2010年12月21日火曜日

勇気ある若者シリーズ 小林亮介

(僕が勝手にいっているだけですが)勇気ある若者シリーズとして、ハーバードの学部生である小林亮介君のリベラルアーツサマープログラム企画についての座談会がありました。

ボストン界隈では日本人研究者交流会という有名な発表会があります。ここでは、毎月2名の発表者が自分の仕事や研究について発表をするイベントで、参加者は周辺に住むさまざまな分野の研究者や留学生がメインです。僕自身も去年発表させていただき、非常に多くのメールをいただいたり、コラボレーションが生まれたりと影響力の大きなイベントです。

一方、この若者シリーズは、まだ実行していないあるいはまだ公に発表するほどのものではないような企画を本当に興味をもっている少人数の参加者と意見を出し合いながら、企画アイデアをよりソリッドに磨き上げる場として、これまでに数回行ってきました。なぜこんなことをやっているかというと、個人的にこういった場でディスカッションをするのが好きであるのもそうですが、おそらく黒川清先生が自分のような未熟な若者を、未熟であるということをわかった上でサポートしてくださるのを見て、自分よりも若い人たちへもしなければならないという思いもありました。

今回の発表者はハーバードの学部生の小林亮介君です。彼は日本の高校生向けにリベラルアーツのサマースクールを企画しています。彼の問題意識やビジョンはクリアで非常に共感できるものが多く、これまでに何回か話を聞いてきました。今回はもう少し多くの人の前で話を聞いてもらいたいという彼の要望もあり、この会が実現しました。

彼のプレゼンと座談会の様子はこちらに公開させていただいています。


彼の問題意識は高校生のときに感じていた閉塞感から来ているものです。いま思えば、おもしろい機会がたくさん身の回りにあったにも関わらず、その時には全く知ることすらできなかった。これは自分のせいなのか。ゆとり教育の弊害なのか、内向きだからなのか。
そういった問題の原因の追求はやめて、いま彼ができることを考えたのが大学生や社会人を巻き込んだ高校生向けのリベラルアーツ教育でした。

自分が留学生の身でありながら、学位留学を人に単純に進めることができなかったのはなぜかいまいちわからなかったのですが、彼と話をしていてクリアになりました。いま日本の高校生や大学生に必要なのは、まずは自分のビジョンを持つこと。そのためにはいろいろなことを学んだり、経験することが重要でリベラルアーツはそのために非常にいい方法だと思いました。その結果、海外に出る人もいるでしょうし、国内で道を見つける人もいると思います。その両者とも"内向き"とは言わないでしょう。

今回の様子を一つのドキュメンテーションムービーにしてみました。


これは僕の敬愛する神戸芸工大学の曽和先生のグループの提唱するRTVにインスパイアされて作っているものです。ただし、ぼくの場合はパワーポイントのみを使い、短時間でつくった即席動画ですが、きっと座談会を思い返すためには十分かと。


余談ですが、小林亮介君は早稲田大学でロボットを研究されている小林哲則教授のご子息です。頭が切れるわけで。。

2010年11月15日月曜日

数学とぼく


小学校のころに学んでいた算数が、なぜか中学校になって名前が変わり、いまにいたるまでにさまざまな形で学んできた数学。先日、MITの内輪な集まりで「教えること」に関して興味をもった学生が言い出しっぺで、元高校教師で現タフツ大学数学科の博士課程の学生である@kkobayashi25にお願いして、彼が高校で行っていた数学の授業をMIT周辺の学生にやってもらおうという企画がありました。その内容は非常に密度が濃く、教えるということもさながら、数学という学問と改めて向き合ういい機会になりました。

内容はロピタルの定理。
この内容を50分にわたって、対象を高校生レベルにまで落として、わかりやすくなおかつ丁寧に教えてくれました。その時の様子をUstreamで記録してみたので興味がある方はぜひ。




高校時代は部活ばかりしていてあまり勉強していなかったですが、数学自体は好きでした。ちなみに、僕の母校沼津東高等学校のwikipediaの昔の項目に以下のような箇所がありました。(いまは冗長であるという理由からなくなっています)ほぼ事実です。

wikipedia 沼津東高等学校の過去の履歴より
レベルの高すぎる数学の試験問題
校内の定期学力考査、すなわち試験における数学の問題が難しく、相当のハイレベルであった。のちにいくつもの医学部に合格するようなトップクラスの者でも100点満点の試験で70点程度、平均が30点台ということも多かった。100点満点の試験で平均が20点前後で、40点とれば学年でトップ10に入るというケースも見られた。一ケタしか取れない者も少なくなかった。数学科の教員によると、これらは意図的なものであるらしいがその意図は不明である。
150分の長時間の試験であった。伸びる者をさらに伸ばすねらいがうかがえる。その一方で、一ケタ得点の者でも置き去りにされた(落ちこぼれた)意識をもたずにすむ側面もあり、そういう者がのちに国立大学に合格したりしている。


大学に入っても、普通に必修としての数学を受け、研究でもコントロールやダイナミクスなどをモデル化するためによく数学を用いていました。とくにコリオリ力がなぜ発生するのかと不思議に思い、この本の数式をよく勉強しました。アメリカにも持って来たくらい好きな本です。

そしてMITにきてからは、コンピュータサイエンスの授業の必修としてTheory of ComputationCryptography & Cryptanalysisyを受けました。これまで受けてきた数学と全く異なる数字の世界に戸惑うことがありましたが、それなりに楽しめました。例えば数論の中で、'mod'を証明に使ったのはこのときが初めてでしたし、さまざまな問題を証明をするためにここここなどwikipediaが非常に役立つということも知りました。しかし、自分が工学寄りの人間だからか、このような問題に取り組むよりは、コマのダイナミクスを美しく表現するためのエンジニアリングのほうが自分には合っているとこのとき確信しました。

@kkobayashiの授業のあと、彼の数学に対する情熱を知りました。彼はコマのダイナミクスのような様々な情報が削り取られ、プロジェクションされた数式を、もっとN次元の高次な世界に引き上げたいというようなことをいっていました。正直僕にはちょっと想像もつかない世界です。おそらくlinearizationなんてもってのほかなのでしょうね。

