2007年12月31日月曜日

今年も年越しをアメリカで過ごすことになりました。というのも1月にラボのイベントがあって、そこでプレゼンをすることになり、帰国する期間を1月の中旬にしたから。でも、やっぱり長くはいられないのですぐに帰ることになりそう。夏の帰国のときはSTeLAのためにずっと東京近辺にしかいれなかったので、今回は実家でゆっくりしたい。。。

秋セメスターも無事におわり、ほっと一息。スキーにいったり、知り合いの家におよばれしたり、休日にもアドバイザーにラボへおよばれしたりと、充実した日々をおくっております。


ここでバスケ話。最近よく「セルティクス、今年はつよいね~」っていう話を耳にする。確かに強い。去年は本当に弱かったから今年はかなり強くなったイメージがある。でも一昨年まではずっとプレイオフにもでてたし、弱くはなかったはず。うまい2人がきたから強くなったとか、そんなのずるいっていう人もいるけれど、試合を見る限り、Big 3がそこまで無理している印象はない。事実、Ray Allenがけがをしても、ちゃんと連勝をしている。その理由は、ディフェンスがいい、ベンチプレーヤーも得点できる、Rondoの成長などいろいろあるけれど、まだSpursと対戦してなかったり、ピストンズには負けているなど、気になる点もたくさんある。。。けれど、やっぱ地元チーム。応援するしかないです。

もう一つバスケ話。今年の夏にD-leagueのBakerfield JAMから解雇されていた、田臥がAnaheim Arsenalに登録され、試合にもでているらしい。これは日本でニュースになっているのだろうか??? とにかく、プロテクトされていながら不運にも解雇された田臥がまだアメリカでバスケを続けていることは本当にうれしい。おれが高校3年最後のインターハイのときに、彼は高校1年生にもかかわらず、能代のスタメンとしてプレーをし、みごと優勝。彼が高校3年のときのウィンターカップ決勝では、彼を一目見ようとものすごい数の観客が東京体育館に集まった。高校バスケといては異例の事態だったはず。いつか彼のプレーをもう一回生でみてみたい。できればNBAで。

2007年12月17日月曜日

セメスターも終わりにさしかかり、テストに集中しなければならないこの時期、毎年ものづくりをしている気がする。

去年は理科大の照明展に出展するためのものを作っていた。それがこれ。3色LEDが周期的に色を変えつつ、周囲の明るさによって、花が開いたり、閉じたりする花。名前をkzlightと名付けた。由来は省略。

今年も理科大の照明展に何をだそうかといろいろと考えていたのだけれど、結局いろいろあって断念。その代わりに東京大学の制作展に出展することになった。正確にいうと、知り合いとの共同制作という形をとった。

共同制作って書いてあるけれど、実際にアメリカでできることはかぎられていて、ただハードウェアを作って、送っただけ。あとはマイコンのプログラムの書き換え、デバッグくらいしかできなかった。こっちで簡単にできることを、回路の知識のない人に、しかも遠隔地でやってもらうというのも無茶な話だったけれども、なんとか会期に人にみせるものはできあがったらしい。(おれは実はまだあまり実物が動いているのをみていない。。。)

そんな中できあがった作品がこれ。
tree2.jpg

(共同制作者の日記より拝借)

作品の細かい説明はこちら


この作品は、顔検出や目の開閉チェックを行ってLED電飾が様々な光り方をするクリススツリーです。近づいたり離れたり、人数が増えたりすると、電飾の色が増え、そし近くに寄って目を閉じて祈ってみると、電飾全体がゆっくり点滅を始めます。その後、それまでに祈った回数に対応する個数のボールが「ログ」として光り続けています。

また、会場にある解説等では詳しくは言及していませんが、この作品には「平和への祈り」というコンセプトも含まれています。作品の制作過程で2人でクリスマスについて話している中でジョン・レノンの「Happy Christmas(War Is Over)」という曲にたどり着きました。作品タイトルもこの曲の導入部分を引用したものになっています。

クリスマスというと、特に日本の場合だと恋愛のイメージが強かったり、ついつい自分がその日幸せでいられるかどうかが重要になっているように思います。でも、時にはこんな日に争いのない世界のことや、平和について考えてみても良いのかもしれません。

