渡米して3週間強、やっとオリエンテーションが始まりました。
はじめに「大学院とは」のような堅そうなプレゼンがあったのだけど、はっきりいって楽しい。プレゼンがうまい。笑いが多い。生徒もいっぱい発言をする。発表者と生徒の距離が近い!!という感想です。詳しくはまた後日。
日程はというと9月6日から講義がはじまるので、それまでに保険やコンピュータ、体育、図書館の説明などもりだくさん。そして、なんといってもバーベキューばっか。こんなんでいいのかと思いつつ、食費がうくのと、交流を深めるためにどっぷり参加してしまう。
まだまだ研究は始まりそうにないです。。。。さ、夜はバスケ、バスケ!!
2005年8月31日水曜日
2005年8月29日月曜日
2005年8月28日日曜日
ひさびさにバスケにもMITにも関係ない話題。。
今日は航空便でおくった自分のPCを買った机にセッティングしました。といってもおいてケーブル類をつなぐだけなんだけどね。
しばらくつかっていると、電源が急に落ちた。。。なんでだろう?
やっぱ航空便はよくなかったのか。HDDだけは手荷物としてもってきたので、電源まわりがあやしい。と思っているときにspeedfanというCPUの温度のモニタやファンのスピードをチェックできるフリーウェアをつかって、CPUの温度をみてみると、125度になると勝手に電源が落ちることが判明。フェールセーフってやつか。つーか、125度はまずいな。。
ファンの回転数を調節しようとしてもすでにフルパワー。なので、BIOS設定画面でなんとかならないかいろいろみていると,CPUの電源を調節できるところを発見。1.55VってなっているのでAMDのページをみて仕様をみてみると1.4VでOKらしい。ってことは1.3Vでもいけるだろうと(H8だって5V仕様で3Vで動くし)、経験からだけで判断し実行。
すると80度くらいで安定し始めました。ということで解決(したのか?)
来週から本格的にオリエンテーションが始まる。ひまな生活はこれでおわり、、なはず。
つまらない話題ですみませんm( )m
今日は航空便でおくった自分のPCを買った机にセッティングしました。といってもおいてケーブル類をつなぐだけなんだけどね。
しばらくつかっていると、電源が急に落ちた。。。なんでだろう?
やっぱ航空便はよくなかったのか。HDDだけは手荷物としてもってきたので、電源まわりがあやしい。と思っているときにspeedfanというCPUの温度のモニタやファンのスピードをチェックできるフリーウェアをつかって、CPUの温度をみてみると、125度になると勝手に電源が落ちることが判明。フェールセーフってやつか。つーか、125度はまずいな。。
ファンの回転数を調節しようとしてもすでにフルパワー。なので、BIOS設定画面でなんとかならないかいろいろみていると,CPUの電源を調節できるところを発見。1.55VってなっているのでAMDのページをみて仕様をみてみると1.4VでOKらしい。ってことは1.3Vでもいけるだろうと(H8だって5V仕様で3Vで動くし)、経験からだけで判断し実行。
すると80度くらいで安定し始めました。ということで解決(したのか?)
来週から本格的にオリエンテーションが始まる。ひまな生活はこれでおわり、、なはず。
つまらない話題ですみませんm( )m
2005年8月27日土曜日
最近バスケネタ続くな~。。
Tシャツにつっこみはいれないで。。今日もMITのRockwell cageでバスケをやっていました。すると、中国人ぽい集団がもう一方のゴールでバスケをやり始めました。まざりて~と思っていたら、4人で2on2をやり始めてしまいました。20分くらいたつと2人帰ってしまいました。そのあと、残りの2人がおれのところにきて「いっしょにやろう」といってくれました。
まってました!!
やったのが21。yukkeもアメリカで体験したやつでした。結果は21対8対2くらいで圧勝。あんまうまくなかったな。でもここでの初めてのバスケだったので楽しかった!!
かれらの名前はクォエルとジョッシュウェルという中国人。ミドルスクールのときにバスケをあってたといってた。かれらは近くのカレッジの学生で、よくここに来るらしい。また会いそう。
いい中国人に会えた~~!
まってました!!
やったのが21。yukkeもアメリカで体験したやつでした。結果は21対8対2くらいで圧勝。あんまうまくなかったな。でもここでの初めてのバスケだったので楽しかった!!
かれらの名前はクォエルとジョッシュウェルという中国人。ミドルスクールのときにバスケをあってたといってた。かれらは近くのカレッジの学生で、よくここに来るらしい。また会いそう。
いい中国人に会えた~~!
2005年8月24日水曜日
数日まえにMITの体育館のバスケコートにいってきました。
スポーツ施設がいっぱいある建物はZesiger Sports & Fitness Center,
通称Zcenterとよばれていて、これまた有名な建築家が建てた建物らしい。その話は別の機会に。。
それで、MIT IDを手に入れてしばらくして、バスケコートを探索にいく時間ができ、いってきました。それが下の写真。
このほかにも3つくらいコートが並んでたけど、一番きれいなコートがこれです。なんつーか、すっごい感動!フリースローレーンが台形じゃないし。。
コートは確か予約しなければ使えないのだけれど、だれもいないのでしのびこんでシューティングをしばらく楽しんで帰りました。今度はバッシュと練習着をもっていって、どっかのチームの練習に混ぜてもらおう!!