今日の名言
「数学は哲学だ」
「0と∞は親戚」
「1/数学=基本」
「競馬で2等の馬が同時にゴールした場合、ゴールしたときに速度が速かった方の馬が勝者」(これは石松)

2010年10月19日火曜日

Intuitive Automata -体重を管理してくれるロボット-

先日メディアラボは25周年を迎え、スポンサーと卒業生を招待した大規模なイベントが開催されました。



そのイベントの中で、数年前にCynthia Brazeal率いるPersonal Robotグループを卒業したCory Kiddと再会しました。Cynthiaは学生の頃Kismetを開発したことで有名な女性のロボット研究者で、Rodney Brooks教授の研究室の卒業生です。彼の博士過程の研究テーマは「ロボットと人とのインタラクション」で、体重を減らす為の食事制限や運動を管理するのに、PCやノートなどを使うよりもロボットを使う方が効果があり、長続きすることを示しました。その成果を用いて、Automという新しいロボットを開発し、現在はIntuitive Automataというベンチャー企業をはじめています。

彼のような例は非常に多く、学生が卒業した後博士課程のときの研究成果をつかって、起業することはめずらしくありません。成果に関する特許はおそらくアドバイザーとの連名になることが多いでしょうが、アドバイザーは自らの成果にすることよりも、自分の優秀な学生を世に送り込むことを大事に思っている先生が多いようです。

将来、みなさんの体重はこのロボットに管理されているかもしれない??

2010年10月14日木曜日

頭脳の海外流出?



先日MITの日本人会が日本テレビの報道番組「バンキシャ」の取材を受け、何人かがインタビューを受けました。ノーベル化学賞を受賞された根岸さんが「若者よ、海外に出よ」とおっしゃったことから、日本テレビのバンキシャが日本の頭脳が海外に流出しているといったようなストーリーを想定し、取材依頼がMITに来たようです。

インタビューではアメリカと日本の研究環境ではどちらがいいかという質問を受け、その理由を聞かれました。その中で同じ博士の学生である小野とぼくの発言の一部が番組の中で放送されたようです。いままで、ここここで取材はたくさんうけたことはありますが、下っ端だったのでことごとくカットされることが多かったのでちょっとうれしかったです。まったく宣伝はしませんでしたが、たまたまみた知り合いからメールをもらったり、fuRoのブログで紹介されていたり、今日たまたまラボであったD社の関係者の方がぼくの発言を知っていたりしました。

ただ、やはり短い時間の枠の中での放送だったので、発言の一部しか放送されず、誤解を招くような発言だけが放送されました。ここで何を話したか書いておこうと思います。

1) MITの多くが学生はアドバイザーから授業料と給料をもらっている。
2) 自分の場合は、自分でグラントプロポーザルを書いたために、研究費にめぐまれている。
3) 自分の場合、年間3000万円から4000万円自由に使えるお金がある。
4) ただ、これは他の研究にも使われることがあるため、実際には全部自分で使うことはない。
5) さらに、自分の場合は大学の他の期間でD-labでインストラクターをやったり、そのプロジェクトのためにお金を集めたりしている。こんな自由度は日本ではあまりないと思う。

というような内容だったと思います。それが赤い字のところだけ放送されてしまったので、アメリカの研究者はみんな3000万円程度の研究費を使えると受け取った方もいるかと思いますが、おそらくぼくはラッキーな部類です。

メディアの報道はいろいろと批判もあるかと思いますが、今回の報道は個人的にはそこまで偏った編集ではなかったと思います。メディアは複雑かつ大量の情報量をお茶の間にわかりやすく届けることが必要とされるため、ある程度偏った編集をすることも多いかと思います。程度にもよりますがそれはまったく健全なことで、(例えば、アメリカではニューヨークタイムズがリベラルに偏っているのに対し、ワシントンタイムズは保守的、おそらくそのバランスが大切)視聴者が十分なリテラシーを備えていることが重要なんだと再認識しました。

ぼく個人としては、実は海外に学位留学することを積極的には勧めていません。自分は博士2年半までを日本で過ごし,その後MITで博士過程を5年間過ごしたので、一分野の例ではありますが両方の環境を経験し、ある程度は理解しているつもりです。純粋に研究者としての環境は金銭面でアメリカ有利は変わりませんが、成果に関してはそこまで差があるとは思っていません。むしろ、日本で博士をとったほうが早く学生を終えることができるので、日本の方が有利かもしれません。留学の付加価値は、英語が上達することであったり、異文化とふれあう機会であったり、留学先で出会う人とのネットワークであったり、プロジェクトであったり、研究以外のところの方が実は大きいかと思います。そして、研究以外の付加価値こそ今後の日本が必要とするものであるとおっしゃる方々もいるようです。ただ、留学にはリスクを伴うのも事実です。

なので、ぼくは黒川先生のおっしゃる「休学のススメ」のように、まずは休学して一年間どこか海外に短期留学なり、放浪の旅なりをして、日本にとどまるかあるいは留学するのかを自分で決めるべきと思っています。

何はともあれ、テレビ取材は滅多にないことですが、今度は自分の成果で取材されたいものです。。。

ブログ引っ越し

ブログをFC2からbloggerに引っ越ししてきました。
理由は
1)スパムが多い
2)googleの将来性
3)使いやすさ
4)FC2の記事をbloggerに持って来れそうだったから
などなど。写真をこちらにもってくることは一筋縄ではいかなそうですが、UTBjapnでbloggerを使っていて非常に使いやすかったのが大きかったです。まだまだ使いづらい点やデザインなどで不満はあるけれども、googleの将来のポテンシャルを信じて引っ越しに踏み切りました。
引っ越しに関してはここを参考にしました。しかし、ぼくにはVBScriptがうまく動かなかったので、自分で簡単なコードを書きました。
---------------------
#include
#include
#include

int main(void)
{
FILE *fp;
FILE *fo;
char s[1000];
int month, day, year, hour, minute, sec;