祈った回数に応じて増えていく光るボールには、「たった1人では出来ることが限られているけれど、多くの人が1人1人心から願うことで、世界を変えることができるのでは?」という想いをこめています。




ただ、おれがジョンレノン好きなだけで、こんなコンセプト案を採用してくれてありがとう。

そして、余ったLED、マイコン、ケーブル類を使ってミニクリスマスツリーを作って、自分の部屋に飾ってみた。もみの木は、アメリカでは普通のスーパーにもうっているのだけれど、意外に小さいものはなかなかみつからなかった。それで、昨日たまたまいったtrader joe'sで見つけた12ドルの小さい木。alberta spruceというらしい。

christmas tree


うーん。もうちょっとLEDを足すか。。。。。

2007年11月9日金曜日

もう2週間前になるけれども、先日のHeinz awardの時にきまったラボの旅行にいってきました。

場所は、ニューヨーク州にあるMohonk mountainというリゾート地。みためものすごい立派な場所だけれど、リンク先にあるお城みたいなところにはとまらず、ぼくらはちょっと離れたキャビンにとまった。(ちなみにうちのアドバイザーはお城にとまったらしい。。)ラボのほとんどのメンバーが参加する3日間の旅行、初日は移動日、2日目はハイキング、3日目はロッククライミングで、朝食、夕食はラボのメンバーが持ち回りで作るという、普段の生活とはまったく違うイベントだった。

初日には車にアメリカ人、日本人、韓国人の組み合わせで移動。車の中ではずーーっと、アメリカ人のiphoneを使って、韓国人がwonder girlsのyoutubeを見ていた。10代の女の子の話に盛り上がる韓国人約1名とそれをちょっと引き気味に話しを聞く約2名。それでも楽しく4時間の移動時間を過ごすことができた。

2日目。湖の周りをハイキング、と思いきや軽くロッククライミング。

labretreat1.jpg


絶壁の合間をただひたすら登り続けて2時間ほど、やっと休憩。そして、壁を見つめながらアドバイザーが一言。
「明日これくらいの壁をのぼるから。。」
えっ、こんな平面を??みたいなどよめきがちょっとあってから、やっぱ冗談だったみたい。その壁は彼がまだ登れていない難しい壁らしい。そんなの登れるわけないし。。。



そして、その夜はぼくと中国人が夕食当番。ラボのみんなが中華料理と日本料理を期待していたので、肉じゃがをつくってみた。あとアスパラガスをニンニクと油でいためた中華っぽい料理。一方中国人がつくった料理は。。。。。。

labretreat2.jpg



なんと、パスタ。。中華料理じゃないじゃんというブーイングもまったく気にしない中国人。まー、うまかったから文句はないかな。


��日目、なんと車の都合でロッククライミングには参加せずにボストンへの帰路につく。メンツはまた同じ3人にもう1人のアメリカ人。話しの内容はいわずとしれたwonder girls。Tell meという曲の出だしのダンスが韓国でものすごい人気らしい。うーん、微妙。。。

ただ、このときにずっとみていたiphoneをどうしても欲しくなってしまい、ついに購入。TIME誌の今年の発明にも選ばれたし、やっぱ人気。学生の中ではやっぱりhackするのが楽しいみたい。いろいろと教えてもらったけれど楽しすぎる。現在hack toolとfirm wareのいたちごっこがつづいているけれど、来年の2月にはSDKが公開されるみたい。どんどんいじるのが楽しくなりそう。。。

2007年10月23日火曜日

この時期になるとラボが急に慌ただしくなってくる。
スポンサーウィークに向けて各ラボが準備をし始めるから。うちのラボは比較的楽な部類だと思っていたけれど、急にスライドを準備しなければいけなくなったり、作りかけの膝のデバイスを仕上げるようにいわれたりして、やっぱり忙しくなった。その上に中間試験。

