デリーにきて1週間、実感はないけれど食べているものと汗の量、歩いている距離から推測すると多分相当やせたに違いないと思っている。
まず、今年の春セメスターは授業、研究、試験と本当に時間を運動以外のものに割いていたため、体重が増えてしまった。そして、夏になって、バスケはもちろん、水泳、バトミントン、ソフトボール、サッカー、100m走となぜか運動をする機会が圧倒的に増えて、体重も徐々に減った。
そしてインドでの生活。宿泊している施設、仕事をしているスペースもある宗教団体から借りているものらしく、この建物の中では肉は食べてはいけないらしい。そのため、ここで食べるものはすべてvegiで、もっといってしまえば、ベジのカレーがほとんど。しかもすごいからいやつ。もちろんたまにはそとに出歩いて食べるけれど、基本的に辛いため、そんなに量を食べることはできない。
そしてこの暑さと日差しの強さ。仕事場の人がよくバイクで観光につれてってくれるのだけれど、バイクにのっていても汗がでるくらい暑い。本当に蒸し暑い。今は本当は雨のシーズンらしいけれど、滞在中雨なんて一回しか降ってない。バイクに乗ったり、出歩いたりしていると本当に自分がガンジーみたいに細く黒くなっていっているような気がしてならない。
そんなわけで、おそらくこの1週間劇的にやせているはずである。しかし、今年の春にインドにきた友人は本当にげっそりとしてかえってきた。おそらくカレーにあたって、入院していたらしい。とりあえず、いまのところはおなかは絶好調なので、このまま元気にあと1週間弱過ごしてかえりたい。
ちなみにまだダルシムとは出会えていない。
急激にやせると、アメリカに帰った後のリバウンドがちょっとこわい。なので、また帰国したらまた運動しなければ。誰かがリバウンドを制するものは試合を制すっていってたし。
2008年7月30日水曜日
2008年7月29日火曜日
Delhiです
実は先週からインドのデリーにいます。
こっちでは、インターンをする予定だったのだけれど、担当の人がインフルエンザにかかってしまい、さらに他の人たちがまったく英語を話せないということで、こっちにきてから観光以外何もできていない。ただ、おなかはすこぶる調子がいい。
なぜインドにいるかというと、春セメスターにTAをしたこのクラスの一環で、クラスの中で出来上がった義足をテストしたり、来年のクラスのためのネタ探し、あるいは単純にインドでの義足事情を体験するためで、クラスをとった学生数人とオーガナイザが2週間ほど滞在している。
その滞在中にテロが立て続けに2回おこった。1回目はバンガロールという都市で、2回目はインド西部のアーメダバードという都市で、25日と26日に二日連続で爆破テロがあった。そのニュースを聞いて、
親が心配してメールをくれた。
ただ、インドではイスラム過激派は数団体存在し、テロは今回ははじめてではなく、数年前から活動が活発化し、去年で6回、今年はこれで4回の爆破テロがあったらしい。こっちの新聞でも大きく取り上げられていた。
ぼくがいるのはインドの首都、ニューデリーなのだけれど安全といえるわけではないらしい。3年ほど前に一度大規模の爆破テロがあったらしいのだ。
そのために、Ashkardham templeのようなヒンドゥー教関連の建物にはいるときには、厳重なセキュリティチェックが行われる。カメラさえ持ち込みが許されない。
テロが多い国だというのは前々からわかっていたし、もうきちゃったものはしょうがないので、遠くでおこった事件とはいえ、なるべく気をつけて過ごすことにします。とりあえず、ぼくはいまのところ大丈夫です。
なくなった方にはご冥福をお祈りします。
こっちでは、インターンをする予定だったのだけれど、担当の人がインフルエンザにかかってしまい、さらに他の人たちがまったく英語を話せないということで、こっちにきてから観光以外何もできていない。ただ、おなかはすこぶる調子がいい。
なぜインドにいるかというと、春セメスターにTAをしたこのクラスの一環で、クラスの中で出来上がった義足をテストしたり、来年のクラスのためのネタ探し、あるいは単純にインドでの義足事情を体験するためで、クラスをとった学生数人とオーガナイザが2週間ほど滞在している。
その滞在中にテロが立て続けに2回おこった。1回目はバンガロールという都市で、2回目はインド西部のアーメダバードという都市で、25日と26日に二日連続で爆破テロがあった。そのニュースを聞いて、
