今年初めての記事。
今年はPh.D課程5年目。5年目というと普通長いんじゃないかと思う人が多いようだけれども、おそらくアメリカの博士課程は平均5,6年であるといわれている。
つまり、今年卒業したい。
今年もよろしくおねがいいたします。
2010年2月16日火曜日
2010年1月31日日曜日
ボーダーレス
最近周辺のネット環境のインフラが飽和するにつれ、それを取り巻くソフトウェアの種類が圧倒的に増えた。その進化が、自分のような研究者だけではなく、ネットに関わるすべての人の生活を激変し続けている。自分はその波にいまにも飲まれそう、いや飲まれかけているのであるが、他の人たちはどうやって適応しているのだろう。
渡米前から、日本ではmixiやgreeのようなSNSが大流行した。しかし、使用するための労力と更新しなければならないという重圧から、利用者の使用頻度は減りつつある。生き残りをかけて、greeはソーシャルゲームコンテンツ、mixiはmixiアプリを始め各自奮闘している。そして、最近ではmyspaceやfacebookのようなもちょっとゆるいつながりを持つことができるSNSの利用者が増えた。mixiのような人との強いつながりは捨て、広く浅くを実践しているようなSNSである。大学内ではこれらを利用して、イベントや授業の告知をも行っている。さらにLinkedinのような、学歴や職歴を記述するような、ビジネスライクのものまで広がってきた。
情報発信ツールとして、blogは以外と昔から使われている。個人が情報を手軽に発信できる反面、発信した情報が一般公開されるため、多少の危険を伴うことも多々あるようだ。
遠隔地の人との直接的なコミュニケーションツールとしては、msnメッセンジャーやgtalk、appletalkがよく使われていたが、これもPCにwebcamが付随するようになり、相手の顔をみながらのチャットや会話までできるようになった。そして、skypeはこれらの浸透を加速させた。また、ネット会議システムとしてポリコムが現れた。これにはほんとにお世話になっている。
そして、最近ではただのつぶやきを友達をシェアできるtwitterが広がりを見せている。twitterの広がりにつれ、ただのつぶやきだけでなく、写真や動画をもシェアできるようなサービスまで現れた。最近では、友達のつぶやきだけでなく、利用者がつくったリストをフォローすることも可能となり、ゆるいチャット会議システムのようなものまで利用できるようになった。
これらの進化は、もちろん開発者がすばらしいのもあるが、おそらく利用者がいろいろな形でソフトウェアを進化させてきたというのが驚くべきことである。
たとえば、最近メディアラボで行われたTEI10という学会の話である。この学会はすべての発表をリアルタイムでstreamingし、全世界の人が見れるようになっていた。そして、オフィシャルのtwitterのハッシュタグを更改し、参加者や視聴者のつぶやきをみんながみれるような環境を作った。自分は研究分野がまったく異なり、正直興味もなかったが、ムービーをみながら、参加者のつぶやきをみていると、あたかも自分が学会にまたちがった形で参加しているような感覚を受けた。twitterがダイナミクスを持つようになり、発表中に会話や情報交換をするという、実際には難しいことができるようになるのである。もちろん、好き嫌いはあるだろうけれど、意外とためになる情報やリンクがつぶやかれるため、自分は無視できない。そして、自分の場合は会場にはいないが、同じ建物にいるために、実際につぶやいている人との出会いもあった。
そして、最近発表されたipadに関しては、streamingサイトが落ちるほどの膨大な数のネットネット難民がjobsたちののプレゼンに注目した。動画はみれなくなったが、かわりにスライドをリアルタイムでアップしているサイトもtwitterで紹介された。
こうして、インフラを駆使して、情報収集していると、どうしても情報整理に時間がかかる、研究に集中できない、などのような問題も発生する。情報をどうやって処理するかという問題を処理するのもやはりテクノロジー。最近ではevernoteにお世話になっている。これはとりあえずどっかにおいておきたいという情報を保存しておくのに非常に便利で重宝している。また最近では大きなサイズのファイルを共有するためにdropboxのようなものまである。5年後、どんな構図になっているのだろう。googleがすべてを飲み込んでいたりして。
