2010年4月7日水曜日

予定がぎーっしり

忘れないうちに帰国したときに参加したイベントの振り返り。

3/18 Alliance for Global Sustainability, にて講演、パネル
非常に大規模な学術的イベント。非常におもしろい出会いがたくさんあった。東大のi.schoolは人間の学びの課程とその後起こるイノベーションを形式化することに重きを置くのに対し,MITのD-labは生まれてくるプロダクトがいかに社会に貢献するかということを重視している。この2つのアクティビティは非常に相性が良く、今後のコラボレーションが楽しみ。パネルから参加された槍目先生はこのような活動が、学術的に評価されにくいことに問題意識をもっており、これはわれわれが前から感じていたことでもあり、今後いかにしてパブリシティを増やしていくかというところで協業できそう。さらにその日の夜のバンケットで原丈人さんと話をする機会を得た。「やりたいこと(考古学)をやっていたらこうなった」といいながら、ものすごい質と数のベンチャー企業の記事をみせてくださった。どうやったらこうなるんだろう。すごい。。

3/19 ETIC 「途上国の問題を日本の最先端技術で救うにて」にて講演
中小企業からの参加を期待していたけれどもふたを開けてみたら、大部分が学生や個人の参加。それでもディスカッションはかなりの盛り上がりをみせた。始めにKopernik中村さん、MITD-labよりJoseから自分たちがもっている技術を紹介し、続いていかにその技術を改善するかというディスカッションをグループ別に行う。そこで、慶應ビジネススクールの岡田先生とBOP向けのビジネスモデルについて話が盛り上がる。現在、ものを直接ローカルの人たちに売ることは難しく、Kopernikのような寄付、Kivaのようなローン、あるいはグラミンのようなマイクロファイナンスを絡めたモデルが常套手段になっている。これを打破する新しいモデルとはなんだろうか? また同じグループに、黒川先生より以前からメールで紹介されていた三好くんと遭遇。BADO企画の世界一周に参加するらしい。なんでも個人向けの奨学金を考えているらしい。BOPでのマクロからマイクロへ目が向くトレンドにまた新しいモデルを提案している。ボストンでの再会が楽しみ。

3/20 「大学」x「技術」x「BOP」日本発、世界を変えるイノベーション 講演とパネル
以前1月に黒川先生に声をかけていただいてから、仲間といっしょに企画してきたイベント。登録者数250人を超える大きなイベントになった。自分の講演のあと、戦友金平さんがわざわざステージまできてくれてきつく包容。「義足のプロジェクト、進んでいてうれしいです」とお褒めの言葉をいただく。あまりに多くの参加者がいたために、自分を含めた講演者には常に人だかりができていて、講演者同士の交流があまりできなかった。九州大学のアシル先生ガイアイニシアティブ藤田さん、日本ポリグル小田さんなどただただお話がしたいだけだけれども、残念ながら一言も話すことはできませんでした。しかし、空想生活の西山さんとはイベント後にメールでつながり、明日NYでミーティングを予定。そこにKopernikの中村さんも加わり、おもしろそうなことが起こりそうな予感。片道4時間のバスも苦にならないです。書き忘れてはいけないのが、親友和博がきてくれたこと。スライドの彼に関するスライドも織り交ぜ、紹介することもできた。こういったことは単純にうれしい。
いろいろな方々がブログなどにまとめてくださっている。
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3/21 バスケ部後輩の結婚式
たまたま日本にいることを聞きつけた高校時代の後輩からメールをもらい、ドタサン。おそらく無理をいってもらって披露宴からの参加。東京か沼津かと思っていたらまさかの浜松。ひさびさにバスケ仲間に会えたし、参加できてよかった。本当におめでとう。

3/23 グローバルアジェンダゼミナールのゼミ生へ講演
帰国数週間前に、グローバルアジェンダゼミナールのゼミ生の一人からメールをいただいた。彼は昔所属していた研究室、北野共生システムプロジェクトの研究者だったが、現在はコンサルに勤めていた。なんでも黒川先生から僕の名前を聞きつけ、たまたま知り合いだったということもあり、今回の場を用意してくれた。場所がアカデミーヒルズ。六本木ヒルズの49階。眺めもよく、窓から東京タワーも見えた。このころになって、一連のイベントに参加する方々はきまっているということに気づく。NHKのキャスターの方にも会えた。