最近、おれのブログ読むと相当暇なんじゃねーかと思うかもしれないけど、ちゃんとやることはやってんだよ!!ただ、研究室に(引越しのせいで)まだよばれてないだけ。。
スポーツ施設がいっぱいある建物はZesiger Sports & Fitness Center,
通称Zcenterとよばれていて、これまた有名な建築家が建てた建物らしい。その話は別の機会に。。
それで、MIT IDを手に入れてしばらくして、バスケコートを探索にいく時間ができ、いってきました。それが下の写真。
このほかにも3つくらいコートが並んでたけど、一番きれいなコートがこれです。なんつーか、すっごい感動!フリースローレーンが台形じゃないし。。
コートは確か予約しなければ使えないのだけれど、だれもいないのでしのびこんでシューティングをしばらく楽しんで帰りました。今度はバッシュと練習着をもっていって、どっかのチームの練習に混ぜてもらおう!!
最近、おれのブログ読むと相当暇なんじゃねーかと思うかもしれないけど、ちゃんとやることはやってんだよ!!ただ、研究室に(引越しのせいで)まだよばれてないだけ。。
2005年8月23日火曜日
2005年8月22日月曜日
今日はアパートの裏のリングでシュートを1人でうっていたら、
なんと、10歳くらいの黒人の男の子がリングのところにボールを持っってきた。うちのアパートは大学院生がいっぱい住んでいて、家族で住んでいる人が多い、つまり子供もいっぱい住んでいる。そのこがもってきたボールは空気がなくて、ドリブルできなそうだったから
いっしょにやろうか
といったら、
勝負しよう!!
っていってきた。。。なんと、子供に勝負を挑まれるとは。。。
結果は10-1くらいで圧勝(かなり手を抜いて)。多分バスケ経験はあるのかもしれないけれど、あんまりうまくなかった。身長もおれより全然低い。けど、バスケが好き!!っていうのが伝わってきて、本当に楽しそうだった。こんなこが将来ダンクかますような選手になるんだろうな。。。。なにはともあれ、アメリカ初の1on1の相手はかわいい子供でした。
おれの研究室はいま引越しの時期でおれの場所がまだできないから、こなくていいよっていわれた。いつからはじまるんだろう。。おれの研究生活。
なんと、10歳くらいの黒人の男の子がリングのところにボールを持っってきた。うちのアパートは大学院生がいっぱい住んでいて、家族で住んでいる人が多い、つまり子供もいっぱい住んでいる。そのこがもってきたボールは空気がなくて、ドリブルできなそうだったから
いっしょにやろうか
といったら、
勝負しよう!!
っていってきた。。。なんと、子供に勝負を挑まれるとは。。。
結果は10-1くらいで圧勝(かなり手を抜いて)。多分バスケ経験はあるのかもしれないけれど、あんまりうまくなかった。身長もおれより全然低い。けど、バスケが好き!!っていうのが伝わってきて、本当に楽しそうだった。こんなこが将来ダンクかますような選手になるんだろうな。。。。なにはともあれ、アメリカ初の1on1の相手はかわいい子供でした。
おれの研究室はいま引越しの時期でおれの場所がまだできないから、こなくていいよっていわれた。いつからはじまるんだろう。。おれの研究生活。
2005年8月20日土曜日
MITにはおもしろい建物が多い。
おれが毎日通っているmedia labのあるWiesner Buildingもそのひとつ。
この建物はIeoh Ming Pei(貝聿銘)という建築家によってデザインされた建物らしい。彼は中国生まれで18歳のときにアメリカに渡った。代表作はなんといってもルーブル美術館の入り口にあるピラミッド。丹下健三と並んでアジアの二巨頭といわれているモダニズム建築家。
中に入ってみると、建物の大部分が吹き抜けになっていて、その周りをmedia labのいろいろな研究室が囲んでいる。おれが授業とかを受ける教室があるフランク・ゲーリーのstata centerのインパクトには及ばないけど、はやり洗練された建物であると素人ながら感じます。。
なんかまちがいとか補足があったらよろしく>architraveler
おれが毎日通っているmedia labのあるWiesner Buildingもそのひとつ。
この建物はIeoh Ming Pei(貝聿銘)という建築家によってデザインされた建物らしい。彼は中国生まれで18歳のときにアメリカに渡った。代表作はなんといってもルーブル美術館の入り口にあるピラミッド。丹下健三と並んでアジアの二巨頭といわれているモダニズム建築家。
中に入ってみると、建物の大部分が吹き抜けになっていて、その周りをmedia labのいろいろな研究室が囲んでいる。おれが授業とかを受ける教室があるフランク・ゲーリーのstata centerのインパクトには及ばないけど、はやり洗練された建物であると素人ながら感じます。。
なんかまちがいとか補足があったらよろしく>architraveler
2005年8月19日金曜日
なんだかんだあって、やっと念願のMIT IDを手に入れました。
ここまでくるのにだいぶ時間がかかった。International Student OfficeにいってOrientationをうけなきゃだめとか、いろいろ書類を書かないとだめとか、その書類のありかがわからないとか。
IDが手に入った!もう離さない!!これでアパートの入り口のドアを開けられる!(いままでは裏のドアから鍵をつかって入っていた)そして、MITに体育館を使える!!と思って体育館にいったんだけど、「フロアを予約しなければだめ」だと。つまりIDを手に入れたことでフロアを予約できるようになったらしい。予約して1人でつかってもな。。。まーするけどさ。
とまたとぼとぼアパートに帰ると、なんとアパートの裏にバスケットのリング発見!!死角にあったのでぜんぜんきづかなかった。スペースが狭くて、せいぜいフリースローくらいのシュートしかできない。でもいまはこれでいい。。やっと、バスケができた!!!