// オリジナルファイルをオープン
if ((fp = fopen("blog.txt", "r")) == NULL) {
printf("file open error!!\n");
exit(EXIT_FAILURE);
}
// 出力ファイルをオープン
if ((fo = fopen("blog_revided.txt", "w")) == NULL) {
printf("file open error!!\n");
exit(EXIT_FAILURE);
}

while (fgets(s, 1000, fp) != NULL) {
// DATEの行を処理
if (s[0] =='D'){
sscanf(s,"DATE: %d/%d/%d %d:%d:%d",&month,&day,&year,&hour,&minute,&sec);
if (hour ==0 || hour == 12)
hour = hour + 1;
if(hour>12)
hour = hour -12;

fprintf(fo,"DATE: %d/%d/%d %d:%d:%d PM\n",month,day,year,hour,minute,sec);
printf("DATE detected\n");
}else{
// SECRETとPASSの行を削除
if((s[0]=='S' && s[1]=='E')||(s[0]=='P'&& s[1]=='A'))
printf("SECRET or PASS detected");
else
fprintf(fo,"%s",s);
}
}
fclose(fp);
fclose(fo);
}
---------------------
これをblog.txtと同じフォルダで実行すると、blog_revised.txtが出力されます。面倒なのでコードはアップデートしません。

2010年9月24日金曜日

knotwork cafeデビュー

先日の日本帰国の際に、See-Dコンテストのワークショップの他にknotwork cafeというところでプレゼンしてきました。

場所は赤坂のある場所にあるアパートの一室で、はじめてきたのは今年の3月でしたが、ものすごく怪しい雰囲気であったために、一瞬入るのをためらってしまいました。しかし入ってみると、非常に心地よく、まるでBOP関連の仕事を始めるときのような感覚でした。knotwork cafeはこの分野の人であれば知らない人はいないというくらい、聖地としてあがめられている場所だそうです。ここでは昼間は会社で普通の業務を行っている傍ら、夜の仕事として途上国の人々のために働いている方々が集まる場所になっているようです。

ここでのプレゼン資料はここ。


ぼくは卒業後はMIT D-labに足をつっこみながら義肢装具技術開発を続けつつ、義足のプロジェクトをインドだけでなくいろいろな国に広げていき、なおかつローカルに根付くためのサステイナブルなサイクルを作り出そうとしています。それには、義足の価格を低く保ちつつ、技術を向上させるだけでなく、雇用を与えることによって、患者の収入の一部からから義足の費用を回収できるようなモデルを考えています。ネクストマーケットでもあるように、Jaipurfootはこのようなモデルをもっているのは事実です。しかし、現地をみてきて個人的な意見を述べさせていただくと、Jaipurfootの雇用の提供や宿泊場所のサービスは正直うまくできていないと思うのです。おそらく、Jaipurfoot自体のビジネスモデルが多大な寄付によって成り立ってしまっているので、このような細かいサービスに力をいれておらずうまく機能していないのです。

ビジネス自体には正直あまり興味はありませんが、ぼくの目標は、あくまで切断患者のQoLの向上です。なので、ビジネスはツールとして、開発した技術を普及させるために必要です。Knotwork cafeでもその道のプロの方々が非常に適切なアドバイスをくださいました。他にも苦手なこの普及プロセスをサポートしてくださる方、または一緒に考えてくださる方がいたら、ぜひ連絡ください。

2010年9月22日水曜日

数日間の日本の帰国

実は先週5日間だけ就活もかねて日本に帰っていました。今回の帰国は非常にタイトで一日も実家に帰ることなく、一日もオフがないという日程でした。

その中でも一番楽しみにしていたイベントがSee-Dコンテストのワークショップです。こちらに同日の様子をまとめました。ここでもムービーを貼付けておきます。



簡単にいうと、See-Dコンテストの参加者を対象に、東ティモールに1週間行ってきた人といっていない人との間で情報交換を行い、さらにそこから現地の人がどのようなプロダクトを必要としているかを考えるワークショップです。非常に熱意のある参加者ばかりだったので、タイトな日程にも関わらずたくさんのアイデアが生まれました。これからもどんどんideationプロセスを繰り返して、アイデアを洗練していって欲しいです。

そして、アメリカ帰国前日では念願のノットワークカフェデビューを果たしました。その様子はまた後日。

2010年6月30日水曜日

動物の義足

以前twitterでのつぶやいたが、先日猫の義足に関するニュースが報道されました。

NPY
WIRED



金属の棒を猫の足にインプラントしたところに、技術的なチャレンジがあったと思います。。義足が骨に直接くっついているのだから、歩き方は、従来のソケットを介したものよりも快適でしょう。まして、人間ではなく、猫なのでソケットを使うことは難しいと思います。このような試みは人間でも行われておりますが、問題は骨自体に金属をくっつけるために、年数を重ねると骨がどんどん削れていってしまいます。また、人工関節のような、デバイス全体が皮膚の下にあるのではなく、金属の半分が皮膚から外側にでているために、感染症を引き起こす可能性も大きいのです。おそらく、毎日の消毒や毎週のレントゲン撮影によって今後の経過を見る必要があるでしょう。しかし、猫の歩き方をみていると、やつの生活の質は格段にあがることは間違いないでしょう。こういった技術をみると、うれしくなります。



猫以外にも義足を使用している動物は多数存在する。Mollyとよばれる馬が有名な例です。


あとタイの象も有名である。この象のソケットを作ったのは、Dr. Wu Yeongchiという私の共同研究者であったりもする。


将来的には競走馬にも使えるのかという質問を受けました。おそらく、人間以外で市場が大きいのはそこだろうと思います。
実は私は競馬が好きです。賭け事が好きなのではなく、サラブレットの走る姿に純粋に惹かれます。もう10年ほど前になりますが、サイレンススズカという馬がいました。この馬はレース中の怪我で予後不良と診断され、安楽死処分されました。サラブレットは足一本でも失うと、生きていけないので殺されてしまうのです。おそらく、いろいろな人がこのような馬を救う為に研究されていると思いますが、いまだ成功例は聞いたことありません。いずれは携わってみたい分野です。

最後にこのような犬もいるということを思い出しました。なんとも微笑ましいです。


2010年6月8日火曜日

ASME Innovation Showcase

先週ピッツバーグにて行われたASME主催のInnovation Showcaseというコンペティションに参加してきました。このコンペは、全米のエンジニアリングを専攻している学生向けに行われているだけあって、さまざまな発明品をみることができた。全米の中から10チームがファイナリストに選ばれ、今回の発表会で勝者をが決まりました。

