2007年1月13日土曜日

一ヶ月前にノートパソコンが壊れて以来、ずっとPCから離れた生活をしていました。しかしここでもう奮発してMacBookkを購入。しばらく極貧生活が続きそう。

そんなこんなで、MITはIAPを迎えて、以前から企画していたRobo-oneのクラスが始まりました。

class.jpg

以前にも書いたことあるけれど、要は市販のロボットを使って1ヶ月の間、ロボットの組み立て、プログラミングを学んで、最終日にRobo-oneをやろうというもの。今年は最初の年ということで規模を小さくして、4チーム計9人のクラスになった。おどろいたことに、9人中6人が女性。日本ではありえない。。。。
こっちにきて、何かこういうようなことができないかと考えてやり始めたことなんだけれど、何かをやり始めることの難しさを実感。はじめのうちはスポンサーの何件かはすぐに決まって、さらにこのクラスがEECSの学科に認定されて単位をあげられるようになった。しかし、チーム編成、コースのマテリアル作り、カリキュラム作り、ペース配分、チームワーク。オーガナイザーはほとんどが大学院生で、12月終わりまでは授業がいそがしくて、年末はしっかりバケーションで実家に帰り、いまだ実家にいるという状況を想定していなかったので、すべての仕事が自分にのしかかり、現在かなり苦しい状況。さらに、日本に発注したものがまだ来ていない。前々から計画を立てて、仕事を割り振ったつもりだったんだけれど、うまく回らなかったことに反省。。。。
きっと、日本やアメリカのロボットコンペティションの主催者は本当に大変なんだなーと実感しました。頭が下がります。

2007年1月3日水曜日

になってしまった。年末はNJの親戚のところで過ごし、正月は自宅でゆっくり。でもやっぱり生まれ育ったところが恋しいです。

去年の初めに目標を書いたんだけれど、ことごとく未達成のまま終了。今年は正念場になる予感。

毎年3日には高校のバスケ部のOB会に行っていたんだけれど、今年は不参加。これまでに1回葬式のために参加できなかったことがあったので、これで2回目の不参加。来年は行きたいところ。

それで、ちょっとでもOB会の雰囲気を味わいたくてボストンから国際電話をかけたんだけれど、ことごとく留守番電話サービス。。。みんなバスケやってるんだろうけれど、だれか一人くらいでてくれたっていいじゃない。。。

こんな感じの年の初め、今年の目標は
絶対Qual終わらせること。
ジャーナル一本。
以上!!

2006年12月1日金曜日

先週末、東京理科大の学園祭で照明展が催されました。これは去年から始まったもので、後輩とその知り合い数人がオーガナイズしているらしい。去年たしか後輩に「Kenさんだったらぎりぎりにまで出してくれれば、間に合いますよ」とか言われて、照明展のリーフレットまでもらっておきながら、こっちにきてすっかり忙しさの波にさらわれてしまった。その後ろめたさもあったし、今年こそはなんか彼のために何かしたいと思って、照明を作ろうと思い立ったのが照明展の2週間前。

何を作ろうかと悩んだ末、やっぱ動くものを作ろうと考えた。その理由は簡単。だって畑違いの、しかも知り合いがまったくいない展示会におれが何ができるだろうかと思ったから。
1週間くらい、家に帰ってよなよなの作業。家にある材料だけでなんとか作ろうと思ったけれど、やっぱり時間と材料に無理があったかも。
結局できあがったものがこれ。
20061130150210.jpg

光センサがあって、夜があけると花が開く。土台の中にモータがはいっていて、光センサが夜明けを感知するとモータが糸を引っ張って花びらが開く仕組み。光る部分には3色LEDを使って時間によって徐々に色が変わる。ただし赤は故障。いたってシンプル。
20061130150220.jpg

他にも温度センサとか距離センサがあったんだけれど、フル可動させることはできなかった。結局見た目のデザインまで手は回らず。でもやりたいことの60%くらいはできたかな。
航空便も間に合ったみたいだし、一番心配していた日本での故障もなかったようなので、一安心。ただ、会場にはいけなかったので、おれの作品がどんだけ空気を読んでいないものだったのかが心配。
今回の件でわかったのは自分のものづくりのうでが落ちたということ。半田のテク、プログラミング、回路設計、すべてにおいて、思ったよりも時間が数倍かかってしまった。原因はケアレスミス。去年までなら、毎日のようにこんなことやっていたんだけれど。。。。。来年はもうちょっと時間をかけてやろう。

2006年10月26日木曜日

先日、ボストン市内にあるSea to youという魚屋さんがbig saleをやっているということで、友人数人とレンタカーをシェアしていってきました。

沼津生まれのぼくとしては、魚には本当に目がない。まぐろ、サーモン、うになどsaleといえども大量の魚を買ってしまって、結局お金をかなり使ってしまった。。

家に帰って、早速魚をさばいてみる。生で食べられるものはその日のうちに食べるのだけれど、問題はあまったもの。どうやって料理をするか。ふとアジをみてあるアイデアが思い浮かぶ。
「開いてみようか。。。」
沼津といえばアジの干物。そうアジの開きに挑戦してみた。
こんな感じ。
ajihiraki.jpg

やり方はかなり適当。取り合えず、内臓を取り除いて開く。その後に塩をすりこんで、陰干し。天日干ししたいところだったけれど、窓から差し込むのはほんの少しの陽射しだし、外に持っていくのもちょっと気がひけたので結局部屋の中に一日中干してみた。
出来上がったものを焼いてみたのがこれ。
ajihiraki2.jpg