渡米前から、日本ではmixiやgreeのようなSNSが大流行した。しかし、使用するための労力と更新しなければならないという重圧から、利用者の使用頻度は減りつつある。生き残りをかけて、greeはソーシャルゲームコンテンツ、mixiはmixiアプリを始め各自奮闘している。そして、最近ではmyspaceやfacebookのようなもちょっとゆるいつながりを持つことができるSNSの利用者が増えた。mixiのような人との強いつながりは捨て、広く浅くを実践しているようなSNSである。大学内ではこれらを利用して、イベントや授業の告知をも行っている。さらにLinkedinのような、学歴や職歴を記述するような、ビジネスライクのものまで広がってきた。
情報発信ツールとして、blogは以外と昔から使われている。個人が情報を手軽に発信できる反面、発信した情報が一般公開されるため、多少の危険を伴うことも多々あるようだ。
遠隔地の人との直接的なコミュニケーションツールとしては、msnメッセンジャーやgtalk、appletalkがよく使われていたが、これもPCにwebcamが付随するようになり、相手の顔をみながらのチャットや会話までできるようになった。そして、skypeはこれらの浸透を加速させた。また、ネット会議システムとしてポリコムが現れた。これにはほんとにお世話になっている。
そして、最近ではただのつぶやきを友達をシェアできるtwitterが広がりを見せている。twitterの広がりにつれ、ただのつぶやきだけでなく、写真や動画をもシェアできるようなサービスまで現れた。最近では、友達のつぶやきだけでなく、利用者がつくったリストをフォローすることも可能となり、ゆるいチャット会議システムのようなものまで利用できるようになった。
これらの進化は、もちろん開発者がすばらしいのもあるが、おそらく利用者がいろいろな形でソフトウェアを進化させてきたというのが驚くべきことである。
たとえば、最近メディアラボで行われたTEI10という学会の話である。この学会はすべての発表をリアルタイムでstreamingし、全世界の人が見れるようになっていた。そして、オフィシャルのtwitterのハッシュタグを更改し、参加者や視聴者のつぶやきをみんながみれるような環境を作った。自分は研究分野がまったく異なり、正直興味もなかったが、ムービーをみながら、参加者のつぶやきをみていると、あたかも自分が学会にまたちがった形で参加しているような感覚を受けた。twitterがダイナミクスを持つようになり、発表中に会話や情報交換をするという、実際には難しいことができるようになるのである。もちろん、好き嫌いはあるだろうけれど、意外とためになる情報やリンクがつぶやかれるため、自分は無視できない。そして、自分の場合は会場にはいないが、同じ建物にいるために、実際につぶやいている人との出会いもあった。
そして、最近発表されたipadに関しては、streamingサイトが落ちるほどの膨大な数のネットネット難民がjobsたちののプレゼンに注目した。動画はみれなくなったが、かわりにスライドをリアルタイムでアップしているサイトもtwitterで紹介された。
こうして、インフラを駆使して、情報収集していると、どうしても情報整理に時間がかかる、研究に集中できない、などのような問題も発生する。情報をどうやって処理するかという問題を処理するのもやはりテクノロジー。最近ではevernoteにお世話になっている。これはとりあえずどっかにおいておきたいという情報を保存しておくのに非常に便利で重宝している。また最近では大きなサイズのファイルを共有するためにdropboxのようなものまである。5年後、どんな構図になっているのだろう。googleがすべてを飲み込んでいたりして。
2009年12月19日土曜日
お悔やみ
先月父が他界した。
思いを記録に残そうと思い、何度も何度も書き始めたけれども、これまでの楽しかった思い出や悲しみみたいなものがこみ上げ、手がとまってしまった。そして、死後1ヶ月たってやっと心の整理ができてきた。
今年の2月に父が車で事故を起こした。単独事故なのでけが人はいなかったが、事故の経緯があまりにもおかしかったので母が病院につれていったところ、かなり深刻な病気が見つかった。小細胞がんという小さな病原が父の肺に住み着いていた。さらに悪いことに、既にリンパ節にも転移が確認され、脳にいたっては大小あわせて30個以上もの転移が見つかった。俗にいう末期だった。
いまでも最初の電話を受けたときの衝撃は覚えている。早朝に電話が鳴り兄の声が聞こえた。
「大事な話があるから、顔を洗ってこい」