スポンサーウィークは学生にとっては、他の研究室を見るいい機会。そして毎日フリーフード。それだけが楽しみ。今年はOLPCの発表をみる機会があった。このプロジェクトはかなり有名で昔は100ドルPCとかいわれていたけれど、いまはXO laptopっていわれているらしい。スポンサーウィークの最初の講演がそのプロジェクトに関してで、PCのスペック、インストールされているOS、ソフトウェアについて説明が行われた。そのPCが11/12から一般にアメリカとカナダで売り出されるらしい。というのもやっぱり大量生産が始めるにあたって、発注が予想を大幅に下回り、Give 1 Get 1 というキャンペーンを始めることになった。つまり、2つかって、一つを発展途上国に寄付してもう一つをもらえるというもの。価格も399ドル。奇しくもiphoneと同じ値段。

たぶん買ってもあまりつかわないだろうけれど、やっぱこういうのは欲しい。。。。でもiphoneも欲しい。。。葛藤しています。


そんな中、メーリングリストにあるサイトを紹介する一通のメールが。
OLPCでいろいろなポジションでjobのオファーがある模様。ここで働きたいとは思わないけれど、こういうプロジェクトに関わりたいというのは正直あるかな。。こういうところにインターンってできないのだろうか。。。。

2007年10月14日日曜日

近況1

この数週間いろいろなことが起こったけれど、まったく書けなかった。。。忘れないうちに、書いておきます。自分のために。。。。


9/29
前々からバスケ仲間と企画していたバスケットのトーナメントを開催した。モチベーションは自分たちが参加できるバスケの大会が少ないから。あまり大きなイベントではないけれど、体育館を一日貸し切ったり、スポンサーを集めたり、参加者への告知など、一通りイベント運営を行った。やっぱり、ただバスケをやるとなるとお金を集めるのが難しかったため、International Alliance For Youth Sports (IAYS)と協力してチャリティートーナメントという名目で行った。ここは発展途上国など、スポーツをやることすら困難な地域に、ボールやバットなどの道具を寄付してスポーツをプロモートする団体。はじめはただただバスケのトーナメントを開催したいとだけ思っていたけれど、スポーツが世の中に及ぼす影響力を学んだ。

たとえば、サッカー戦争。もともと火種はあったとはいえ、戦争のきっかけとなったのはワールドカップの試合。

たとえば、オリンピック。五大陸の平和を願うためのこのイベントも政治の影響を受けざるを得ない。。


他にもいろいろと話を聞いたけれど、ここに長々と書くと本当に自己満足になってしまうので省略。ただ、感銘をうけたのは、「スポーツはただの代理戦争ともなりえるし、世界平和へのkeyにもなりえる」という言葉。



9/30
そんなスポーツの祭典ともいえる、ボストン日本人会が開催するソフトボール大会。実はMITのチームは去年のチャンピオン。。。(といっても決勝は雨のためじゃんけん。)

予選は順調に勝ち進んだけれども、準決勝でぼこぼこにやられる。3位決定戦でかろうじてかって3位。それでも実は大満足。

実は去年の大会の前までは全く勝てなかったチーム。練習をやっても4,5人しかこないのは当たり前。そこまで情熱をそそいていないというのも事実。だけど、去年の大会からなにが起こったのかわからないけれど、全く負けなくなった。準決勝こそ負けてしまったけれど、初年からの通算負け試合数はその1試合。たぶんノリと勢いだけで勝っているだけだと思う。悪ノリってこわい。だから本当に強いチームとやるとぼこぼこにやられる。。


おまけ
大学バスケを卒業してから、多分一番よく一緒にバスケをやっていたdaiが教員試験に合格。三度目の正直らしい。何でもそつなくこなして、うまくやっていく人もすごいとは思うけれど、彼のように失敗しても周りの目にも負けず、腐らずに、最後には本当に達成してしまう人のほうが尊敬してしまう。
本当におめでとう。

2007年9月21日金曜日

Heinz...