以前ボストンで買った真空パックのアジの干物があまりにも臭かったため、ここで干物を食べるのはあきらめていたけれど、やればできるもんなんですね。適当に作った割にはかなりうまい。もうちょっと練習すればたぶん他人に出しても恥ずかしくないと思う。
前にだれかが書いていたけれど、料理と研究はかなり似ているところがある。「料理は愛情」というよりは「料理は実験!」 多分ボストン近辺に住んでいる男性は同意してくれる人が多いと思う。。

2006年10月20日金曜日

異動じゃないよ

以前にも書いたとおり、IROS2006に参加するために北京に行ってきました。

まず、行きの飛行機の中で知り合った中国人がホテルまで車で送ってくれるというところから始まった、はじめての北京。まず空気の汚さに驚く。たぶん東京の比でない。その中国人、迷いに迷って空港からホテルまで3時間もかかってしまった。見知らぬ人に送ってもらったので、無事に、無料で空港からホテルに着いただけでもいいということにしてみる。
しかし、ホテルの部屋をいっしょにシェアする同じラボのConorの発表は聞き逃してしまう。というかその日の発表はほとんど聞けなかった。しかし、知り合い数人にあって優しくしてもらった。前にも書いたけど、ここでそうとう泣き言を書いてしまったからだと思う。その日の夜、Conorと再会。日本人と中国人の英語の未熟さを語られる。あんな英語でよく国際学会来るな~~とかいわれ、ぼくにとっても痛い一言。。。
2日目、朝から学会に参加。ネットの遅さに驚く。さらにヒューマノイドロボットのセッションの数に驚く。いくらなんでも多すぎじゃないかと思う。そこで自分もヒューマノイドロボットのセッションにいることにまた驚く。その日の夜、だれかが持ってきたHappy Academic Life 2006をやることになる。ゲームの中でいつまでたっても教授になれず、かなりへこむ。朝の5時くらいまで続く。。。。
3日目、ついに発表の日。練習しようと思ってたけれど、前日のゲームであまり時間をとれなかった。楽しかったらよしとしよう。自分が発表するセッションの直前、部屋に向かったら、セッションのチェアを頼まれ、びっくりするが面白半分で引き受ける。自分の発表も無難に終えた、、、はず。発表後は、これまで経験したことのない数の人たちが質問に来てくれた。たぶん発表がおわったあと、その場で30分以上は質疑応答していたと思う。いろいろといい情報も聞けた。やっぱり学会は楽しい。
4日目以降、北京周辺を観光する。500mごとに窓からたんを吐く路線バスの運転手に驚く。30秒に一回はクラクションを鳴らす人もいた。中国の運転は難しそう。。。そして、帰国。そして、宿題提出、中間テストが直前であることに驚く。。
中国は本当に驚きの国でした。台湾にはいったことあったけれど、北京はまったく異文化で、興味深かったです。また10年後とかにいったらまたまったく違う北京になっているんだろうな。。
日本の先生方が異動されたとか、同期の人たちがドクターを取ったとか、いろいろと自分の知らない動きがあって、かなり刺激を受けた学会でした。学会で会ったみなさん、お世話になりました。ぼくはデジカメを家に忘れてしまったので、中国の思い出が一枚もありません。ぼくが写っている写真があれば送ってください。お待ちしてまーす。

2006年10月17日火曜日

多分参加するのは2年ぶりぐらいの国際学会。北京に行ってまいりました。というかまだ北京にいて、今日ボストンに帰ります。

留学を決めてから、学会に参加しなくなったので、学会発表はひさしぶり。ブログで、留学がつらいとばかり書いていて、しまいには最近更新がなかったせいか、会う人みんな優しかった。

一番ショックだったのは、同年代の人たちがすでにドクターをとっていて、かなり年下だと思っていた人たちが、博士課程2年とか3年になっていたこと。

いろいろと書きたいことはあるけれど、帰国してからにします。

2006年9月22日金曜日

義足にする気持ち

留学を決意したのにもっとも大きな影響を与えた友人が義足を使うことを決意した。そして、ぼくの研究テーマは大腿部切断患者用の義足。

彼はこれまで、人工関節を使ってきた。これは、すぐに壊れてしまうし、痛みもあるので、普段の生活の中で常に気をつけなければならないもの。彼が人工関節にしてから、口ではいえなかったけれど、なんで義足にしないのかとずっと思っていた。それは、こっちに来て義足の研究をして、義足を使っている人をみて、義足がlife of qualityを向上させるものだとばかり思っていたからかもしれない。でも彼の最近の文章を読んでわかった気がする。
義足にするか、それとも人工関節にするか。
彼の場合、切断しなくてもいいという選択肢があった。義足にすると、自分の足がなくなるわけで、自分にはそれがどんなことを意味するのか、多分わかっているつもりでわかっていなかった。
生まれてずっといままでともに生きてきた足。いっしょにバスケをやった足。いっしょに水泳もやった足。何をするにもいっしょだった足。その足がなくなる。動かなくなったとしても自分の一部であることにはまちがいない。切り取った自分の足が自分の一部でなくなることがつらい。
義足の研究をしておきながら、彼のつらさの1/100も理解していなかった。多分、まだすべてを理解はできないと思う。だって、体験できないんだから。
彼のような人が世界中にいくらでもいる。むしろ、彼は自分から義足になるという決意をしたからいいほうなのかもしれない。選択の余地もなく、足や腕を切断される患者もたくさんいる。ぼくは病気も治せないし、患者の心も癒せない。エンジニアとしてこのような人たちになにができるのかと思うと、やっぱりいいものを作るしかない。彼らの気持ちの1/100でも理解できるエンジニアになりたい。
おまけ
来年彼が富士山を登る計画を立てているらしい。そしてその周りの友人たちもいっしょに登ろうとしているらしい。アメリカにいるからって、おれを無視するなよ。 よろしく。