顔を洗っているときに、心臓をばくばくさせながらいい知らせではないことを予感していた。その後数日まったく研究もできず、たまらずに緊急帰国することにした。
帰国直後の父は、全脳照射の治療を行っている最中ではあったもののまだまだ元気で、話もたくさんすることができた。その後の抗がん剤治療も幸いなことに副作用も少なく、髪の毛もだいぶ残った。髪の毛がすべて抜けて落ちこんでいるであろう父を少しでも励まそうとして、自分の頭をかなり短い坊主にもしてみたが逆に心配されたこともあった。
その後数ヶ月、脳の転移のせいで物事を理解しにくくはなったが、時折見せる父の穏やかでユーモアのあふれる性格によって、深い悲しみの中でも何度も癒された。こんな極限状態になっても、周りを笑わせることができる人柄は、父に本質的に備わったものなんだろう。
病室には父の友人が何人も訪れた。そこで、これまで知らなかった父のエピソードを聞くことができた。考えてみれば、父の大学や所属していた会社の友人にあったことはあまりなく新鮮だった。
9月初旬、それまで順調だと思われた治療も、はやり他の症例と同じように更なる転移が見つかった。今回は脳と骨にも転移がみつかり、母は、父の体力と病状を考慮し、その後は抗がん剤治療を行わずに緩和のみを行うという方針をとった。苦渋の決断だったに違いない。そして、11月10日に父は永眠した。そのとき、自分は帰国する飛行機の中だった。父の葬式はいつ自分が泣き崩れてもおかしくない心境だった。火葬直前の父の顔、母の悲しすぎる顔、それを支える兄、これらの光景は絶対に一生忘れないだろう。
子供が親より早く死ぬことは、最大の親不孝だと聞いたことがある。それは逆に子供は親の死を乗り越えなければならないということ。なんでこんなプライベートなことを書いているかというと、周りの人に
-タバコを吸っている人はできればやめてほしい
-家族を大事にしてほしい
ということを伝えたかったから。タバコは本当にやめたほうがいい。できなければ、数を減らしてほしい。自分がくるしむだけじゃなく、まわりが一番悲しむのだから。親は本当に大事にすべき存在だと思う。日本は親と仲良くしすぎるとマザコンやファザコンといわれるような習慣があり、照れくさくもある。一方アメリカは本当に親、家族を大事にするし、それを周りにも見せる。これは本当に見ていて心温まる光景だ。この2つは今回痛烈に思ったことで、自分もこれから肝に銘じていこうと思う。
自分が留学し好きなことをできているのは、まちがいなく家族のおかげだ。妻がいて、兄がいて、母がいる。これまでは父もいたがその大きな柱がなくなり,今度は一家を兄がなくなった父の分も家族を支えている。葬式のときの兄の立ち振る舞いが非常に立派だと好評だった。たしかにそうだった。こうやって親から子へ世代が受け継がれていくのだろう。さて、次男の自分はいまだに学生。まだまだ大きな柱にはなれていないが、自分の家族を支えられるような大きな存在になりたい。
最後に、この数ヶ月いろいろな方に迷惑をかけました。本当に申し訳ありませんでした。
思いを記録に残そうと思い、何度も何度も書き始めたけれども、これまでの楽しかった思い出や悲しみみたいなものがこみ上げ、手がとまってしまった。そして、死後1ヶ月たってやっと心の整理ができてきた。
今年の2月に父が車で事故を起こした。単独事故なのでけが人はいなかったが、事故の経緯があまりにもおかしかったので母が病院につれていったところ、かなり深刻な病気が見つかった。小細胞がんという小さな病原が父の肺に住み着いていた。さらに悪いことに、既にリンパ節にも転移が確認され、脳にいたっては大小あわせて30個以上もの転移が見つかった。俗にいう末期だった。
いまでも最初の電話を受けたときの衝撃は覚えている。早朝に電話が鳴り兄の声が聞こえた。
「大事な話があるから、顔を洗ってこい」
顔を洗っているときに、心臓をばくばくさせながらいい知らせではないことを予感していた。その後数日まったく研究もできず、たまらずに緊急帰国することにした。
帰国直後の父は、全脳照射の治療を行っている最中ではあったもののまだまだ元気で、話もたくさんすることができた。その後の抗がん剤治療も幸いなことに副作用も少なく、髪の毛もだいぶ残った。髪の毛がすべて抜けて落ちこんでいるであろう父を少しでも励まそうとして、自分の頭をかなり短い坊主にもしてみたが逆に心配されたこともあった。
その後数ヶ月、脳の転移のせいで物事を理解しにくくはなったが、時折見せる父の穏やかでユーモアのあふれる性格によって、深い悲しみの中でも何度も癒された。こんな極限状態になっても、周りを笑わせることができる人柄は、父に本質的に備わったものなんだろう。