3/25 国連フォーラム「私の提言」 パネル
今回の帰国最後のイベント。Kopernik中村さんに紹介されてOKしたものの他のパネルがすごい方々だったので、非常に恐縮してしまった。しかしモデレータUNDPの西郡さんがうまくリードしてくださり、非常にいい雰囲気で、かつ非常に盛り上がりをみせ、2時間30分の時間が足りないと感じるくらいだった。すべてのパネリストの話がすばらしかったのだけれど、その中でもたまたま数分話をする機会があったHASUNAの白木さんの話に非常に感銘をうけてしまった。途上国では宝石や金属を採掘するのに、現地の人々がひどい扱いをうけているらしい。フェアトレードで扱われたものだけをあつかったジュエリーを扱っているのが、HASUNAである。結婚される方がいたら、ここで結婚指輪をオーダーしてみてはいかがでしょうか?
ここでのtweetがここでまとめられている。


ここに書いたことは、今回の帰国のほんの一部。総括すると、非常に面白い出会いがあったのは事実だが、毎回同じメンバーが違ったイベントに参加しているようだった。昨今日本でBOPという言葉がメディアで取り上げらるようになり、盛り上がりをみせているがまだまだ個人レベルで企業や大学、国といった組織を動かす大きなムーブメントにするためにはもうひとふたステップの工夫と行動が必要かと思った。この盛り上がりが空虚のまま終わらないうちに、アメリカからも横やりをいれつづけたいと思う。

2010年3月26日金曜日

日本滞在速記

16日から26日まで日本に滞在している。今回の滞在は主に、というかすべてD-lab関連の発表とミーティングがぎっしりつまった出張だ。到着と出発の日をのぞけば9日間しかないにも関わらず、5つのイベントで発表することになった。この分野の盛り上がりを感じるとともに、日頃活動している方々の熱意も伝わってくる。それと同時にいろいろは方々と話をしていると、どうしても自分のやっていることがまだまだ未熟に感じるようになり、精進せねばと改めて思うようになった。

今日以下のようなパネルディスカッションに参加する。日本滞在の最後の仕事だ。
「私の提言」パネルディスカッション

このイベント、参加募集を初めて2日間で80名の定員が満席になってしまったのだ。もともとはKopernikの中村さんからメールを頂き、あまり考えずにOKしたところ、他のパネリストの略歴があまりにもすばらかったので、どうなるものか今から非常に不安。

今回の滞在で本当に感じているだが、BOP向けに活動をしている人たちは所属している会社や大学の中で形見の狭い思いをしているということ。おそらく、アカデミアでもインダストリーでも評価されない、あるいは評価されにくいからだ。その逆風の中でも強い信念をもって立ち向かっているみなさんの姿勢に共感せざるを得ない。

ちゃんとした滞在記は帰国後こっちに書く予定。

2010年3月7日日曜日

去年の12月、ほとんどの研究室が古いメディアラボの建物から新しい建物に引っ越した。
そして昨日と今日、そのオープニングセレモニーとして、昨日が関係者向けのイベント、そして今日が一般向けのイベントがあった。

New home for innovation, design, and the arts
Media Lab Complex formally opens this week


cnetより
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関係者向けのイベントでは、自分を含む学生はオープンハウスで自分の研究をお客さんにデモを行った。引っ越してからの初めてのデモだった上に、初めて3つのグループが同じスペースでデモを行うということだったので、準備に非常に時間がかかった。昔のメディアラボを見たことがある方は知ってるでしょうが、昔Cubeという広いオープンスペースを複数の異なる研究グループがシェアすることによって、グループ間のインタラクションが生まれた経緯がある。このアイデアを用いて、新しい建物ではcubeのようなオープンスペースが複数個あり、そこに3,4つの研究プロジェクトが共存するシステムを採用している。さらに、外から窓越しにオープンスペースの中をみれるので、建物自体が大きなショーケースになっている。さらにさらに、いままでにない太陽の光がどのスペースにも行き届くので、いままで地下にいた我々のグループにとっては、まぶしいくらい明るい空間になっている。