あと、空気入れを買いました。高校の現役生からもらったボールの空気が抜けたままだったので早速いれました。
やっと生活が落ち着いてきたかな。研究はどうなるんだろ。。
ここまでくるのにだいぶ時間がかかった。International Student OfficeにいってOrientationをうけなきゃだめとか、いろいろ書類を書かないとだめとか、その書類のありかがわからないとか。
IDが手に入った!もう離さない!!これでアパートの入り口のドアを開けられる!(いままでは裏のドアから鍵をつかって入っていた)そして、MITに体育館を使える!!と思って体育館にいったんだけど、「フロアを予約しなければだめ」だと。つまりIDを手に入れたことでフロアを予約できるようになったらしい。予約して1人でつかってもな。。。まーするけどさ。
とまたとぼとぼアパートに帰ると、なんとアパートの裏にバスケットのリング発見!!死角にあったのでぜんぜんきづかなかった。スペースが狭くて、せいぜいフリースローくらいのシュートしかできない。でもいまはこれでいい。。やっと、バスケができた!!!
あと、空気入れを買いました。高校の現役生からもらったボールの空気が抜けたままだったので早速いれました。
やっと生活が落ち着いてきたかな。研究はどうなるんだろ。。
2005年8月17日水曜日
今日の朝は、気持ちいい晴れです。気温もちょうどよく一年の中で一番過ごしやすい時期なのだと感じた。
今日は自転車で語学学校に向う。ボストンコモンの自転車置き場に自転車をおいて教室に向う。昼休みになって午後の校舎(なぜが午前の校舎と午後の校舎が結構はなれている)に移動するときに、自転車置き場にこんなものがおちていた。
あれ、これどっかでみたことあるな。
まさか。。。。
そう、これはおれがつかっていた自転車のロック。自転車は盗まれていました。先週の土曜日にかったばかりなのに。。。。orz
そして、午後の授業もおわってとぼとぼと家にかえると、家においてあった自転車も盗まれていた。そう土曜日に買った2台の自転車が今日1日で盗まれたのです。。。しかも違う場所で。ありえねーー。MITの自転車のセキュリティーについてのページがあることをしり、読んでみる。なるべくU字ロックをつけると。。。。盗難が多いとはきいてたけどさ、もっと教えてくれてもいいじゃない!!自転車屋のにーちゃん!!
気を取り直して、MIT内を歩いていると、チャペルの周りの堀に水がたまっているのを発見。3月にきたときにはなかったのに。そういえば、土曜日に結婚式がやってた。今度の日曜日に中をみてみよう。
これはarchitravelerが写真をとってこいといっていた、エーロ・サーリネンのチャペル。さがしてみると、この中で結婚式をあげた人のページを発見。結構いい雰囲気ですね~~。
今日は自転車で語学学校に向う。ボストンコモンの自転車置き場に自転車をおいて教室に向う。昼休みになって午後の校舎(なぜが午前の校舎と午後の校舎が結構はなれている)に移動するときに、自転車置き場にこんなものがおちていた。
あれ、これどっかでみたことあるな。
まさか。。。。
そう、これはおれがつかっていた自転車のロック。自転車は盗まれていました。先週の土曜日にかったばかりなのに。。。。orz
そして、午後の授業もおわってとぼとぼと家にかえると、家においてあった自転車も盗まれていた。そう土曜日に買った2台の自転車が今日1日で盗まれたのです。。。しかも違う場所で。ありえねーー。MITの自転車のセキュリティーについてのページがあることをしり、読んでみる。なるべくU字ロックをつけると。。。。盗難が多いとはきいてたけどさ、もっと教えてくれてもいいじゃない!!自転車屋のにーちゃん!!