病室には父の友人が何人も訪れた。そこで、これまで知らなかった父のエピソードを聞くことができた。考えてみれば、父の大学や所属していた会社の友人にあったことはあまりなく新鮮だった。
9月初旬、それまで順調だと思われた治療も、はやり他の症例と同じように更なる転移が見つかった。今回は脳と骨にも転移がみつかり、母は、父の体力と病状を考慮し、その後は抗がん剤治療を行わずに緩和のみを行うという方針をとった。苦渋の決断だったに違いない。そして、11月10日に父は永眠した。そのとき、自分は帰国する飛行機の中だった。父の葬式はいつ自分が泣き崩れてもおかしくない心境だった。火葬直前の父の顔、母の悲しすぎる顔、それを支える兄、これらの光景は絶対に一生忘れないだろう。
子供が親より早く死ぬことは、最大の親不孝だと聞いたことがある。それは逆に子供は親の死を乗り越えなければならないということ。なんでこんなプライベートなことを書いているかというと、周りの人に
-タバコを吸っている人はできればやめてほしい
-家族を大事にしてほしい
ということを伝えたかったから。タバコは本当にやめたほうがいい。できなければ、数を減らしてほしい。自分がくるしむだけじゃなく、まわりが一番悲しむのだから。親は本当に大事にすべき存在だと思う。日本は親と仲良くしすぎるとマザコンやファザコンといわれるような習慣があり、照れくさくもある。一方アメリカは本当に親、家族を大事にするし、それを周りにも見せる。これは本当に見ていて心温まる光景だ。この2つは今回痛烈に思ったことで、自分もこれから肝に銘じていこうと思う。
自分が留学し好きなことをできているのは、まちがいなく家族のおかげだ。妻がいて、兄がいて、母がいる。これまでは父もいたがその大きな柱がなくなり,今度は一家を兄がなくなった父の分も家族を支えている。葬式のときの兄の立ち振る舞いが非常に立派だと好評だった。たしかにそうだった。こうやって親から子へ世代が受け継がれていくのだろう。さて、次男の自分はいまだに学生。まだまだ大きな柱にはなれていないが、自分の家族を支えられるような大きな存在になりたい。
最後に、この数ヶ月いろいろな方に迷惑をかけました。本当に申し訳ありませんでした。
2009年10月29日木曜日
2009年10月27日火曜日
お久しぶりです。
もう数週間前のことになるけれども、シアトルのUniversity of Washingtonで開かれたワークショップに招待され、参加してきた。
ワークショップの数日前、急に知り合いからメールを受け取った。なんでも途上国での障害と技術に関するワークショップを開くけれども、MITからも一人招待したいとのこと。何回かメールをやり取りした後、行けなくなった知り合いの代わりに急遽自分が1泊3日の強行スケジュールで参加することになった。
アカデミック編
今回招待されたワークショップはこれ。オーガナイザはchangeというUniversity of Washington内のグループで、ICT(Information and Communication Techonlogy)を使った途上国開発を志している。メンバーのほとんどがコンピュータサイエンス学科に所属しているため、ワークショップの内容も障害者を補助するようなソフトウェアの紹介が多かった。例えば、目が見えない人のため声を使ったコンピュータインターフェースや、耳が聞こえない人のための言語学習システムなど、いま現在途上国で使われている既存の技術の紹介が多かった。自分は身体障害に関わっているため、Northwestern UniversityのWu氏のVacuum Castin Systemがとても印象に残った。これは通常数日は必要な義足用ソケットの作成プロセスを、数時間にすることができるというものだ。
Wu氏とは以前から知り合いで、1年前にはMITに招待し、授業の中で講演をしていただいたこともあった。そのときにはまだこのシステムは出来ていなかったはずで、実は我々DWPでも同じようなプロジェクトが進行中であった。2007年のIDEAS competitionというビジネスプランコンペティションで受賞したアイデアである。しかし、彼がすばらしいシステムを作ってしまったので、MITでは頓挫してしまったという経緯があった。
ワークショップで再会したWu氏は、医者としては既に引退されているけれども、非常に活動的で新しい共同研究のネタをいろいろと提供してくださった。
このワークショップは、発表者の隣に手話を使った通訳が常に待機し、さらにリアルタイムで発表者が話した言葉がスライドの隣のスクリーンに映りだされていた。何でも、話した言葉を恐ろしい速さでタイプすることができるプロがいるらしい。