親が心配してメールをくれた。
ただ、インドではイスラム過激派は数団体存在し、テロは今回ははじめてではなく、数年前から活動が活発化し、去年で6回、今年はこれで4回の爆破テロがあったらしい。こっちの新聞でも大きく取り上げられていた。
ぼくがいるのはインドの首都、ニューデリーなのだけれど安全といえるわけではないらしい。3年ほど前に一度大規模の爆破テロがあったらしいのだ。
そのために、Ashkardham templeのようなヒンドゥー教関連の建物にはいるときには、厳重なセキュリティチェックが行われる。カメラさえ持ち込みが許されない。
テロが多い国だというのは前々からわかっていたし、もうきちゃったものはしょうがないので、遠くでおこった事件とはいえ、なるべく気をつけて過ごすことにします。とりあえず、ぼくはいまのところ大丈夫です。
なくなった方にはご冥福をお祈りします。
2008年7月26日土曜日
2008年7月23日水曜日
平城京がいつできたかというのを語呂合わせで、「なんと平城京」とか「なんとりっぱな平城京」っていっていた人が多かったけれど、うちの中学校の先生は「納豆食って平城京 (hey! 上京)」という語呂で教えてくれた。
そんな納豆のように栄養たっぷりで健康的に、かつ粘り強く生きていくように親がぼくを納豆の日、7月10日に生んでくれたとか。。
そんなわけはない。
そんな7月10日に三十路になりました。二十歳のころ描いていた三十路はまったく違うものだったのできっといまイメージしている四十路もいま思い描いているものとはかけ離れているのだろう。少なくとも学生は卒業していたい。
今年の7月10日は普通にラボにいって午前中からアドバイザーとミーティングをしていた。そして昼頃オフィスにもどって仕事をしていると同僚たちがケーキをもってきて入ってきた。三十路になってサプライズがあるとは、というかおそらくうまれてはじめてのサプライズだったかも。
そしてpinataというものを経験した。pinataとはピニャータと発音し、メキシコの遊びで、お菓子がいっぱいはいったくす玉を目隠しした人が棒を使って割り、お菓子をもらう遊びだそうです。
割ったあと、アドバイザーはご満悦。。。。。
そして、夜はサプライズ第2弾があるはずだった。というのもその日の午後、同じオフィスで同僚が「部屋の鍵をもらったから、夜サプライズをしに6時にKenのいえにいくぞ」と、おれがいるのにいないと思い込んでみんなと話をしていたのを聞いてしまった。ここは一つ聞かなかったことにしようと思って、普段通りに家にかえると、その同僚と数人が家の中で待っていた。そして、しばらくしてなぜか外にでるようにいわれる。またまたしばらくして部屋に戻ると、なぜか家のまえにsubwayの袋がおちていた。中にはまだsubがはいっている。新手のサプライズか。そして家にはいると20人くらいの人がクラッカーをならして待っていた。サプライズとは知っていたけれど、こんな大勢の人がきてくれたというのはほんとにサプライズだった。オーガナイズしてくれた人、本当にありがとう。
部屋の前に落ちていた謎のsubwayは普通に友人の一人が落としていったものだったらしい。うーん、サプライズ。
というわけで無事に30歳になりました。
そんな納豆のように栄養たっぷりで健康的に、かつ粘り強く生きていくように親がぼくを納豆の日、7月10日に生んでくれたとか。。
そんなわけはない。
そんな7月10日に三十路になりました。二十歳のころ描いていた三十路はまったく違うものだったのできっといまイメージしている四十路もいま思い描いているものとはかけ離れているのだろう。少なくとも学生は卒業していたい。
今年の7月10日は普通にラボにいって午前中からアドバイザーとミーティングをしていた。そして昼頃オフィスにもどって仕事をしていると同僚たちがケーキをもってきて入ってきた。三十路になってサプライズがあるとは、というかおそらくうまれてはじめてのサプライズだったかも。
そしてpinataというものを経験した。pinataとはピニャータと発音し、メキシコの遊びで、お菓子がいっぱいはいったくす玉を目隠しした人が棒を使って割り、お菓子をもらう遊びだそうです。
割ったあと、アドバイザーはご満悦。。。。。