デモのあとは6階のカンファレンスルームでMITのpresidentのSusan Hockfield氏、建物を設計した槇総合計画事務所槇文彦さん、そしてメディアラボのFaculty数名によるトークが行われた。

その後、幸運にも槇さんと副所長の亀本ゲイリーさんとお話をする機会を得た。私は、沼津市にある加藤学園暁秀初等学校が母校なのだが、この建物は実は槇総合計画事務所が設計した建物であった。この話をしたときにゲイリーさんに「この建物と似ているでしょ?」と聞かれ、確かにそう感じていた。その小学校も「カベのない学校」というキャッチフレーズのとおり、大きなオープンスペースに2つの学年が共存して、部屋の別々の場所で違う授業が行われているのである。その結果、クラスや学年、先生の間にかべを感じることはなかった。子供のころはそれが普通だと思っていて、中学に入学してから、"普通"の教室にびっくりしたものである。小学校のときの感覚は、この新しい建物にも共通するもので、プロジェクト間のかべはまったく感じなくなった。これまで、我々が地下にいて孤立していたからもしれないが。。。そしてちゃっかりツーショット写真もとっていただいた。

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次の日、朝から一般向けのイベントが催された。槇さん、ゲイリーさんをはじめ、建設に携わった方々のトークとパネルが行われた。その中で、いろいろな建設のエピソードを聞くことができた。

まずは、旧メディアラボよりも狭い敷地内により多くのコンテンツを詰め込むのに、日本人がいいだろうということで槇さんに白羽の矢があたり、メディアラボの教授William Mitchell氏が日本へいってお願いをした。

フランク・ゲーリー氏Stata Centerとの比較が良く話しに出てきた。Stata centerは外部の人が一階を歩き回ることができることに対し、新しいメディアラボは6階まで階段であがることができ、さらに研究スペースをガラス越しにのぞくことが出来る。Stata Centerは外部も内部もplayfulなのに対し、新しいメディアラボは外側はseriousに、そして中はplayfulに仕上げた。これはとなりのI.M. Peiが設計した旧メディアラボと並んでもおかしくないような外観にするためである。そして、新メディアラボの窓の外側に並んだすだれのようなものは、槇設計事務所であるヒルサイドウエストと同じもので、窓からは適度に太陽光を遮断し、居心地の良い空間を作っている。

新しいメディアラボの写真はこちらこちら

この二日間、槇さんのトークを2回聞く機会があり、槇さんは同じことを二回繰り返した。

「この建物を完成できたことを例えていうなら、今81歳である自分がまた現役選手としてオリンピックに出場し、自己最高のスコアをたたき出すことができたということがいえる。」

歳からは考えられないくらいアクティブで、話しかけると非常に気さくな槇さんでした。

2010年3月3日水曜日

去年さんざん日本へ帰ったけれども、また3月中に日本に帰ることになった。
以下のイベントに参加するために、3月の中旬から後半にかけて9日間ほど日本に帰る予定。

3月18日
AGS Annual Meeting 2010
18日午後のパラレルセッションにて発表、パネル参加予定

3月19日
経営者・法人向けセミナー
「途上国の問題を日本の先進技術で解決する」
発表予定

3月20日
午前中D-labと義足のクラスについて発表予定

3月25日
「私の提言」 パネルディスカッション
パネリストとして参加予定

今回はD-labの仲間といっしょに帰る予定だが、彼はこのタイトなスケジュールの合間を縫って、築地に行きたい、アシモに会いたいといっているので、一緒に観光も予定中。自分の時間がなかなかありません。それでも21から24までは実家に帰ることができそう。今回帰国のすべてが本業の研究に関してではなく、途上国向けのイベントというのが少し寂しいですが、本当にさまざまなところで発表させていただくことになり、感謝しきりです。