ある日、ラボの友達が
「Hughが大きなお金をもらうらしいよ。。。」

という話を聞いた。それが何のお金かよくわからなかったのだけれど、今年はまだラボでの大規模な食事会がなかったので、今年はどこにいくのかと期待をしつつ、全体ミーティングを迎えた。

この日はセメスターが初めってから最初のミーティングだったので、ラボの新メンバー紹介、プロジェクトの進捗状況、そのファンドの期限など毎年やっていることから始まり、途中でケーキがでてきた。もちろんHughがお金をもらったから。そして、ラボの食事会でどこに行こうかという議論になった。去年はボストン近辺のクルーズだった。。らしい。(日本に帰国中だったからいけなかった。。。)あーだこーだいっているうちに、食事会の話は消えて、10月にみんなでロッククライミングに行くことになっていた。何度も書いたけれど、Hughはかなりすごうでのロッククライマー。そのHughがどっかすごいところにつれてってくれるらしい。どうなることか。。


あまりにもお金という言葉ばっかつかってしまったので、その出どころをちゃんと調べてみた。
Herr wins $250,000 Heinz Award
Heinz award

Heinz awardとはTeresa Heinzが元夫に敬意を表して、1993年に設立したもので、各分野で活躍した人に送られる賞らしい。ちなみに金額は$250,000。

Teresa Heinzは現在はケリー元大統領候補の奥さん。その前は、H. John Heinz IIIの奥さんだったらしい。両方も有名な上院議員だけれど、Heinzはケチャップの会社で有名。

そんなすごい名誉をただの食事代にしようとしてごめんなさい。。。

2007年9月15日土曜日

昨日、ボストンからちょっと離れたGillette stadiumへ、ブラジル対メキシコの親善試合を見てきた。

親善試合といっても、ワールドカップ予選直前の試合で両チームともフルメンバーに近い状態で試合が行われた。(らしい)

この試合があるということを、知り合いに知らせたのはいいけれど、自分は日本にいたので、任せっきりにしてしまった。それにも関わらず、無事にチケットを購入したという連絡をもらっていたのでかなり楽しみにしていた。。。。

研究室でミーティングがあったので、MITを出たのが6:30。試合開始が8:30だったのでちょっと間に合うかどうかという感じで出たのはいいけれど、ちょっと車を走らせてからさっそく渋滞にはまる。いつもの通勤ラッシュかと思いきや、じつはこれがスタジアムまで続く。

スタジアムにつくまでにいろいろな光景を目にした。目があっただけで異常に盛り上がる南米系の人たち、ボールの形をした帽子をかぶってすずしげに運転しているおっちゃん、路肩を走らせて捕まる車、路肩を走るのはいいけれど、警察車両をみつけて慌てて戻る車、路肩でさえ渋滞にはまる車、事故って路肩に止めてある車のそばでさびしそうに立っている家族、ブラジルのユニフォームを来た人たち、途中でエンストをおこした車のそばで落ち込んでいるメキシコのユニフォームをきたカップル、渋滞にしびれをきらせて残り4マイルで車をおりて走り出したのはいいけれど、ちょっと遠くて途中疲れて歩き出している男たち。

なんだかんだでついたのは後半残り10分。ついたとたんにロビーニョ、カカが交代。なんてこった。。でもロナウジーニョはみれたし、22番(だれかはしらない)が点を決めるのを見れた。

brazilvsmexico1.jpg

brazilvsmexico2.jpg


試合後も駐車場からでれるのは時間がかかると思ったので、ちょっとスタジアムでゆっくりしていると、とおくのほうから盛り上がっている声が聞こえてきた。さすが南米。試合が終わっても騒ぎはおさまらないみたい。。

車にのって、帰ろうとおもったけれど、周りの車がまったく微動だにしないことに気づく。あとでしったけれど、他の駐車場の車がでるまで、ぼくたちがいた駐車場の車はまったく外にだしてもらえなかったらしい。試合終了が10:30くらい。結局駐車場をでれたのが夜中の1:30くらい。

高速にのったあとは、車がながれだしたのでこのままボストンに帰れると思ったけれど、まさかの渋滞。原因は道路の白い線を塗り直すために車線が1つしかなかったため。試合の日にやってほしくなかったor調べられるなら調べてくればよかった。。。

brazilvsmexico3.jpg


結局家についたのが夜中の4時。考えてみれば、家を出てからだいたい9時間半。たった10分のためにこんな時間かけて見に行くのはちょっと割にあわない。。。。。

boston globeの記事

記事によると67,584人がスタジウムに集まったらしい。それにしてももうちょっとうまく運営できないものだろうかね。。

2007年9月10日月曜日

今日は知り合いがボストンにくるということになっていたので、NYCのRENTへのお誘いも断っていたのに、知り合いが来れなくなったので、代わりに別の知り合いからMITOC(MIT outing club)のイベントに誘われたので、white mountainにhikingに行ってきた。