MITのD-labを始め、いろいろな大学で途上国開発への工学的アプローチが広がりつつある。しかし、以前として大学の研究室で行われているのは論文主体のものが圧倒的に多い。国連が提唱しているミレニアム開発目標などに代表されるような、人類が直面している大問題に対して工学ができることは、実は限られている(もちろん分野によるが)。最先端の技術開発ももちろん重要だけれども、大学の教授陣がもう少し開発に目を向けると、本当におもしろい技術がぽんぽんと生まれると思うのだけれど。。。。
旅情編
今回ワークショップが開かれたシアトルは実は2回目の訪問で、8年前にきたことがある。そのときはまだ修士の学生で、ロボカップというロボットのサッカーの大会のために訪れたのだ。ワークショップが終わった後に4時間ほど飛行機の時間まで空いていたので、ダウンタウン周辺をぶらぶらと歩いていると、何カ所か見覚えがある場所があった。とくにこのspace needleは当時滞在していたホテルから近かったので、よく覚えていた。さらに、当時イチロー選手がいるということで、見に行ったsafeco fieldも思い出深い場所の一つ。現在もまだイチロー選手が同じチームで活躍しているとは、本当におどろきでもあり、不思議とうれしくもある。

昔の写真もアップしようと掘り出してはみたものの、自分の姿が知らないうちにあまりに変わっているのにショックをうけ、断念しました。。。。
ワークショップの数日前、急に知り合いからメールを受け取った。なんでも途上国での障害と技術に関するワークショップを開くけれども、MITからも一人招待したいとのこと。何回かメールをやり取りした後、行けなくなった知り合いの代わりに急遽自分が1泊3日の強行スケジュールで参加することになった。
アカデミック編
今回招待されたワークショップはこれ。オーガナイザはchangeというUniversity of Washington内のグループで、ICT(Information and Communication Techonlogy)を使った途上国開発を志している。メンバーのほとんどがコンピュータサイエンス学科に所属しているため、ワークショップの内容も障害者を補助するようなソフトウェアの紹介が多かった。例えば、目が見えない人のため声を使ったコンピュータインターフェースや、耳が聞こえない人のための言語学習システムなど、いま現在途上国で使われている既存の技術の紹介が多かった。自分は身体障害に関わっているため、Northwestern UniversityのWu氏のVacuum Castin Systemがとても印象に残った。これは通常数日は必要な義足用ソケットの作成プロセスを、数時間にすることができるというものだ。
Wu氏とは以前から知り合いで、1年前にはMITに招待し、授業の中で講演をしていただいたこともあった。そのときにはまだこのシステムは出来ていなかったはずで、実は我々DWPでも同じようなプロジェクトが進行中であった。2007年のIDEAS competitionというビジネスプランコンペティションで受賞したアイデアである。しかし、彼がすばらしいシステムを作ってしまったので、MITでは頓挫してしまったという経緯があった。
ワークショップで再会したWu氏は、医者としては既に引退されているけれども、非常に活動的で新しい共同研究のネタをいろいろと提供してくださった。
このワークショップは、発表者の隣に手話を使った通訳が常に待機し、さらにリアルタイムで発表者が話した言葉がスライドの隣のスクリーンに映りだされていた。何でも、話した言葉を恐ろしい速さでタイプすることができるプロがいるらしい。
MITのD-labを始め、いろいろな大学で途上国開発への工学的アプローチが広がりつつある。しかし、以前として大学の研究室で行われているのは論文主体のものが圧倒的に多い。国連が提唱しているミレニアム開発目標などに代表されるような、人類が直面している大問題に対して工学ができることは、実は限られている(もちろん分野によるが)。最先端の技術開発ももちろん重要だけれども、大学の教授陣がもう少し開発に目を向けると、本当におもしろい技術がぽんぽんと生まれると思うのだけれど。。。。
旅情編