そして、夜はサプライズ第2弾があるはずだった。というのもその日の午後、同じオフィスで同僚が「部屋の鍵をもらったから、夜サプライズをしに6時にKenのいえにいくぞ」と、おれがいるのにいないと思い込んでみんなと話をしていたのを聞いてしまった。ここは一つ聞かなかったことにしようと思って、普段通りに家にかえると、その同僚と数人が家の中で待っていた。そして、しばらくしてなぜか外にでるようにいわれる。またまたしばらくして部屋に戻ると、なぜか家のまえにsubwayの袋がおちていた。中にはまだsubがはいっている。新手のサプライズか。そして家にはいると20人くらいの人がクラッカーをならして待っていた。サプライズとは知っていたけれど、こんな大勢の人がきてくれたというのはほんとにサプライズだった。オーガナイズしてくれた人、本当にありがとう。
部屋の前に落ちていた謎のsubwayは普通に友人の一人が落としていったものだったらしい。うーん、サプライズ。
というわけで無事に30歳になりました。
2008年7月11日金曜日
前回くそまじめな内容を書いたけれど、今回はどうでもいい話。
中学生のときからか。知らないうちに「ちえこ」という名前に拒絶反応をするようになっていた。それはおそらく、中学校のときの同級生の「ちえこ」がテストで常にぶっちぎりの1位をとっていたから、知らないうちに何かの壁を感じていたのかもしれない。このちえこさんは同じ高校にいったあとは、どうなったかはしらない。
そして、最近になって留学仲間のひとりが「ちえこ」という名前の女性と結婚をした。そのときも、本人と会うのははじめてだったのに、以前から知り合いだったような、そしてなんかお互い嫌っていたのではというような壁を感じた。
そして、先日知り合いがblogに書いた記事にチコちゃんという犬がでてきた。チコちゃんが「ちえこ」のあだ名としてよく使われるからか、それとも飼い主の犬に対する異常なまでの愛情からか、やはりその記事にも何かしらの嫌な感覚を覚えた。
そして最近、その理由がわかった。これがトラウマというものか。小学校のとき音楽のときに聞いた合唱曲「チコタン」。これが原因だと思う。
内容は小学生の主人公がチコタンという女の子を好きになってプロポーズするんだけれど、はじめは断られて、でも結局OKもらって、最後はチコタンが死んでしまうという内容。当時のクラスメートはおもしろがっていたし、いま聞いてみると大したことない。しかし、当時の自分が、ものすごい大きなショックをうけたことをいまでも鮮明に覚えている。いろいろと調べてみると、少なくない人がこの曲に何らかの影響を受けているようだ。wikipediaにも「最凶のトラウマソング」として紹介されている。しかし、この曲は、芸術祭優秀賞を受賞しているらしい。この曲を作った蓬莱泰三氏と南安雄氏のコンビは、「日曜日~ひとりぼっちの祈り~」という、これまた問題作を作っており、数多くの人がいまでもそのトラウマに苦しんでいるらしい。
歌詞1-4 5
他にも知っている人がいたらうれしいな。
どうでもいいですよ。
中学生のときからか。知らないうちに「ちえこ」という名前に拒絶反応をするようになっていた。それはおそらく、中学校のときの同級生の「ちえこ」がテストで常にぶっちぎりの1位をとっていたから、知らないうちに何かの壁を感じていたのかもしれない。このちえこさんは同じ高校にいったあとは、どうなったかはしらない。
そして、最近になって留学仲間のひとりが「ちえこ」という名前の女性と結婚をした。そのときも、本人と会うのははじめてだったのに、以前から知り合いだったような、そしてなんかお互い嫌っていたのではというような壁を感じた。
そして、先日知り合いがblogに書いた記事にチコちゃんという犬がでてきた。チコちゃんが「ちえこ」のあだ名としてよく使われるからか、それとも飼い主の犬に対する異常なまでの愛情からか、やはりその記事にも何かしらの嫌な感覚を覚えた。
そして最近、その理由がわかった。これがトラウマというものか。小学校のとき音楽のときに聞いた合唱曲「チコタン」。これが原因だと思う。
内容は小学生の主人公がチコタンという女の子を好きになってプロポーズするんだけれど、はじめは断られて、でも結局OKもらって、最後はチコタンが死んでしまうという内容。当時のクラスメートはおもしろがっていたし、いま聞いてみると大したことない。しかし、当時の自分が、ものすごい大きなショックをうけたことをいまでも鮮明に覚えている。いろいろと調べてみると、少なくない人がこの曲に何らかの影響を受けているようだ。wikipediaにも「最凶のトラウマソング」として紹介されている。しかし、この曲は、芸術祭優秀賞を受賞しているらしい。この曲を作った蓬莱泰三氏と南安雄氏のコンビは、「日曜日~ひとりぼっちの祈り~」という、これまた問題作を作っており、数多くの人がいまでもそのトラウマに苦しんでいるらしい。