実は、本当はロッククライミングにいくはずだった。でも、当日の朝に雨が降ってしまったため、ロッククライミングは中止になってしまった。岩が濡れると登れないらしい。そりゃそうだ。

ロッククライミングといえば、うちのアドバイザーHugh Herr。何度か書いたことあるけれど、Hughは17歳のときに事故で両足を切断した。それでもめげずに今でも登り続けているクライマー。
hughcliming.jpg
hugh_herr_smallFeet.jpg


最初は話を聞いたときには、義足をつかってなら大したことできないんじゃないかと思ったけれど、写真や動画みてみるとかなり本格的でびっくりした。彼に誘われて、MITの中の室内の設備で練習をしたことはあったけれど、本物の岩を登るということだったので、かなり楽しみにしていたけれど、雨のため断念。せっかくNew Hampshireにきたので、近場のハイキングコースに行くことにした。

MITOC2.jpg

MITOC1.jpg


歩き始めは、雨もそこまでひどくなく、勾配も緩やかだったけれど、途中から雨もはげしくなり、足場も濡れて、かなり激しい登山になった。途中ロッククライミングみたいになるところもあった。濡れた岩場はものすごく滑るため、みんな這いつくばって登っていた。そんななか、自分の靴はなぜかまったく滑らないということが判明。すいすいと登って行くことができた。Nike free、white mountainの濡れた岩場におすすめ。

最後はずぶぬれになったけれど、不思議な達成感を感じつつ、早々とボストンに帰っていきました。次回はぜひ本物の岩に登りたい。。

2007年9月8日土曜日

photostatic

時差ぼけです。日本から帰ってきて1週間がたった今、、研究も本格的に再開し、授業が始まったんだけれど、早起きがとまりません。今日の起床時刻は朝の4時。いくら早起きとはいえ、もう2時間くらいは寝ていたい。窓の外を見てみても、日の出はまだ。

boston_morning.jpg


このセメスターは授業を1つだけとって、研究に集中するようにアドバイザーにいわれたので、授業に関してはちょっと楽観的。この2週間日本にいたので、ひさしぶりに研究室にいってみると、どうもメンバーの顔ぶれが違う。新学期なので新メンバーがラボにきて、仕事をすでに始めていた。それにしても、メンバーがだいぶ変わったのでとなりのメキシコ人に話をきいてみると、今年はポスドクが3人、修士の学生も1人ファンドの関係で契約を更新できなかったらしい。自分が長い時間日本にいたにも関わらず、知らないうちに契約更新してくれたアドバイザーに感謝すると同時に、自分の研究を進めて来年の契約更新へむけて、アピールしなければ。。。。


ちょっとつかれてmedia labの3階のカフェにいくと、窓からとなりの工事現場がよくみえる。ここは数年後にmedia labの新しい建物が建つらしい。数ヶ月前に工事が始まったばかりなんだけれど、まだまだ時間がかかりそう。自分が学生でいる間に完成してほしい。

newbuilding.jpg



窓の近くに、新しい建物の設計図とか間取りらしきものがあるけれど、いまいち見方がよくわかりませんでした。

新しい建物についての記事 1 2

2007年9月3日月曜日

帰国するといっておいて、連絡しなかったみなさま。ごめんなさい。
もうちょっと時間がとれると思っていたんだけれど、まったく時間がありませんでした。

今回の帰国の目的は、STeLA Leadership forum 2007


これは、MIT、Harvard、東大、東工大、慶應などの理系大学院生を40人東京に集めて、グローバルな諸問題に挑むリーダー人材を育てようというもの。講義、討論形式のリーダーシップ研修素材と、企業のラボや工場見学、チームで結構手の込んだ装置作成プロジェクトに加え、尾身財務大臣(元・科学技術政策担当大臣)をはじめ科学技術にかかわる著名人をゲストに招いた10日間のハードコア強化合宿企画。科学、工学系の学生に加えて、ビジネス、政策等幅広なバックグラウンド、出身国は11ヶ国に渡る参加者・主催者を日米の大学から集め、1年半かけて運営母体の組織作りからスポンサー集め、内容の練り込みを続けてきたスタッフの努力が結実。