1位に選ばれたのは同じD-labの車いすのクラスを教えているAmos WinterのLeverage Freedom Chair。先進国で使われているような車いすは、途上国の舗装されていない道では使えないところに着目し、レバーをつかった推進機構を考えたのです。発表をみても納得のものでした。IDEAS Competitionなど、さまざまなコンペで受賞されています。作られた車いすは非常に単純なものですが、普及プロセスはかなり進んでおり、具体案もかなりできあがっていたので、その実現可能性が評価されたのだと思います。

2位はまたもやMITの機械科の授業でうまれた6dot braille Labelでした。このデバイスは目が見えない障害者の方が簡単に点字のラベルを打てるという発明です。これもIDEAS competitionなどのコンペで受賞されているもので、ものをつくった学生たちは現在スタンフォードの修士に進学しているために、スタンフォードからの参加という形になっていました。すでに起業している強者たちです。

3位はデトロイト大学のSEALEというデバイス。正直、なぜこれが受賞されたのかがまったく理解できなかったです。ほかにもおもいろい発表がたくさんあったのですが。。

我々は残念ながらまたもや無冠でした。我々は正直ものは作ったものの、現地での試験や普及という点ではまだまだ未熟であるのは事実です。他のものと比べると圧倒的に実績がちがうなと思いました。勝負に負けるということはくやしいですが、ファイナリストに選ばれたということはうれしいことには違いないので前向きに考えて、今後の活動の糧にしたいと思っております。

# ASME Innovation Showcase

先週ピッツバーグにて行われたASME主催のInnovation Showcaseというコンペティションに参加してきました。このコンペは、全米のエンジニアリングを専攻している学生向けに行われているだけあって、さまざまな発明品をみることができた。全米の中から10チームがファイナリストに選ばれ、今回の発表会で勝者をが決まりました。

1位に選ばれたのは同じD-labの車いすのクラスを教えているAmos WinterのLeverage Freedom Chair。発表をみても納得のものでした。作られた車いすは非常に単純なものですが、普及プロセスはかなり進んでおり、具体案もかなりできあがっていたので、その実現可能性が評価されたのだと思います。

2位はまたもやMITの機械科の授業でうまれた6dotでした。これは
我々は残念ながらまたもや無冠でした。

2010年5月27日木曜日

IDEAS comtition反省編

ここにIDEAS competitionの結果について簡単にまとめてみた。
我々のプロジェクトExo-Kneeは残念ながら無冠に終わったけれども、final proposalのフィードバックが帰ってきたので、ここに来年のためにreflexionをしてみた。

-英語がnativeではない。
これはごもっとも。時間がないので、ばーっと書いてみてチームのメンバーでネイティブの人に添削を頼んだけれどもおそらく彼があまりみてくれなかった(?)やはり、他人に頼りすぎずにしっかり時間をかけて書く必要があると思った。あと、言い訳になるけれども締め切り数時間前に一旦提出して、そのあと全体を見直したあとに再提出しようとしたら一度しか受け付けてくれないシステムだった。

-proposalの中に"I"と"We"がまじっている
これは文章を自分で書いているときに、どうしても潜在的に思っていることがでてしまったらしい。要は義足自体はほぼ一人で作っており、最近メンバーにはいった友達と協力していただいているKopernikの中村さんは主に普及プロセスで協力していただいている。この役割をしっかりとするとともに、"I"は使うべきではなかった。

-インドでやるのか?カンボジアでやるのか?
普及プロセスがすこし複雑でクリアにジャッジに伝えることができていない部分が多かった。インドのJaipurfootと協力し、多くの途上国に手を伸ばすということをうまく表現したかったのだが。

-プラスチックではうまくいかない
これは、HDPEの特性を書いていなかったから。HDPEは一般的にプラスチックといわれている素材よりも強く、そして重い。インドでは多くのHDPEが使われている。

-LegolegとExo-kneeとの違い
Ken Endoとはだれか?という質問をジャッジングセッションときに受けた。義足に関して2つの違うアプローチをしているプロジェクトに同じ人物がいることにひっかかったらしい。あとから思ったことだけれども、この2つのプロジェクトを同じコンペに出すことはしないほうがよかった。

ほかにもいろいろと書いてあったが、手厳しいものだった。ただただ、自分たちの考えていることを10ページにクリアにまとめあげることが如何に難しいかということを痛感。そもそも義足はただでさえ市場が(他のメディカルデバイスとくらべると)小さく、ビジネスにすることが難しい。まして、Jaipurfootのようにすでに寄付でビジネスサイクルをまわしているところがあると、新しい利益の生まれるサイクルを考えることは非常に困難である。しかし、IDEASに参加したことで、新しいグラントやプロジェクトの話が舞い込んできた。ぎりぎりになって決めた参戦だったけれども、注目があつまるこのイベントに参加した価値はあったと思う。

もしいっしょに義足関連のプロジェクトをやりたいという方が連絡ください。おまちしております。

2010年5月16日日曜日

Designとデザイン

最近、いろいろなデザイナーやエンジニアと仕事をしていて思ったこと。日本語のデザインと英語のDesignは違う言葉であり、この言葉の違いによって偏った情報が広がっているように見受けられる。

日本で、「世界を変えるデザイン」という言葉を耳にする。間違いなくこの本が影響を与えている。

世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある
(2009/10/20)
シンシア スミス

商品詳細を見る


もともと、この本のオリジナルは「Design for the other 90%」というCopper Hewit National Design Museumで行われた同名の展示会のパンフレットのようなものである。この本の中に「デザインには世界を変える力がある。」というlona de Jongh氏の言葉があり、デザインで途上国で生活している人々の生活を劇的に改善することが可能であると力説している。事実、本の中には途上国向けに開発されたプロダクトの数々は紹介されており、機能と見た目を兼ね備えたものばかりである。

一方で、このデザインがプロダクトの普及に悪い影響を与えているという話もよく耳にする。洗練されたデザインをもつプロダクトには、計算された曲線美や調和された色が選別され、開発プロセスにも大きな影響を及ぼす。この行為は一般的に生産コストを高くし、現地生産のハードルを高くすることにもなる。現にKopernikで扱われているような製品は、現地で生産されてはいない。