歌詞1-4 5
他にも知っている人がいたらうれしいな。
どうでもいいですよ。
2008年7月9日水曜日
先日、メディアラボのweekly letterの中にこんな記事があった。知らないうちのアドバイザーが取材されていたようだ。
Military inventions hit the civilian market
要約すると、「イラク戦争前は政府はあまり義足開発に興味を持たなかったけれど、戦争の後になると研究費が沢山もらえるようになった。このように戦争によって科学技術が進歩するといったサイクルが昔からある。」というようなことが書いてある。
自分の周りの友人もDARPAの研究をしている人がいるし、そういう自分もTATRCのプロジェクトをResearch assistantとして行っているから、学費と生活費をまかなうことができる。ちなみにDARPAもTATRCもDoDの一部。各ページをみてみると、迷彩服を来た軍人がライフルを持っていたり、戦車が砂煙をあげて走っていたりと、あからさまに戦争を彷彿させるようなイメージがあるため、おそらく多くの日本人はいい印象を受けないと思う。このようなプロジェクトから生まれたロボットたちもあからさまに戦争を意識したものが多い。1 2 3 4。そしてこのような動画が日本のメディアに現れるたびに、「アメリカは軍にお金を使い過ぎ」「アメリカは科学技術を兵器にしかつかわない」というようなアメリカ批判をよく目にする。たしかにそういう印象を持つのはわかるけれど、自分もその一部であるため、ちょっとはそういった否定的な見方に反論できないかと思い、素人なりにいろいろと調べてみた。
まず軍事費だけを単純にみてみると、やはりアメリカの数値が他の国より群を抜いている。たとえば、Stockholm International Peace Research Instituteの資料をみてみると、アメリカの軍事費は2位のイギリスの約10倍である。この資料は各国の報告をもとにSIPRIが推測したものなので、ある程度誤差はあるだろうけれど、さすがにアメリカの1位をひっくり返すほどの誤差はないと思われる。日本も金額だけをみると、他の先進国に匹敵するほどの金額を軍事にあてていることがわかる。
次にGDPと軍事費の割合をみてみた。CIAのfactbookをみてみるとOman、Qatar、Saudi ArabiaがGDPの10%以上を軍事費に当てているが、アメリカは4.09%。ちなみに日本はわずか0.08 0.8%。この値は少し古いうえに、軍事費は年によって(その年に勃発する紛争、戦争によって)変動するけれども、アメリカはここでも先進国の中では高い数値である。
factbook
ほかにもいろいろな情報源があるようだ。こことか。wikipediaはやっぱすごい。
しかし、よくよく考えてみると、日本では経済産業省や文部科学省のプロジェクトとして行われるようなものが、 アメリカではDARPAなど軍関係のプロジェクトとして行われているケースも多い。(もちろんNSFなどのような資金源もある) 果たして軍事費の中からどれくらいの割合で研究開発がおこなわれているのだろうか。
2006DoD newsより
これは軍事費を項目別に分けたものである。RDT&Eが研究開発費だろうか。この中の兵器開発の費用もあるだろうけれど、戦争とはまったく関係ないものも多くあるように思える。一方で日本はというと、具体的なデータは見つけられなかったけれど、得られた資料からは民間との共同開発はおこなわれている一方で、大学との連携は少ないようにおもえる。
(研究開発の資料より)
そもそも、日本には自衛隊を軍隊と呼ぶか呼ばないかという議論があるらしいけれど、こういった一連の資料からもわかるとおり、立派な軍隊として位置づけられている。そして最後に、日本にアメリカ軍隊が駐在し、一応守ってもらっているということもわすれてはならない。
何をもって軍事国家というのかはわからないけれど、こういったデータをみてみると、やっぱりアメリカは立派な軍事国家の一つであるといわざるを得ない。しかし、軍の研究=悪ときめつけて、頭ごなしに批判するのもどうかと思う。現に軍のお金を使って現在自分がやっている研究は義足であって、兵器ではない。