今回ワークショップが開かれたシアトルは実は2回目の訪問で、8年前にきたことがある。そのときはまだ修士の学生で、ロボカップというロボットのサッカーの大会のために訪れたのだ。ワークショップが終わった後に4時間ほど飛行機の時間まで空いていたので、ダウンタウン周辺をぶらぶらと歩いていると、何カ所か見覚えがある場所があった。とくにこのspace needleは当時滞在していたホテルから近かったので、よく覚えていた。さらに、当時イチロー選手がいるということで、見に行ったsafeco fieldも思い出深い場所の一つ。現在もまだイチロー選手が同じチームで活躍しているとは、本当におどろきでもあり、不思議とうれしくもある。
昔の写真もアップしようと掘り出してはみたものの、自分の姿が知らないうちにあまりに変わっているのにショックをうけ、断念しました。。。。
2009年10月20日火曜日
少し前になるけれども、日本ロボット学会学術講演会のオーガナイズドセッションで発表をする機会があった。学会の会場は横浜国立大学だったのだけれども、学会で初めての試みとしてポリコムをつかった遠隔地での発表をやらせていただいたのだ。

セッション名は「国際的に活躍する若手研究者をめざして」というもので、実際に海外で研究を行っている、あるいはしていた若手の研究員が自身の体験を話すというものだった。発表者は多岐にわたって、アメリカはもちろん、フランスやスイス、イタリアで活躍されている方々であった。おそらく自分だけが学生で活躍とはほど遠いものだけれども、自分が留学中に体験したなかで非常に印象深いものを発表した。それはSTeLAとD-labだ。
STeLAはもはや自分の中では過去のものになってしまったけれども、今でも続いているもので年に一回リーダーシップフォーラムを開催している学生団体である。簡単に説明するといろいろな国の学生を一カ所にあつめて、さまざまな課題をいっしょにこなしていき、自身のリーダーシップを磨いていくというものだ。ロボット研究に一見関係のないものだと思われがちだけれども、さまざまな分野の知識が必要な分野なので、この集合知をマネージメントするには欠かせないものの一つである。
STeLAを経験してから思い始めたことが、リーダーシップとは結局取り組むべき対象があってはじめて発揮されるものであるということ。その対象は自分にとって、心から熱中できるものでなければならない。STeLAが終わってから、なにか実践できるようなものに取り組みたいと思うようになり、それが自分にとっては、本職の義足の研究、そしてD-labだった。
csという授業を教えている。研究室では、モータやセンサなど高価な要素を組み合わせて義足をつくっているのだが、一方で授業の中ではインドやアフガニスタンでも使えるような安い義肢装具を現地で手に入る材料と現地で使える加工技術だけを使って制作している。ロボット学会では、最先端の技術が発表されているわけだけれども、一方でロボット技術のアプリケーションの一つとして、途上国向けの研究が認められてもいいのではと個人的には思っている。
とえらそうに発表してしまったけれども、深夜の0:00に一人で、カメラに向かって発表するのはさびしいものだった。ポリコムで発表したためか、あるいはもともとつまらないネタだったためか、笑いをとろうとしたところではすべり、時間も少々オーバーしてしまい、発表自体は散々であったけれども、発表のあと何人かのロボット研究者がD-labの取り組みに興味をもってくれて、日本でもいくつかおもしろそうなことができそうだ。
セッション名は「国際的に活躍する若手研究者をめざして」というもので、実際に海外で研究を行っている、あるいはしていた若手の研究員が自身の体験を話すというものだった。発表者は多岐にわたって、アメリカはもちろん、フランスやスイス、イタリアで活躍されている方々であった。おそらく自分だけが学生で活躍とはほど遠いものだけれども、自分が留学中に体験したなかで非常に印象深いものを発表した。それはSTeLAとD-labだ。
STeLAはもはや自分の中では過去のものになってしまったけれども、今でも続いているもので年に一回リーダーシップフォーラムを開催している学生団体である。簡単に説明するといろいろな国の学生を一カ所にあつめて、さまざまな課題をいっしょにこなしていき、自身のリーダーシップを磨いていくというものだ。ロボット研究に一見関係のないものだと思われがちだけれども、さまざまな分野の知識が必要な分野なので、この集合知をマネージメントするには欠かせないものの一つである。
STeLAを経験してから思い始めたことが、リーダーシップとは結局取り組むべき対象があってはじめて発揮されるものであるということ。その対象は自分にとって、心から熱中できるものでなければならない。STeLAが終わってから、なにか実践できるようなものに取り組みたいと思うようになり、それが自分にとっては、本職の義足の研究、そしてD-labだった。