以前、学部生のときにあるデザイナーと仕事をする機会があった。PINOというロボットである。当時ロボットにデザインをするという話はあまりなかったので、ロボットの性能はともかく、非常に話題になったことを覚えている。PINOのデザイナーは松井龍哉さんという方で、現在flower roboticsというデザイン事務所を運営している。あまり当時のこまかい話を覚えていないけれども「デザインとは花のようなものである。あってもなくても命にはあまり影響はないけれども、存在自体に人の心を豊かにする力がある。」というように、デザインの意義について話をしていただいたのを覚えている。会社の名前がflower roboticsとなったのもそこからきているとか。その後,山中俊治さんのようなデザイナーの方とも仕事をする機会があったが、自分のなかでどうもしっくり来なかったのが、技術者とデザイナーの間にくっきりとひかれた境界線だった。メディアラボに留学を決めたもの、ラボの説明会に参加したときに「アーティスト、サイエンティスト、エンジニア、デザイナーなど、状況によってすべてのhatをかぶる必要がある」という言葉を聞き、メディアラボでの研究を決めた経緯もあった。

留学してから、ずっと思っていることがデザインとDesignの使い方の違いである。一言にデザインというと、日本語ではプロダクトの外観をデザインすることのように聞こえる。もちろん、技術的なことにも関わってくるのだろうが、主に「デザイン」という言葉はプロダクトの「見た目」をよくするためのものとして使われる。IDEOのTim BrownのTEDのトークを聞いても、自分のやった1つの仕事を「技術に魅力的な外装をつけた」と表現した。

一方で英語でDesignというと、確かに日本語のデザインの意味も含まれるが、機械やビジネスプラン、会議などを作り込む作業にもDesignという言葉を用いる。その証拠に、Design for the other 90 %には、日本語のデザインとはかけ離れたものも紹介されている。D-labのCharcoal pressIDEのポンプがそれらである。去年出版された「Design Revolution」という本にもさまざまなDesignされたプロダクトが紹介されている。MITのD-labにもDesignのクラスがあるが、すべてがDIYの技術であって、日本語の意味でのデザインをしているプロジェクトは何一つない。

Design Revolution: 100 Products That Empower PeopleDesign Revolution: 100 Products That Empower People
(2009/10)
Emily Pilloton

商品詳細を見る



現在、Designのもつ意味すべてではなく、日本語のデザインがもつ意味が強くなり、広がりをみせているように感じる。もちろん、デザインには世界を変える力がある。しかし、デザインだけでは世界を変えることはできないと断言したい。(慶應では「世界を変えるものづくり」というクラスが始まるらしい。)

今日から「世界を変えるデザイン展」が始まるらしい。このような活動が増えるのはもちろん嬉しい。しかし表面的な展示会で終わるのではなく、ぜひともプロダクトの開発の背景にあるストーリーや開発プロセスにも注目してほしい。

2010年5月4日火曜日

IDEAS competiton 結果

残念ながら義足のプロジェクトから参加した2つのチームとも、無冠でした。敗因は、、なんでしょう。ちょっと自信はあったのですが、それだけにがっかりでした。

とりいそぎ、結果報告まで。

2010年4月26日月曜日

# 「本日締め切り」 技術はうそをつかない

先日投票をお願いした社会起業のビジネスプラン、MIT IDEAS competitionの発表会が本日4月6日に行われる。投票をお願いしたものの他のチームの票がものすごい勢いで伸び、残念ながら現在6位と遅れをとってる。それもそのはず、ブログやfacebookには宣伝させていただいたけれども、他にはあまり活動をしなかった。一方で他の参加者をみてみると、先週ずっと知り合いや知り合いの知り合いにまでメールを送りつづけ、投票をお願いしていた。自分にも他のチームの投票をお願いするメールが何通か届いた。




正直、この投票で賞金が発生するのには疑問があるのだけれも、それはおそらくコンペの本番で証明されるだろう。webには現在1500字しか書かれていないために、各チーム提案されているプロジェクトは一見すばらしいものばかり。しかし実物をみてがっかりする人も多いだろう。

我々が提案しているExo-Kneeという名前の義足は、インドのJaipurfootというNPOと一緒に開発したもの。

exo-knee2.jpg

ExoはExoskeletal(外骨格)を意味していて、外側に下腿素材を使うことで、人の膝のような形に見せることができる(これが現地の人には非常に重要)。そして、足が地面についているときには膝がロックされ、地面から離れているときには膝がフリーになる。言葉にすれば単純だが、それを形にするのにはかなりの時間が必要とされる。われわれはこの過程に2年間費やし、いろいろな実験を行ってきた。そして今年、この義足の長期大規模な試験を行い、来年以降からインドに普及させようとしている。義足は、ランプや水の浄水器とはちょっと違い、普通の経路で単純に売ることができない。それは価格だけの問題ではなく、義足を患者にフィットさせるための技術者、機材が必要となるからだ。われわれは義足の普及プロセスにもKopernikと協力して、アイデアを提案させていただいている。



2010年4月24日土曜日

はじめまして

先日IDEAS competitionについて、投票をお願いする記事を書きました。
その後、非常にたくさんに方の支持をいただきました。現在22チーム中5位に位置しています。
正直、他のチームの組織票を前にどうしたものか悩みましたが、投票よりも本質で勝負するということを考え、4/26にあるJudging Sessionをがんばろうということをメンバーと話をしました。

そのExo-Kneeとよばれる義足ですが、ASME主催のishowというコンペでセミファイナリストに選ばれました。

ishowとは学生を対象とした、イノベーションとアントレプレナーを推進するためのコンペティションです。同じファイナリストの中には同じD-labの仲間のAmos Winterが作ったLeveraged Freedom Wheelchairや義足のクラスを2008年に受講したKarina Pikhartもチーム内にいる6dot Braille Labelerもいます。これらの2つのチームはいろいろなメディアに取り上げられ、さまざまな賞を受賞している強敵です。他のチームのことは知りませんが、同じセミファイナルに残ってきたチームなので、すばらしいものであることは間違いないです。