夜中に暇になって、いろいろ読み出したらとまらなくなってしまったので、一応記録に残そうと思って書いてみた。ここにはまちがったことも書いてあるかもしれないので、鵜呑みにしないほうがいいかも。
だって、しろうとだからよ。
Military inventions hit the civilian market
要約すると、「イラク戦争前は政府はあまり義足開発に興味を持たなかったけれど、戦争の後になると研究費が沢山もらえるようになった。このように戦争によって科学技術が進歩するといったサイクルが昔からある。」というようなことが書いてある。
自分の周りの友人もDARPAの研究をしている人がいるし、そういう自分もTATRCのプロジェクトをResearch assistantとして行っているから、学費と生活費をまかなうことができる。ちなみにDARPAもTATRCもDoDの一部。各ページをみてみると、迷彩服を来た軍人がライフルを持っていたり、戦車が砂煙をあげて走っていたりと、あからさまに戦争を彷彿させるようなイメージがあるため、おそらく多くの日本人はいい印象を受けないと思う。このようなプロジェクトから生まれたロボットたちもあからさまに戦争を意識したものが多い。1 2 3 4。そしてこのような動画が日本のメディアに現れるたびに、「アメリカは軍にお金を使い過ぎ」「アメリカは科学技術を兵器にしかつかわない」というようなアメリカ批判をよく目にする。たしかにそういう印象を持つのはわかるけれど、自分もその一部であるため、ちょっとはそういった否定的な見方に反論できないかと思い、素人なりにいろいろと調べてみた。
まず軍事費だけを単純にみてみると、やはりアメリカの数値が他の国より群を抜いている。たとえば、Stockholm International Peace Research Instituteの資料をみてみると、アメリカの軍事費は2位のイギリスの約10倍である。この資料は各国の報告をもとにSIPRIが推測したものなので、ある程度誤差はあるだろうけれど、さすがにアメリカの1位をひっくり返すほどの誤差はないと思われる。日本も金額だけをみると、他の先進国に匹敵するほどの金額を軍事にあてていることがわかる。
次にGDPと軍事費の割合をみてみた。CIAのfactbookをみてみるとOman、Qatar、Saudi ArabiaがGDPの10%以上を軍事費に当てているが、アメリカは4.09%。ちなみに日本はわずか
factbook
ほかにもいろいろな情報源があるようだ。こことか。wikipediaはやっぱすごい。
しかし、よくよく考えてみると、日本では経済産業省や文部科学省のプロジェクトとして行われるようなものが、 アメリカではDARPAなど軍関係のプロジェクトとして行われているケースも多い。(もちろんNSFなどのような資金源もある) 果たして軍事費の中からどれくらいの割合で研究開発がおこなわれているのだろうか。
2006DoD newsより
これは軍事費を項目別に分けたものである。RDT&Eが研究開発費だろうか。この中の兵器開発の費用もあるだろうけれど、戦争とはまったく関係ないものも多くあるように思える。一方で日本はというと、具体的なデータは見つけられなかったけれど、得られた資料からは民間との共同開発はおこなわれている一方で、大学との連携は少ないようにおもえる。
(研究開発の資料より)
そもそも、日本には自衛隊を軍隊と呼ぶか呼ばないかという議論があるらしいけれど、こういった一連の資料からもわかるとおり、立派な軍隊として位置づけられている。そして最後に、日本にアメリカ軍隊が駐在し、一応守ってもらっているということもわすれてはならない。
何をもって軍事国家というのかはわからないけれど、こういったデータをみてみると、やっぱりアメリカは立派な軍事国家の一つであるといわざるを得ない。しかし、軍の研究=悪ときめつけて、頭ごなしに批判するのもどうかと思う。現に軍のお金を使って現在自分がやっている研究は義足であって、兵器ではない。
夜中に暇になって、いろいろ読み出したらとまらなくなってしまったので、一応記録に残そうと思って書いてみた。ここにはまちがったことも書いてあるかもしれないので、鵜呑みにしないほうがいいかも。
だって、しろうとだからよ。
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