気を取り直して、MIT内を歩いていると、チャペルの周りの堀に水がたまっているのを発見。3月にきたときにはなかったのに。そういえば、土曜日に結婚式がやってた。今度の日曜日に中をみてみよう。
これはarchitravelerが写真をとってこいといっていた、エーロ・サーリネンのチャペル。さがしてみると、この中で結婚式をあげた人のページを発見。結構いい雰囲気ですね~~。
2005年8月16日火曜日
週末から雨が降り出した。こっちにきてはじめての雨。
雨というよりかサンダーストームらしい。たいしたことはなかったけど、たまに降る大粒の雨が痛かった。
そして月曜日。いつもどおり朝語学学校に行こうとして外にでてみると。。。寒い。半そででいるとあきらかに肌寒い。でも長袖は船便でおくってしまったため、我慢して語学学校に向う。道行く人はみんな長袖をきていた。この変化の早さがボストンなのか。。。
そして、語学学校のあと、念願のIDを手に入れた。これで体育館に入れる。しかし、今日はヨガにいくことになった。(こういうときは独り身のyukkeがうやらましい。。)
ヨガはボストンでもはやっているようだ。ヨガっていったら普通はダルシムだよな。。新居と同じ建物の地下で毎週月曜日の夜、ヨガクラスが行われている。はじめてのヨガだったけど、おれ、結構むいているかも。。。はじめての人はできないような動きをしておどろかれたり(ただのよいしょか?)していい気分で1日を終えた。
今日、日本で地震があったらしい。しかもかなり大きいようだ。日本の地震の3、4時間まえにボストンで「あれ、地震雲じゃねー?」という会話をしていました。。
ちょっとわかりづらいけど、確かにそういわれるとそんな感じだったような。。。でもまさか日本の地震とは関係ないような。。
雨というよりかサンダーストームらしい。たいしたことはなかったけど、たまに降る大粒の雨が痛かった。
そして月曜日。いつもどおり朝語学学校に行こうとして外にでてみると。。。寒い。半そででいるとあきらかに肌寒い。でも長袖は船便でおくってしまったため、我慢して語学学校に向う。道行く人はみんな長袖をきていた。この変化の早さがボストンなのか。。。
そして、語学学校のあと、念願のIDを手に入れた。これで体育館に入れる。しかし、今日はヨガにいくことになった。(こういうときは独り身のyukkeがうやらましい。。)
ヨガはボストンでもはやっているようだ。
今日、日本で地震があったらしい。しかもかなり大きいようだ。日本の地震の3、4時間まえにボストンで「あれ、地震雲じゃねー?」という会話をしていました。。
ちょっとわかりづらいけど、確かにそういわれるとそんな感じだったような。。。でもまさか日本の地震とは関係ないような。。
日曜日にホテルから新居に移動した。つまり、なにもない新居を生活できる空間にしなければいけない。この週末はそれに大忙しだった。
土曜日
まずはベッド。寝るところがなければ寝れない。とりあえず寝られるものがあればいいので、寝袋とかエアーベッドとかあればいいかなとおもってまずはporter squareというところにいった。そこで家具屋のmoving saleを発見。早速はいってみると安い!!納期も即日とのこと。カーペットとベッドをすぐに購入。そして、近くのお店で自転車を買っていそいでアパートに戻り、ベッドとカーペットを受け取る。ベッドは組み立て式なので1時間ほどかかってようやく完成した。
しかし、暑い!!部屋はエアコンがないんだけど、とてつもなく暑い。夏を乗り切ることができるか。。。
そして、ホテルに戻り、ちかくのnew burry通りでベッドのシーツや枕を購入。new burry通りは日本の同潤会アパートのような雰囲気??女性にお勧めです。この週末はマサチューセッツ州の税がなくなるらしい。年に1回だけなので、大奮発の買い物でした。
日曜日
この日はついにホテルのチェックアウト。新居に移動し掃除を始める。しかし、こまかいところが汚い。日本がいかにきれいな国なのか改めて知る。アメリカの人は部屋の壁をペンキでうわぬりし、床はワックスをかければきれいになると思っているらしい。まぁ、住めるだけましか。
そして、またporter squareへいって扇風機を購入。とりあえず、今年はこれで我慢。扇風機29ドル、これで得られる生活環境、プライスレス。。。やっと落ち着いたので、送別会のときに後輩からもらっただるまに目をいれてみようとする。どっちにいれるんだ??調べてみると、だるまの左目(むかって右)にまずいれるのが正解らしい。表面がぼこぼこしていて、買ったペンもあんまうつらないのでいびつになったけど、まいっか。
渡米して一週間。いまだバスケコートすらみれず。。。明日、MIT IDがもらえる。。。はず。
先生、バスケがやりたいです。。
土曜日
まずはベッド。寝るところがなければ寝れない。とりあえず寝られるものがあればいいので、寝袋とかエアーベッドとかあればいいかなとおもってまずはporter squareというところにいった。そこで家具屋のmoving saleを発見。早速はいってみると安い!!納期も即日とのこと。カーペットとベッドをすぐに購入。そして、近くのお店で自転車を買っていそいでアパートに戻り、ベッドとカーペットを受け取る。ベッドは組み立て式なので1時間ほどかかってようやく完成した。
しかし、暑い!!部屋はエアコンがないんだけど、とてつもなく暑い。夏を乗り切ることができるか。。。
そして、ホテルに戻り、ちかくのnew burry通りでベッドのシーツや枕を購入。new burry通りは日本の同潤会アパートのような雰囲気??女性にお勧めです。この週末はマサチューセッツ州の税がなくなるらしい。年に1回だけなので、大奮発の買い物でした。
日曜日
この日はついにホテルのチェックアウト。新居に移動し掃除を始める。しかし、こまかいところが汚い。日本がいかにきれいな国なのか改めて知る。アメリカの人は部屋の壁をペンキでうわぬりし、床はワックスをかければきれいになると思っているらしい。まぁ、住めるだけましか。