Judging Sessionは6月5日、Pittsburghです。決勝もたのしみですが、念願のFalling Waterも見にいくことができそうです。楽しみ。

2010年4月21日水曜日

IDEAS competition、清き一票を

現在新しく作っている途上国向けの義足とその普及方法に関するアイデアを、MITのIDEAS Competitionに出しました。

test.png

IDEAS Competitionとは100Kと並ぶ、大規模なビジネスプランコンテストの1つ。ただし、このIDEAS Competitionは途上国向けの適正技術とそのビジネスプランに特化したものです。
このブログでも宣伝させてもらっています。

このプロジェクトでは、以前から開発しているExo-Kneeとよばれる膝義足の技術とその普及方法に新しいイノベーションが含まれています。詳しくはこのページのIdea Pitchを読んでみてください。
ほかにもおもしろいプロジェクトはたくさんあります。もしExo-Kneeを気に入っていただいたら、投票をお願い致します。

投票にはここで登録が必要です。MIT Friendとしてだれでも投票できます。

獲得賞金は夏に予定されている大規模な実地試験と今後の普及活動に使う予定ですどうかよろしくお願い致します。

2010年4月14日水曜日

3/20に行われた「大学」x「技術」x「BOP」日本発、世界を変えるイノベーションの様子が、youtubeに徐々にアップロードされています。その中で自分の発表をみてみると、相当テンパっていますね。ちょっとがっかり。

おそらく全部アップされたらここに記事がアップされるかと思いますが、とりあえず自分の分をはずかしいですがここで紹介しておきます。

発表1

発表2

発表3


パネル



自分が英語をしゃべっているのをはじめてみたかも。

近々、「遠藤さんロボットはもうやめたのですか?」と聞かれます。そんなこともなければ、ロボット大好きです。この発表の前日にも未来館にいってアシモをみてきました。そういう方向性も認めつつ、本当に役立つものがなんなのかというのを考え、BOPに目を向けたことが、エンジニアとしての原点回帰になりました。勉強は続けていますが、相変わらずビジネスは苦手です。起業はしないと思いますが、BOP関連のイベントにはたくさん参加しております。

このように興味が広がり、いろいろと手を出し始めると忙しくなり、仕事がまわらなくなったときに必ず「本職に戻れ」という言葉を思い出します。しばらくは、博士論文に集中しようかと。

2010年4月7日水曜日

予定がぎーっしり

忘れないうちに帰国したときに参加したイベントの振り返り。

3/18 Alliance for Global Sustainability, にて講演、パネル
非常に大規模な学術的イベント。非常におもしろい出会いがたくさんあった。東大のi.schoolは人間の学びの課程とその後起こるイノベーションを形式化することに重きを置くのに対し,MITのD-labは生まれてくるプロダクトがいかに社会に貢献するかということを重視している。この2つのアクティビティは非常に相性が良く、今後のコラボレーションが楽しみ。パネルから参加された槍目先生はこのような活動が、学術的に評価されにくいことに問題意識をもっており、これはわれわれが前から感じていたことでもあり、今後いかにしてパブリシティを増やしていくかというところで協業できそう。さらにその日の夜のバンケットで原丈人さんと話をする機会を得た。「やりたいこと(考古学)をやっていたらこうなった」といいながら、ものすごい質と数のベンチャー企業の記事をみせてくださった。どうやったらこうなるんだろう。すごい。。

3/19 ETIC 「途上国の問題を日本の最先端技術で救うにて」にて講演
中小企業からの参加を期待していたけれどもふたを開けてみたら、大部分が学生や個人の参加。それでもディスカッションはかなりの盛り上がりをみせた。始めにKopernik中村さん、MITD-labよりJoseから自分たちがもっている技術を紹介し、続いていかにその技術を改善するかというディスカッションをグループ別に行う。そこで、慶應ビジネススクールの岡田先生とBOP向けのビジネスモデルについて話が盛り上がる。現在、ものを直接ローカルの人たちに売ることは難しく、Kopernikのような寄付、Kivaのようなローン、あるいはグラミンのようなマイクロファイナンスを絡めたモデルが常套手段になっている。これを打破する新しいモデルとはなんだろうか? また同じグループに、黒川先生より以前からメールで紹介されていた三好くんと遭遇。BADO企画の世界一周に参加するらしい。なんでも個人向けの奨学金を考えているらしい。BOPでのマクロからマイクロへ目が向くトレンドにまた新しいモデルを提案している。ボストンでの再会が楽しみ。

3/20 「大学」x「技術」x「BOP」日本発、世界を変えるイノベーション 講演とパネル
以前1月に黒川先生に声をかけていただいてから、仲間といっしょに企画してきたイベント。登録者数250人を超える大きなイベントになった。自分の講演のあと、戦友金平さんがわざわざステージまできてくれてきつく包容。「義足のプロジェクト、進んでいてうれしいです」とお褒めの言葉をいただく。あまりに多くの参加者がいたために、自分を含めた講演者には常に人だかりができていて、講演者同士の交流があまりできなかった。九州大学のアシル先生ガイアイニシアティブ藤田さん、日本ポリグル小田さんなどただただお話がしたいだけだけれども、残念ながら一言も話すことはできませんでした。しかし、空想生活の西山さんとはイベント後にメールでつながり、明日NYでミーティングを予定。そこにKopernikの中村さんも加わり、おもしろそうなことが起こりそうな予感。片道4時間のバスも苦にならないです。書き忘れてはいけないのが、親友和博がきてくれたこと。スライドの彼に関するスライドも織り交ぜ、紹介することもできた。こういったことは単純にうれしい。
いろいろな方々がブログなどにまとめてくださっている。
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3/21 バスケ部後輩の結婚式
たまたま日本にいることを聞きつけた高校時代の後輩からメールをもらい、ドタサン。おそらく無理をいってもらって披露宴からの参加。東京か沼津かと思っていたらまさかの浜松。ひさびさにバスケ仲間に会えたし、参加できてよかった。本当におめでとう。