いますが、話を聞きたい、ぜひいっしょにやりたい、とりあえず飲みたいなどありましたら、連絡ください。

2010年2月16日火曜日

今年最初の記事

今年初めての記事。
今年はPh.D課程5年目。5年目というと普通長いんじゃないかと思う人が多いようだけれども、おそらくアメリカの博士課程は平均5,6年であるといわれている。
つまり、今年卒業したい。

今年もよろしくおねがいいたします。

2010年1月31日日曜日

ボーダーレス

最近周辺のネット環境のインフラが飽和するにつれ、それを取り巻くソフトウェアの種類が圧倒的に増えた。その進化が、自分のような研究者だけではなく、ネットに関わるすべての人の生活を激変し続けている。自分はその波にいまにも飲まれそう、いや飲まれかけているのであるが、他の人たちはどうやって適応しているのだろう。

渡米前から、日本ではmixiやgreeのようなSNSが大流行した。しかし、使用するための労力と更新しなければならないという重圧から、利用者の使用頻度は減りつつある。生き残りをかけて、greeはソーシャルゲームコンテンツ、mixiはmixiアプリを始め各自奮闘している。そして、最近ではmyspaceやfacebookのようなもちょっとゆるいつながりを持つことができるSNSの利用者が増えた。mixiのような人との強いつながりは捨て、広く浅くを実践しているようなSNSである。大学内ではこれらを利用して、イベントや授業の告知をも行っている。さらにLinkedinのような、学歴や職歴を記述するような、ビジネスライクのものまで広がってきた。

情報発信ツールとして、blogは以外と昔から使われている。個人が情報を手軽に発信できる反面、発信した情報が一般公開されるため、多少の危険を伴うことも多々あるようだ。

遠隔地の人との直接的なコミュニケーションツールとしては、msnメッセンジャーやgtalk、appletalkがよく使われていたが、これもPCにwebcamが付随するようになり、相手の顔をみながらのチャットや会話までできるようになった。そして、skypeはこれらの浸透を加速させた。また、ネット会議システムとしてポリコムが現れた。これにはほんとにお世話になっている。

そして、最近ではただのつぶやきを友達をシェアできるtwitterが広がりを見せている。twitterの広がりにつれ、ただのつぶやきだけでなく、写真や動画をもシェアできるようなサービスまで現れた。最近では、友達のつぶやきだけでなく、利用者がつくったリストをフォローすることも可能となり、ゆるいチャット会議システムのようなものまで利用できるようになった。


これらの進化は、もちろん開発者がすばらしいのもあるが、おそらく利用者がいろいろな形でソフトウェアを進化させてきたというのが驚くべきことである。

たとえば、最近メディアラボで行われたTEI10という学会の話である。この学会はすべての発表をリアルタイムでstreamingし、全世界の人が見れるようになっていた。そして、オフィシャルのtwitterのハッシュタグを更改し、参加者や視聴者のつぶやきをみんながみれるような環境を作った。自分は研究分野がまったく異なり、正直興味もなかったが、ムービーをみながら、参加者のつぶやきをみていると、あたかも自分が学会にまたちがった形で参加しているような感覚を受けた。twitterがダイナミクスを持つようになり、発表中に会話や情報交換をするという、実際には難しいことができるようになるのである。もちろん、好き嫌いはあるだろうけれど、意外とためになる情報やリンクがつぶやかれるため、自分は無視できない。そして、自分の場合は会場にはいないが、同じ建物にいるために、実際につぶやいている人との出会いもあった。

そして、最近発表されたipadに関しては、streamingサイトが落ちるほどの膨大な数のネットネット難民がjobsたちののプレゼンに注目した。動画はみれなくなったが、かわりにスライドをリアルタイムでアップしているサイトもtwitterで紹介された。

こうして、インフラを駆使して、情報収集していると、どうしても情報整理に時間がかかる、研究に集中できない、などのような問題も発生する。情報をどうやって処理するかという問題を処理するのもやはりテクノロジー。最近ではevernoteにお世話になっている。これはとりあえずどっかにおいておきたいという情報を保存しておくのに非常に便利で重宝している。また最近では大きなサイズのファイルを共有するためにdropboxのようなものまである。5年後、どんな構図になっているのだろう。googleがすべてを飲み込んでいたりして。