そして、またporter squareへいって扇風機を購入。とりあえず、今年はこれで我慢。扇風機29ドル、これで得られる生活環境、プライスレス。。。やっと落ち着いたので、送別会のときに後輩からもらっただるまに目をいれてみようとする。どっちにいれるんだ??調べてみると、だるまの左目(むかって右)にまずいれるのが正解らしい。表面がぼこぼこしていて、買ったペンもあんまうつらないのでいびつになったけど、まいっか。
渡米して一週間。いまだバスケコートすらみれず。。。明日、MIT IDがもらえる。。。はず。
先生、バスケがやりたいです。。
2005年8月13日土曜日
今日は新居のチェックインでした。
新居はすでに5月にきまっていました。そして12日にチェックインにこいというメールをもらっていたのでいったところ、まだ掃除が終わっていないとのこと。いまから急いでやるから夕方にきてくれといわれた。さすがアメリカ。
理由は前に住んでいた中国人がなかなか出て行かなかったかららしい。さすが中国人
じつはおれは中国人が苦手。あの自己主張の強さやずうずうしさや聞きとりづらい英語の発音(人によるだろうけど)のせいだと思う。でも以前韓国人嫌いの俺のイメージをいっそうしてくれた韓国人と出会えたおかげで、韓国人は好きになった。事実、その人のアドバイスのおかげでMITを受けることになった。MITには中国人が多いので、今回の留学ですばらしい中国人とであって中国へのイメージを変えたいと思っていた。
まだ、この日はやることがいっぱいあったので、しょうがなく引き換えす。まず、銀行口座の開設。MIT federal credit union (MITFCU)でsaving accountとchecking accountの両方を扱えるものを開いた。MITの学生がsocial security number(SSN)がなくても開けるのはここだけらしい。SSNや運転免許や銀行口座のためにはどれも名前と住所が乗っている証明が必要らしいんだけど、それがまず手に入らない。おれの場合はMITFCUというものがあったから、これで証明が手に入った。yukkeとかiyoとかはどうやってんだろ。。。(すぐ他人が気になってしまう)
それで、次にInternational Student Officeにいってオリエンテーションに参加。10人くらいいたけど、韓国人、中国人、シンガポール人が
��、3人ずついた。
そのつぎにMIT medical officeにいって日本でうけてきた健康診断や予防接種のフォームをわたす。おれはまだB型肝炎の3回目と
風疹が受けていないことになっていた。B型肝炎はわかるけど、なんで風疹も受けてないことになってんの?というわけで9月に受けることになる。
そのあと、研究室によって新居にいってみた。やっと部屋をみれるとおもってエレベータをつかって14階にいく。エレベータのドアが開いた瞬間に異様なにおい。。。がまんして自分の部屋の前にいくと、隣の部屋の前にこんなものが。
まぢ、くさい。早く部屋に入らなくては。。部屋の中はこんな感じ。本当に家具がないんだよね。あんまり広くないし。でもさ、景色は絶品!!
あとで、調べてみると隣の住人は中国人。そして、その反対の隣も中国人。よくよく調べてみると、アパートの住人の多くが中国人。おれの中国人嫌いは直るのだろうか。。
新居はすでに5月にきまっていました。そして12日にチェックインにこいというメールをもらっていたのでいったところ、まだ掃除が終わっていないとのこと。いまから急いでやるから夕方にきてくれといわれた。さすがアメリカ。
理由は前に住んでいた中国人がなかなか出て行かなかったかららしい。さすが中国人
じつはおれは中国人が苦手。あの自己主張の強さやずうずうしさや聞きとりづらい英語の発音(人によるだろうけど)のせいだと思う。でも以前韓国人嫌いの俺のイメージをいっそうしてくれた韓国人と出会えたおかげで、韓国人は好きになった。事実、その人のアドバイスのおかげでMITを受けることになった。MITには中国人が多いので、今回の留学ですばらしい中国人とであって中国へのイメージを変えたいと思っていた。
まだ、この日はやることがいっぱいあったので、しょうがなく引き換えす。まず、銀行口座の開設。MIT federal credit union (MITFCU)でsaving accountとchecking accountの両方を扱えるものを開いた。MITの学生がsocial security number(SSN)がなくても開けるのはここだけらしい。SSNや運転免許や銀行口座のためにはどれも名前と住所が乗っている証明が必要らしいんだけど、それがまず手に入らない。おれの場合はMITFCUというものがあったから、これで証明が手に入った。yukkeとかiyoとかはどうやってんだろ。。。(すぐ他人が気になってしまう)
それで、次にInternational Student Officeにいってオリエンテーションに参加。10人くらいいたけど、韓国人、中国人、シンガポール人が
��、3人ずついた。
そのつぎにMIT medical officeにいって日本でうけてきた健康診断や予防接種のフォームをわたす。おれはまだB型肝炎の3回目と
風疹が受けていないことになっていた。B型肝炎はわかるけど、なんで風疹も受けてないことになってんの?というわけで9月に受けることになる。
そのあと、研究室によって新居にいってみた。やっと部屋をみれるとおもってエレベータをつかって14階にいく。エレベータのドアが開いた瞬間に異様なにおい。。。がまんして自分の部屋の前にいくと、隣の部屋の前にこんなものが。
まぢ、くさい。早く部屋に入らなくては。。部屋の中はこんな感じ。本当に家具がないんだよね。あんまり広くないし。でもさ、景色は絶品!!