3/23 グローバルアジェンダゼミナールのゼミ生へ講演
帰国数週間前に、グローバルアジェンダゼミナールのゼミ生の一人からメールをいただいた。彼は昔所属していた研究室、北野共生システムプロジェクトの研究者だったが、現在はコンサルに勤めていた。なんでも黒川先生から僕の名前を聞きつけ、たまたま知り合いだったということもあり、今回の場を用意してくれた。場所がアカデミーヒルズ。六本木ヒルズの49階。眺めもよく、窓から東京タワーも見えた。このころになって、一連のイベントに参加する方々はきまっているということに気づく。NHKのキャスターの方にも会えた。

3/25 国連フォーラム「私の提言」 パネル
今回の帰国最後のイベント。Kopernik中村さんに紹介されてOKしたものの他のパネルがすごい方々だったので、非常に恐縮してしまった。しかしモデレータUNDPの西郡さんがうまくリードしてくださり、非常にいい雰囲気で、かつ非常に盛り上がりをみせ、2時間30分の時間が足りないと感じるくらいだった。すべてのパネリストの話がすばらしかったのだけれど、その中でもたまたま数分話をする機会があったHASUNAの白木さんの話に非常に感銘をうけてしまった。途上国では宝石や金属を採掘するのに、現地の人々がひどい扱いをうけているらしい。フェアトレードで扱われたものだけをあつかったジュエリーを扱っているのが、HASUNAである。結婚される方がいたら、ここで結婚指輪をオーダーしてみてはいかがでしょうか?
ここでのtweetがここでまとめられている。


ここに書いたことは、今回の帰国のほんの一部。総括すると、非常に面白い出会いがあったのは事実だが、毎回同じメンバーが違ったイベントに参加しているようだった。昨今日本でBOPという言葉がメディアで取り上げらるようになり、盛り上がりをみせているがまだまだ個人レベルで企業や大学、国といった組織を動かす大きなムーブメントにするためにはもうひとふたステップの工夫と行動が必要かと思った。この盛り上がりが空虚のまま終わらないうちに、アメリカからも横やりをいれつづけたいと思う。

2010年3月26日金曜日

日本滞在速記

16日から26日まで日本に滞在している。今回の滞在は主に、というかすべてD-lab関連の発表とミーティングがぎっしりつまった出張だ。到着と出発の日をのぞけば9日間しかないにも関わらず、5つのイベントで発表することになった。この分野の盛り上がりを感じるとともに、日頃活動している方々の熱意も伝わってくる。それと同時にいろいろは方々と話をしていると、どうしても自分のやっていることがまだまだ未熟に感じるようになり、精進せねばと改めて思うようになった。

今日以下のようなパネルディスカッションに参加する。日本滞在の最後の仕事だ。
「私の提言」パネルディスカッション

このイベント、参加募集を初めて2日間で80名の定員が満席になってしまったのだ。もともとはKopernikの中村さんからメールを頂き、あまり考えずにOKしたところ、他のパネリストの略歴があまりにもすばらかったので、どうなるものか今から非常に不安。

今回の滞在で本当に感じているだが、BOP向けに活動をしている人たちは所属している会社や大学の中で形見の狭い思いをしているということ。おそらく、アカデミアでもインダストリーでも評価されない、あるいは評価されにくいからだ。その逆風の中でも強い信念をもって立ち向かっているみなさんの姿勢に共感せざるを得ない。

ちゃんとした滞在記は帰国後こっちに書く予定。

2010年3月7日日曜日

去年の12月、ほとんどの研究室が古いメディアラボの建物から新しい建物に引っ越した。
そして昨日と今日、そのオープニングセレモニーとして、昨日が関係者向けのイベント、そして今日が一般向けのイベントがあった。

New home for innovation, design, and the arts
Media Lab Complex formally opens this week


cnetより
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関係者向けのイベントでは、自分を含む学生はオープンハウスで自分の研究をお客さんにデモを行った。引っ越してからの初めてのデモだった上に、初めて3つのグループが同じスペースでデモを行うということだったので、準備に非常に時間がかかった。昔のメディアラボを見たことがある方は知ってるでしょうが、昔Cubeという広いオープンスペースを複数の異なる研究グループがシェアすることによって、グループ間のインタラクションが生まれた経緯がある。このアイデアを用いて、新しい建物ではcubeのようなオープンスペースが複数個あり、そこに3,4つの研究プロジェクトが共存するシステムを採用している。さらに、外から窓越しにオープンスペースの中をみれるので、建物自体が大きなショーケースになっている。さらにさらに、いままでにない太陽の光がどのスペースにも行き届くので、いままで地下にいた我々のグループにとっては、まぶしいくらい明るい空間になっている。

デモのあとは6階のカンファレンスルームでMITのpresidentのSusan Hockfield氏、建物を設計した槇総合計画事務所槇文彦さん、そしてメディアラボのFaculty数名によるトークが行われた。

その後、幸運にも槇さんと副所長の亀本ゲイリーさんとお話をする機会を得た。私は、沼津市にある加藤学園暁秀初等学校が母校なのだが、この建物は実は槇総合計画事務所が設計した建物であった。この話をしたときにゲイリーさんに「この建物と似ているでしょ?」と聞かれ、確かにそう感じていた。その小学校も「カベのない学校」というキャッチフレーズのとおり、大きなオープンスペースに2つの学年が共存して、部屋の別々の場所で違う授業が行われているのである。その結果、クラスや学年、先生の間にかべを感じることはなかった。子供のころはそれが普通だと思っていて、中学に入学してから、"普通"の教室にびっくりしたものである。小学校のときの感覚は、この新しい建物にも共通するもので、プロジェクト間のかべはまったく感じなくなった。これまで、我々が地下にいて孤立していたからもしれないが。。。そしてちゃっかりツーショット写真もとっていただいた。

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次の日、朝から一般向けのイベントが催された。槇さん、ゲイリーさんをはじめ、建設に携わった方々のトークとパネルが行われた。その中で、いろいろな建設のエピソードを聞くことができた。

まずは、旧メディアラボよりも狭い敷地内により多くのコンテンツを詰め込むのに、日本人がいいだろうということで槇さんに白羽の矢があたり、メディアラボの教授William Mitchell氏が日本へいってお願いをした。