2009年12月19日土曜日

お悔やみ

先月父が他界した。
思いを記録に残そうと思い、何度も何度も書き始めたけれども、これまでの楽しかった思い出や悲しみみたいなものがこみ上げ、手がとまってしまった。そして、死後1ヶ月たってやっと心の整理ができてきた。

今年の2月に父が車で事故を起こした。単独事故なのでけが人はいなかったが、事故の経緯があまりにもおかしかったので母が病院につれていったところ、かなり深刻な病気が見つかった。小細胞がんという小さな病原が父の肺に住み着いていた。さらに悪いことに、既にリンパ節にも転移が確認され、脳にいたっては大小あわせて30個以上もの転移が見つかった。俗にいう末期だった。

いまでも最初の電話を受けたときの衝撃は覚えている。早朝に電話が鳴り兄の声が聞こえた。
「大事な話があるから、顔を洗ってこい」
顔を洗っているときに、心臓をばくばくさせながらいい知らせではないことを予感していた。その後数日まったく研究もできず、たまらずに緊急帰国することにした。

帰国直後の父は、全脳照射の治療を行っている最中ではあったもののまだまだ元気で、話もたくさんすることができた。その後の抗がん剤治療も幸いなことに副作用も少なく、髪の毛もだいぶ残った。髪の毛がすべて抜けて落ちこんでいるであろう父を少しでも励まそうとして、自分の頭をかなり短い坊主にもしてみたが逆に心配されたこともあった。

その後数ヶ月、脳の転移のせいで物事を理解しにくくはなったが、時折見せる父の穏やかでユーモアのあふれる性格によって、深い悲しみの中でも何度も癒された。こんな極限状態になっても、周りを笑わせることができる人柄は、父に本質的に備わったものなんだろう。

病室には父の友人が何人も訪れた。そこで、これまで知らなかった父のエピソードを聞くことができた。考えてみれば、父の大学や所属していた会社の友人にあったことはあまりなく新鮮だった。

9月初旬、それまで順調だと思われた治療も、はやり他の症例と同じように更なる転移が見つかった。今回は脳と骨にも転移がみつかり、母は、父の体力と病状を考慮し、その後は抗がん剤治療を行わずに緩和のみを行うという方針をとった。苦渋の決断だったに違いない。そして、11月10日に父は永眠した。そのとき、自分は帰国する飛行機の中だった。父の葬式はいつ自分が泣き崩れてもおかしくない心境だった。火葬直前の父の顔、母の悲しすぎる顔、それを支える兄、これらの光景は絶対に一生忘れないだろう。

子供が親より早く死ぬことは、最大の親不孝だと聞いたことがある。それは逆に子供は親の死を乗り越えなければならないということ。なんでこんなプライベートなことを書いているかというと、周りの人に

-タバコを吸っている人はできればやめてほしい
-家族を大事にしてほしい

ということを伝えたかったから。タバコは本当にやめたほうがいい。できなければ、数を減らしてほしい。自分がくるしむだけじゃなく、まわりが一番悲しむのだから。親は本当に大事にすべき存在だと思う。日本は親と仲良くしすぎるとマザコンやファザコンといわれるような習慣があり、照れくさくもある。一方アメリカは本当に親、家族を大事にするし、それを周りにも見せる。これは本当に見ていて心温まる光景だ。この2つは今回痛烈に思ったことで、自分もこれから肝に銘じていこうと思う。

自分が留学し好きなことをできているのは、まちがいなく家族のおかげだ。妻がいて、兄がいて、母がいる。これまでは父もいたがその大きな柱がなくなり,今度は一家を兄がなくなった父の分も家族を支えている。葬式のときの兄の立ち振る舞いが非常に立派だと好評だった。たしかにそうだった。こうやって親から子へ世代が受け継がれていくのだろう。さて、次男の自分はいまだに学生。まだまだ大きな柱にはなれていないが、自分の家族を支えられるような大きな存在になりたい。

最後に、この数ヶ月いろいろな方に迷惑をかけました。本当に申し訳ありませんでした。