海岸にでてみると、目の前に見慣れた夕日が広がった。そして、振り返ってみると、その夕日に赤く染まった富士山。


fuji_from_shore.jpg

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この日は海岸線に雲がかすんでいて、太陽の光は水平線に届く前に雲に遮られてしまった。本当に運が良ければ、太陽が海岸線に沈んでいく様子を見ることができる。おれはここ数年みていないけれど。

太陽が水平線に沈んでいく様子を始めて見たのは多分小学校低学年のとき。親の犬の散歩についていったときだったと思う。当時は視力が異常によかったので、いまよりも奇麗な夕日をみていたに違いない。始めて見たときの感動はいまでも忘れられない。いまでも帰省のたびに、海にきて夕日を見ようとしているのは、デジタルカメラのデータからは伝わらない、あの色や空気に触れたいからだと思う。

沼津に帰ってくるときというは、人生のイベントの節目のときが多い。期末試験・卒論・大学卒業・修論・大学院修了・就職・退職・留学。それぞれの間にこの海岸線にたっている。疲れているとき、これからがんばるぞと気合いが入っているとき、なぜかその夕日をみていると勇気づけられている気がする。夕日を見ながら、沼津という故郷を持ったとこに感謝しつつ、そんなことを思った2009年の正月でした。

遅ればせながら、あけましておめでとうございました。今年も宜しくお願いします。

4 件のコメント:

  1. 僕も今年の正月に富士山を見て(新幹線からでしたが)新ためて思うものがありました。たまにはキャリブレーションも必要ですよね。

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  2. あけましておめでとうございます!
    文章を読んで、ますますホームシックになりました。
    離れることによって、故郷の良さがより強く感じますよね。
    今年こそ、アメリカで再会しましょう!

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  3. けんさんをお正月に見ることができたのは貴重な体験だったのですね!私、今度ニューヨークに4、5泊遊びに行くんですがけんさんは遠いですか?

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  4. 遠藤さん、メールが跳ね返ってくるんですが、takuya.kitagawa@gmail.comに一通メールいただけませんか?

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