正直言うと、はじめは自分がこんなに満足感がえられるものとは期待していなかった。これまでに部活、仕事、研究以外でここまでがんばった企画ってなかったし、ボランティアだけでここまで大きな感動になるとも思っていなかった。

この企画のために1年以上もの期間をかけた。ビジネススクールのクラスもとったし、リーダーシップ関連の文献も本職のものに負けないくらい数のものを読んだ。いまだにリーダーシップといってもしっくりこないところもあるけれど、物事の進め方、考え方、他人との接し方に関しては、なるほどと納得することも多かった。個人的には何よりも、チーム運営をうまくまとめることの難しさを学んだ期間でもあった。チーム内に起こっている問題やコンフリクトを理解しているにも関わらず、それを解決できるだけのスキルが自分にはないというもどかしさを体験した。

リーダーシップうんぬんは置いておいて、ひさびさに日本の学生の知り合いが増えたというのもうれしかった。中には自分の研究に興味をもってくれて、熱い思いを語ってくれた人もいた。STeLAに関わらず、こういうつながりはこれからも大切にしたい。

反省点も多かったけれど、最後には涙を流すことができたくらいの満足感を得ることができた。一緒に仕事をしてきた方々、いろいろと迷惑かけてごめんなさい。そして、いっしょに仕事ができてよかったです。ありがとう。

2007年5月23日水曜日

やっと今日ファイナルが終わり、春セメスター終了。

この春セメスターは授業、研究以外にもいろいろと活動をして、勉強をおろそかにしてしまったというのが感想。とくに春セメスター終盤のmedia labのsponsor weekはひどかった。

というのも今回はじめてMedia labのsponsor weekにh2.0という大規模なイベントをやるということになったから。このイベントはHugh Herr, John Hockenberryの二人がhost。Hugh Herrは僕のアドバイザーでこのイベントで開発中だった義足を発表したいというのをメンバーに知らされたのがイベントの2週間前。ぼくはその義足の担当ではなかったのだけれど、あまりにも大変そうだったので、手伝いをずっとしていました。

これまでのsponsor weekはMedia labの教授陣が半年の研究成果をスポンサーに発表する場だけれども、このh2.0というイベントではthe new science of human adaptabilityをキーワードに、Media labの中で人間の身体•精神を支えるテクノロジーに関する研究を中心に発表が行われていった。詳しくはホームページから動画が見れるから、ぜひ見てほしい。とくにイベントの最後にはHughが実際に義足でロッククライミングをやっていて、これは聞かされていなかったからかなりびっくり。


そして、ラボの友達の義足もしっかり動いていました。よかったよかった。

2007年3月23日金曜日

去年の11月頃、Media labの友達がぼくのアドバイザーに密着取材をしていた。そのムービーが送られてきた。

彼はEdwardという台湾人。Media labのPh.Dの学生で、グループは違うけれど、去年の夏頃から話をするようになった。彼が話があるといって、初めてラボにきたのは去年の10月ごろ。何でも彼がHarverdで取っている授業のfinal projectとしてぼくのアドバイザー、Hugh Herrのドキュメンタリーを取りたいとのこと。そこで、話しやすいぼくにHughがどんな人が聞きにきたらしい。

予想通り、Hughは快く快諾し、撮影がはじまった。期間は2週間くらいだったけれど、sponsor weekもあったため、忙しさは尋常ではなかったらしい。

そしてできあがったものがこれ.Life. Researchというリンク先にある。重いので注意。

LifeResearch.jpg


自分としては、普段から見慣れているアドバイザー。これをみた義足使用者は、みんな口を揃えて両足がないにも関わらず、不整地を走っているのが信じられないとのこと。本人に聞くと、やっぱたまに滑って転ぶらしい。だけど、せっかく走るんだったらやっぱ景色のきれいなところがいいといって、聞かないらしい(奥さん談)。