フランク・ゲーリー氏Stata Centerとの比較が良く話しに出てきた。Stata centerは外部の人が一階を歩き回ることができることに対し、新しいメディアラボは6階まで階段であがることができ、さらに研究スペースをガラス越しにのぞくことが出来る。Stata Centerは外部も内部もplayfulなのに対し、新しいメディアラボは外側はseriousに、そして中はplayfulに仕上げた。これはとなりのI.M. Peiが設計した旧メディアラボと並んでもおかしくないような外観にするためである。そして、新メディアラボの窓の外側に並んだすだれのようなものは、槇設計事務所であるヒルサイドウエストと同じもので、窓からは適度に太陽光を遮断し、居心地の良い空間を作っている。

新しいメディアラボの写真はこちらこちら

この二日間、槇さんのトークを2回聞く機会があり、槇さんは同じことを二回繰り返した。

「この建物を完成できたことを例えていうなら、今81歳である自分がまた現役選手としてオリンピックに出場し、自己最高のスコアをたたき出すことができたということがいえる。」

歳からは考えられないくらいアクティブで、話しかけると非常に気さくな槇さんでした。

2010年3月3日水曜日

去年さんざん日本へ帰ったけれども、また3月中に日本に帰ることになった。
以下のイベントに参加するために、3月の中旬から後半にかけて9日間ほど日本に帰る予定。

3月18日
AGS Annual Meeting 2010
18日午後のパラレルセッションにて発表、パネル参加予定

3月19日
経営者・法人向けセミナー
「途上国の問題を日本の先進技術で解決する」
発表予定

3月20日
午前中D-labと義足のクラスについて発表予定

3月25日
「私の提言」 パネルディスカッション
パネリストとして参加予定

今回はD-labの仲間といっしょに帰る予定だが、彼はこのタイトなスケジュールの合間を縫って、築地に行きたい、アシモに会いたいといっているので、一緒に観光も予定中。自分の時間がなかなかありません。それでも21から24までは実家に帰ることができそう。今回帰国のすべてが本業の研究に関してではなく、途上国向けのイベントというのが少し寂しいですが、本当にさまざまなところで発表させていただくことになり、感謝しきりです。

いますが、話を聞きたい、ぜひいっしょにやりたい、とりあえず飲みたいなどありましたら、連絡ください。

2010年2月16日火曜日

今年最初の記事

今年初めての記事。
今年はPh.D課程5年目。5年目というと普通長いんじゃないかと思う人が多いようだけれども、おそらくアメリカの博士課程は平均5,6年であるといわれている。
つまり、今年卒業したい。

今年もよろしくおねがいいたします。

2010年1月31日日曜日

ボーダーレス

最近周辺のネット環境のインフラが飽和するにつれ、それを取り巻くソフトウェアの種類が圧倒的に増えた。その進化が、自分のような研究者だけではなく、ネットに関わるすべての人の生活を激変し続けている。自分はその波にいまにも飲まれそう、いや飲まれかけているのであるが、他の人たちはどうやって適応しているのだろう。

渡米前から、日本ではmixiやgreeのようなSNSが大流行した。しかし、使用するための労力と更新しなければならないという重圧から、利用者の使用頻度は減りつつある。生き残りをかけて、greeはソーシャルゲームコンテンツ、mixiはmixiアプリを始め各自奮闘している。そして、最近ではmyspaceやfacebookのようなもちょっとゆるいつながりを持つことができるSNSの利用者が増えた。mixiのような人との強いつながりは捨て、広く浅くを実践しているようなSNSである。大学内ではこれらを利用して、イベントや授業の告知をも行っている。さらにLinkedinのような、学歴や職歴を記述するような、ビジネスライクのものまで広がってきた。

情報発信ツールとして、blogは以外と昔から使われている。個人が情報を手軽に発信できる反面、発信した情報が一般公開されるため、多少の危険を伴うことも多々あるようだ。

遠隔地の人との直接的なコミュニケーションツールとしては、msnメッセンジャーやgtalk、appletalkがよく使われていたが、これもPCにwebcamが付随するようになり、相手の顔をみながらのチャットや会話までできるようになった。そして、skypeはこれらの浸透を加速させた。また、ネット会議システムとしてポリコムが現れた。これにはほんとにお世話になっている。

そして、最近ではただのつぶやきを友達をシェアできるtwitterが広がりを見せている。twitterの広がりにつれ、ただのつぶやきだけでなく、写真や動画をもシェアできるようなサービスまで現れた。最近では、友達のつぶやきだけでなく、利用者がつくったリストをフォローすることも可能となり、ゆるいチャット会議システムのようなものまで利用できるようになった。


これらの進化は、もちろん開発者がすばらしいのもあるが、おそらく利用者がいろいろな形でソフトウェアを進化させてきたというのが驚くべきことである。

たとえば、最近メディアラボで行われたTEI10という学会の話である。この学会はすべての発表をリアルタイムでstreamingし、全世界の人が見れるようになっていた。そして、オフィシャルのtwitterのハッシュタグを更改し、参加者や視聴者のつぶやきをみんながみれるような環境を作った。自分は研究分野がまったく異なり、正直興味もなかったが、ムービーをみながら、参加者のつぶやきをみていると、あたかも自分が学会にまたちがった形で参加しているような感覚を受けた。twitterがダイナミクスを持つようになり、発表中に会話や情報交換をするという、実際には難しいことができるようになるのである。もちろん、好き嫌いはあるだろうけれど、意外とためになる情報やリンクがつぶやかれるため、自分は無視できない。そして、自分の場合は会場にはいないが、同じ建物にいるために、実際につぶやいている人との出会いもあった。

そして、最近発表されたipadに関しては、streamingサイトが落ちるほどの膨大な数のネットネット難民がjobsたちののプレゼンに注目した。動画はみれなくなったが、かわりにスライドをリアルタイムでアップしているサイトもtwitterで紹介された。

こうして、インフラを駆使して、情報収集していると、どうしても情報整理に時間がかかる、研究に集中できない、などのような問題も発生する。情報をどうやって処理するかという問題を処理するのもやはりテクノロジー。最近ではevernoteにお世話になっている。これはとりあえずどっかにおいておきたいという情報を保存しておくのに非常に便利で重宝している。また最近では大きなサイズのファイルを共有するためにdropboxのようなものまである。5年後、どんな構図になっているのだろう。googleがすべてを飲み込んでいたりして。