csという授業を教えている。研究室では、モータやセンサなど高価な要素を組み合わせて義足をつくっているのだが、一方で授業の中ではインドやアフガニスタンでも使えるような安い義肢装具を現地で手に入る材料と現地で使える加工技術だけを使って制作している。ロボット学会では、最先端の技術が発表されているわけだけれども、一方でロボット技術のアプリケーションの一つとして、途上国向けの研究が認められてもいいのではと個人的には思っている。
とえらそうに発表してしまったけれども、深夜の0:00に一人で、カメラに向かって発表するのはさびしいものだった。ポリコムで発表したためか、あるいはもともとつまらないネタだったためか、笑いをとろうとしたところではすべり、時間も少々オーバーしてしまい、発表自体は散々であったけれども、発表のあと何人かのロボット研究者がD-labの取り組みに興味をもってくれて、日本でもいくつかおもしろそうなことができそうだ。
2009年10月11日日曜日
最近まったく記事を書かずに、メールを何通かいただいた。まだまだ学生やっていますし、卒業していません。
最近これまで以上に人間の生死について考える機会があった。
ひとつひとつは単純なニューロンが大脳で数百億個、小脳で1000億個と怒濤を組んで複雑な思考を生み出す人間が未だに信じられない。デカルトが約300年前に「我思う、故に我あり」といったように、自分も「自分」を意識して生きている。体験したことがないのに、「自分」が消えてなくなることを、本能的に恐れている。それが他人に起ころうとしているときに、本能的に持っている死への恐怖と、その人の意識がなくなることへの悲しみ、いろいろな感情がごっちゃになって絶望が襲いかかってくる。そんなことが起こったらしばらく立ち直れそうにない。誰もが乗り越えなければならないものなのだろうけれど。
昔はいやでいやでしょうがなかった法事や墓参りも、今となってはしっかりとやらなければという考えになった。こういう行事や宗教は、亡くなった人のためというよりは、現世の人のためにあるものだ。あまり、自分は非科学的なものは信じないけれども、お墓に入っている故人を思い出したり、先祖に感謝を忘れないための機会を与えてくれる。こんなことをいったらお寺関係者にひどく怒られそうだ。
前野先生の受動意識仮説に関する本には「人間は自発的に行動したことも、実は脳によって自分がやっていると思わされているから、それを悲しむよりも、割り切って人生楽しくいきていこう」というようなくだりがあった。悲しみも脳が勝手に作り出している幻想ということなんだろうか。その割には本当に重すぎる幻想だ。脳がすごいってことか。
明日からSt. Louisへ学会に行ってきます。まずは自分を立て直さないと。
最近これまで以上に人間の生死について考える機会があった。
ひとつひとつは単純なニューロンが大脳で数百億個、小脳で1000億個と怒濤を組んで複雑な思考を生み出す人間が未だに信じられない。デカルトが約300年前に「我思う、故に我あり」といったように、自分も「自分」を意識して生きている。体験したことがないのに、「自分」が消えてなくなることを、本能的に恐れている。それが他人に起ころうとしているときに、本能的に持っている死への恐怖と、その人の意識がなくなることへの悲しみ、いろいろな感情がごっちゃになって絶望が襲いかかってくる。そんなことが起こったらしばらく立ち直れそうにない。誰もが乗り越えなければならないものなのだろうけれど。
昔はいやでいやでしょうがなかった法事や墓参りも、今となってはしっかりとやらなければという考えになった。こういう行事や宗教は、亡くなった人のためというよりは、現世の人のためにあるものだ。あまり、自分は非科学的なものは信じないけれども、お墓に入っている故人を思い出したり、先祖に感謝を忘れないための機会を与えてくれる。こんなことをいったらお寺関係者にひどく怒られそうだ。
前野先生の受動意識仮説に関する本には「人間は自発的に行動したことも、実は脳によって自分がやっていると思わされているから、それを悲しむよりも、割り切って人生楽しくいきていこう」というようなくだりがあった。悲しみも脳が勝手に作り出している幻想ということなんだろうか。その割には本当に重すぎる幻想だ。脳がすごいってことか。
明日からSt. Louisへ学会に行ってきます。まずは自分を立て直さないと。
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