現在世の中にいろいろな義足があるけれど、高機能なものほどやっぱり価格が高くなる。需要がそれほどないにもかかわらず、高度な技術が要求されるから。それでも、Rheo kneeC-legを初めて使った人は、みんなその機能に驚く。保険制度がしっかりしている国では、このような義足を使う人もいるけれど、未だにPeg leg(関節のない棒だけの義足)を大多数が使っているところもあるらしい。うちのグループではその解決法の一つとして、将来的にはOLPCのように安くて高機能な義足を開発し、政府やNPOに買わせて、配布できるような仕組みを考えている。まだまだ雲に手を伸ばすような感覚だけれど、実現できるようにがんばりたい。。。

2007年2月6日火曜日

以前から記事に書いていたRobo-one workshopがようやく終わりました。

1月のIAPという期間は、学生がクラスをオーガナイズしたり、そのクラスに参加したりと、普段のセメスターとは違い、いろいろなことにチャレンジすることができる期間。この時期にMITでもRobo-oneをやろうと思い立ったのが去年の夏前。
いざ始まってみると、いっしょにTAをやろうといっていたメンバーは実家に帰っていて、初日は参加学生9人と僕だけで、このクラス本当に大丈夫だろうかと心配するほどに人手不足に泣いた。結局コースの配布資料とサンプルプログラムはほぼ一人。(スポンサーの方には多大な協力をいただきました。)
それでも3週目に入ると実家に帰ってきたメンバーは帰ってきて、クラスにはきてくれるようになってやっとクラスらしくなった。
最終日のコンペティションは、コンペティションではなく、エグジビションのような感じで行った。というのは普通に歩くことができるロボットが2体しかなかったから。ちょっと1ヶ月という短い期間の上に、資料作りとサンプルプログラム作りが遅れてがちで、やりたいことの60%くらいしかできなかった。でも、プログラミングのこつはわかってきたし、クラスでやれること、やれないこともわかったので、来年のIAPにはコンペティションができるようにしたい。
でも、もうこのクラスにつきっきりになるのはやだ。。。

2007年1月13日土曜日

一ヶ月前にノートパソコンが壊れて以来、ずっとPCから離れた生活をしていました。しかしここでもう奮発してMacBookkを購入。しばらく極貧生活が続きそう。

そんなこんなで、MITはIAPを迎えて、以前から企画していたRobo-oneのクラスが始まりました。

class.jpg

以前にも書いたことあるけれど、要は市販のロボットを使って1ヶ月の間、ロボットの組み立て、プログラミングを学んで、最終日にRobo-oneをやろうというもの。今年は最初の年ということで規模を小さくして、4チーム計9人のクラスになった。おどろいたことに、9人中6人が女性。日本ではありえない。。。。
こっちにきて、何かこういうようなことができないかと考えてやり始めたことなんだけれど、何かをやり始めることの難しさを実感。はじめのうちはスポンサーの何件かはすぐに決まって、さらにこのクラスがEECSの学科に認定されて単位をあげられるようになった。しかし、チーム編成、コースのマテリアル作り、カリキュラム作り、ペース配分、チームワーク。オーガナイザーはほとんどが大学院生で、12月終わりまでは授業がいそがしくて、年末はしっかりバケーションで実家に帰り、いまだ実家にいるという状況を想定していなかったので、すべての仕事が自分にのしかかり、現在かなり苦しい状況。さらに、日本に発注したものがまだ来ていない。前々から計画を立てて、仕事を割り振ったつもりだったんだけれど、うまく回らなかったことに反省。。。。
きっと、日本やアメリカのロボットコンペティションの主催者は本当に大変なんだなーと実感しました。頭が下がります。

2007年1月3日水曜日

になってしまった。年末はNJの親戚のところで過ごし、正月は自宅でゆっくり。でもやっぱり生まれ育ったところが恋しいです。

去年の初めに目標を書いたんだけれど、ことごとく未達成のまま終了。今年は正念場になる予感。

毎年3日には高校のバスケ部のOB会に行っていたんだけれど、今年は不参加。これまでに1回葬式のために参加できなかったことがあったので、これで2回目の不参加。来年は行きたいところ。

それで、ちょっとでもOB会の雰囲気を味わいたくてボストンから国際電話をかけたんだけれど、ことごとく留守番電話サービス。。。みんなバスケやってるんだろうけれど、だれか一人くらいでてくれたっていいじゃない。。。

こんな感じの年の初め、今年の目標は
絶対Qual終わらせること。
ジャーナル一本。
以上!!