あとで、調べてみると隣の住人は中国人。そして、その反対の隣も中国人。よくよく調べてみると、アパートの住人の多くが中国人。おれの中国人嫌いは直るのだろうか。。
今日で語学学校3日目。。。
おれのいるELCという語学学校にはいま日本人がいっぱいいる。その中で、こんなやつがいた。
授業中におれに英語で質問してくるやつ。なんボストンにきたのか?いつきたのか?学生か?って質問攻め。しかも英語で。
まわりにいたイタリア人が
「なんでお互い2人とも日本人なのに英語で話すのか?」
というとそいつは
「おれはここに英語を勉強しにきているから」
だってさ。正直こいつは英語があまり話せてないようなやつなんだけど、こういうやつが将来立派に英語を話せているようになるんだろうなと思った。まわりの女子大生は遊びにきているような感じだしね。。この姿勢は見習いたい!!
授業の内容ははっきりいって会話が中心。grammerでもreadingでも。教科書を開かない授業すらある。英語の基礎を学びたい人というよりは、英語に慣れたいって思っている人向きなのかも。おれも慣れたい人だったからちょうど良かったけどさ。
授業はというと、先生がなんか質問をなげかけて生徒がそれに答えるって形が多い。たとえば、今日はアメリカの共通言語として英語にすべきなのか?(南アメリカではスペイン語の地域とかもあるらしい。チャイナタウンも中国語だけ??)っていう問題。それに関して生徒はどんどん発言をする。順番なんてお構いなし。先生にさされなくてもどんどん発言する。日本人はまったく話さない人がほとんど。つまり、せっかく高い金払って授業にでても、授業に参加(発言するところまで)できなければ無駄になってしまう。おれを含めて日本人にはこういうシチュエーションは慣れないもので何もしないまま授業が終わってしまうこともあった。いまではがんばって発言しようはするけど、ほかの国の人たちには負けてしまう。そこは見習いたいな。。(yukkeはどんななんだろ。。)
おれのいるELCという語学学校にはいま日本人がいっぱいいる。その中で、こんなやつがいた。
授業中におれに英語で質問してくるやつ。なんボストンにきたのか?いつきたのか?学生か?って質問攻め。しかも英語で。
まわりにいたイタリア人が
「なんでお互い2人とも日本人なのに英語で話すのか?」
というとそいつは
「おれはここに英語を勉強しにきているから」
だってさ。正直こいつは英語があまり話せてないようなやつなんだけど、こういうやつが将来立派に英語を話せているようになるんだろうなと思った。まわりの女子大生は遊びにきているような感じだしね。。この姿勢は見習いたい!!
授業の内容ははっきりいって会話が中心。grammerでもreadingでも。教科書を開かない授業すらある。英語の基礎を学びたい人というよりは、英語に慣れたいって思っている人向きなのかも。おれも慣れたい人だったからちょうど良かったけどさ。
授業はというと、先生がなんか質問をなげかけて生徒がそれに答えるって形が多い。たとえば、今日はアメリカの共通言語として英語にすべきなのか?(南アメリカではスペイン語の地域とかもあるらしい。チャイナタウンも中国語だけ??)っていう問題。それに関して生徒はどんどん発言をする。順番なんてお構いなし。先生にさされなくてもどんどん発言する。日本人はまったく話さない人がほとんど。つまり、せっかく高い金払って授業にでても、授業に参加(発言するところまで)できなければ無駄になってしまう。おれを含めて日本人にはこういうシチュエーションは慣れないもので何もしないまま授業が終わってしまうこともあった。いまではがんばって発言しようはするけど、ほかの国の人たちには負けてしまう。そこは見習いたいな。。(yukkeはどんななんだろ。。)
2005年8月11日木曜日
今日は語学学校にいってきた。
はじめは語学学校なんて別にいいやって思ってたけど、大学の講義をいきなりはじめて本当についていけるかどうか不安になってしまったので、行くことを最近決めた。
昨日はいろいろ事務手続きがあったので休みをもらって今日が初日。はじめに朝早くいってplacement testを受けた。すっげー簡単。文法は満点、interviewも5分くらい話して満点をもらった。こんなのでいいのか?
結局一番レベルの高いクラスに入って、授業を受けてみるとレベルたか!! おまえら普通にアメリカ人じゃねーかっていうくらいの人たちがいっぱいいました。いろいろ話してみると、ここは語学だけじゃなくてアメリカの文化とかビジネス英語とかも学べるからきているだとか。。
そんで授業はなかなか内容の濃いものだった。授業がおわって教室から外にでてみるとa lot of japaneses。なんかきゃぴきゃぴした女子大学生ちっくな人たちが群れてました。もちろん、日本語でぺちゃくちゃと。。。おれ、こんなやつらと同じクラスにならなくてよかった。。。
こんな感じで語学学校の初日は終わりました。まだ時差ぼけがつらい。。。おやすみなさぃ。。。
はじめは語学学校なんて別にいいやって思ってたけど、大学の講義をいきなりはじめて本当についていけるかどうか不安になってしまったので、行くことを最近決めた。
昨日はいろいろ事務手続きがあったので休みをもらって今日が初日。はじめに朝早くいってplacement testを受けた。すっげー簡単。文法は満点、interviewも5分くらい話して満点をもらった。こんなのでいいのか?
結局一番レベルの高いクラスに入って、授業を受けてみるとレベルたか!! おまえら普通にアメリカ人じゃねーかっていうくらいの人たちがいっぱいいました。いろいろ話してみると、ここは語学だけじゃなくてアメリカの文化とかビジネス英語とかも学べるからきているだとか。。
そんで授業はなかなか内容の濃いものだった。授業がおわって教室から外にでてみるとa lot of japaneses。なんかきゃぴきゃぴした女子大学生ちっくな人たちが群れてました。もちろん、日本語でぺちゃくちゃと。。。おれ、こんなやつらと同じクラスにならなくてよかった。。。
こんな感じで語学学校の初日は終わりました。まだ時差ぼけがつらい。。。おやすみなさぃ。。。
2005年8月9日火曜日
到着から一夜が明けました。
夜中の3時に荷物が無事に到着したおかげで着替えができるようになってよかった、よかった。
こっちは日本に負けないくらい暑いです。
今日はKO大学の後輩で現在夏休みの間ニューヨーク大学にきていたMと会いました。彼女はその日の2時にはNYに向かわなければ行けないらしいので、短い時間だったけど昼ごはんを一緒にしました。
別れた後、日本領事館に向かいました。なぜかというと、サイン登録が必要だから。日本でいう印鑑登録みたいやつ。なんでこうなったかというと
日本にて
(1)アメリカに引っ越すから車を売ろう!!
(2)まずは住所変更で町役場にいく。
(3)免許センターにいって国際免許とか
(4)もう回るところはないから車はいらないや。売ろう。
(5)印鑑証明が必要。
という感じです。印鑑証明は住所をアメリカに変更したあったので、すでに無効になってました。これを解決するためには、引越し先の日本領事館でサイン登録が必要になるそうです。
よく考えてみればわかることなんだけど、いそがしくてちょっとミスしてしまった。。また日本領事館では住所を証明するものが必要で、まだホテルにいるぼくの証明はでないとか。引っ越すまでその証明はあきらめて、その足でMITのInternational Student Officeに向かってチェックインをしました。
はじめは日系の人が英語で対応してたんだけど、パスポートとかI-20を渡すと、
「あっ、この人日本人なんだ。」
とボソッというと次からは日本語でした。おれって何人にみえるのだろうか?
こんな感じで初日が終わってしまいました。結局アドバイザーのところにはいけず。。。
夜中の3時に荷物が無事に到着したおかげで着替えができるようになってよかった、よかった。
こっちは日本に負けないくらい暑いです。
今日はKO大学の後輩で現在夏休みの間ニューヨーク大学にきていたMと会いました。彼女はその日の2時にはNYに向かわなければ行けないらしいので、短い時間だったけど昼ごはんを一緒にしました。
別れた後、日本領事館に向かいました。なぜかというと、サイン登録が必要だから。日本でいう印鑑登録みたいやつ。なんでこうなったかというと
日本にて
(1)アメリカに引っ越すから車を売ろう!!
(2)まずは住所変更で町役場にいく。
(3)免許センターにいって国際免許とか
(4)もう回るところはないから車はいらないや。売ろう。
(5)印鑑証明が必要。
という感じです。印鑑証明は住所をアメリカに変更したあったので、すでに無効になってました。これを解決するためには、引越し先の日本領事館でサイン登録が必要になるそうです。
よく考えてみればわかることなんだけど、いそがしくてちょっとミスしてしまった。。また日本領事館では住所を証明するものが必要で、まだホテルにいるぼくの証明はでないとか。引っ越すまでその証明はあきらめて、その足でMITのInternational Student Officeに向かってチェックインをしました。
はじめは日系の人が英語で対応してたんだけど、パスポートとかI-20を渡すと、
「あっ、この人日本人なんだ。」
とボソッというと次からは日本語でした。おれって何人にみえるのだろうか?
こんな感じで初日が終わってしまいました。結局アドバイザーのところにはいけず。。。
ボストンに着きました。
渡米するまえにyukkeが携帯なくしたり、道に迷ってたりしているのを見て、おれは慎重にやろうと思ってたのですけど。。
まず、荷物がbaggage claimからでてきませんでした。たぶん、乗り継ぎのときにあまり時間がなかったので、荷物は間に合わなかったのかと。その日はホテルに帰って寝ていたら、夜中の3時くらいにベルボーイが届けてくれました。
そして、痛いのがデジカメが壊れたこと。電源が入らなくなりました。まだ買ってから1ヶ月くらいしかたってないので保証で直せるはずなんだけど、ここはアメリカ。どうしよ。。。
でもこれらの不運はおれのせいではないのでおちゃめとかいわないで。
これにもめげずにがんばっていきます。明日からMITでアドバイザーとディスカッションです。
でブログのタイトルですが、ボストンについたのでlife@MITにしました。よろしく。
渡米するまえにyukkeが携帯なくしたり、道に迷ってたりしているのを見て、おれは慎重にやろうと思ってたのですけど。。
まず、荷物がbaggage claimからでてきませんでした。たぶん、乗り継ぎのときにあまり時間がなかったので、荷物は間に合わなかったのかと。その日はホテルに帰って寝ていたら、夜中の3時くらいにベルボーイが届けてくれました。
そして、痛いのがデジカメが壊れたこと。電源が入らなくなりました。まだ買ってから1ヶ月くらいしかたってないので保証で直せるはずなんだけど、ここはアメリカ。どうしよ。。。
これにもめげずにがんばっていきます。明日からMITでアドバイザーとディスカッションです。
でブログのタイトルですが、ボストンについたのでlife@MITにしました。よろしく。
2005年8月7日日曜日
急に留学がきまってから、6ヶ月くらいたちました。そして、ついに出発当日になりました。まだ先と思っていたのだけど、やはり時間というのは早いもので明日の今ころには飛行機に乗ってます。
なんで留学しようかと思ったかというと。。。
おれはいままでロボットの研究をやってきた。
ロボットといえば,これまでは工場などで車を作ったりするような工業ロボットが主流であった.しかし,ここ数年では,ロボットといえば,asimoのようなヒューマノイドロボットやaiboのようなペットロボットを思い浮かべる人が少なくない.これは,ロボットというものが人々の生活に現れてきたからである.
この理由は,技術者が子供のころアニメでみたガンダムやアトムなどのロボットにあこがれているからである.そして,人々はこのようなロボットをみて,昔みたアニメに近いものが実現したことに喜んでいる.現在,ヒューマノイドロボットはエンターテイメントを中心とした市場を確立し,ロボット産業を活性化させている.
ロボットが企業広告の大きな武器になることがわかると,ホンダを皮切りにソニー,三菱重工などの大企業もロボット開発にのりだし,ZMPなどのベンチャー企業も現れた.
これらの企業は「将来役立つ!!」というまだ先の見えない理由でロボットを開発している.むしろ、エンターテイメントの分野を目的にしている企業もある。
たとえば,トヨタ.
二足歩行ロボットの車いす.これは将来車椅子でいけない不正地なども移動できるようなものになって,将来は役立つかもしれない.
ぼくはいくつか疑問をもってしまう.
いつになったら本当に役立つものができるだろうか?はたして大きな需要が発生するか?
患者はこんなものに乗りたいか?自分が歩けるようになる方向に技術開発がすすまないだろうか?
ぼくはどうしても,このようなロボットを技術者の自己満足だと思ってしまう.企業は企業広告という目的のために,技術者は昔夢にみたようなロボットを作るためにという理由からロボットが開発されている(気がする).
ぼくもはじめはそれでいいと思っていた.自分の好きなロボットを作って,それが仕事になればいいと.楽しいし,生活もできると...そんなぼくに,本当に大きすぎるショックな出来事ができた.本当に大好きな高校の後輩が骨肉腫のせいで,ひざが人工関節になってしまった.1年間も入院生活のあと,彼は退院した.しかし,今年の初め,肺に転移してまた手術をした.それでも彼は前向きに行き続けている.本当は,怖いにちがいない.本当は毎日転移に恐怖しながら生きているにちがいない.
そう思いはじめると,自己満足で歩行ロボットを作るのってなんておめでたいのだろうかと感じ始めた.ヒューマノイドロボットを作るための技術じゃなくて,歩行技術がなにに役立つのか考えはじめなければいけないんじゃないかと.
エンジニアは最終的には人の役立つようなものにならなければならないと思う.車や自転車(これらもロボットの1つであるといえる)は人間の小さな力をつかって,大きな効力を得る装置であるといえる.人間が歩くよりも劇的に速く移動できるし,楽である.では,二足歩行ロボットをつかった移動はどうか?たしかに,歩けない人にとっては移動できるような手段の一つになるかもしれない.しかし,高価,怖いと理由から,そんなに社会に浸透するとは思えない.もしくは、普及にかなりの時間を要するだろう。だったら,車椅子でいいのではと...エスカレータのようなもの(これもロボットのひとつ)を階段にとりつければ移動も可能である.むしろ,そのほうが二足歩行ロボットをつかうよりもはるかに現実的である(いまのところ).では二足歩行ロボットはなんのために開発されているのか?やはり,技術者の自己満足,企業広告,エンターテイメントにしかならない(いまのところ).はじめは,技術者の好奇心や自己満足から科学技術は進歩することはあるだろう.しかし,二足歩行ロボットに関しては,もうその理由はあきた.
ぼくが今年からいくMITのBiomechatronics groupという研究室はロボット技術をつかったリハビリを目的とした研究が行われている.とくに義足や歩行補助器などは,かなり実用に近いものを開発している.ぼくは医者でもなければ,看護士でもない.でも,ぼくはその後輩のような人を助けるような仕事がしたい.エンターテイメントで人を楽しませるのではなくて,歩けない人が歩けるようにする,あるいは歩けるように補助するようなものを作って,人を本当に心のそこから笑わせることのできる仕事がしたい.(このような考えをもっている人はいっぱいいて、ここの教授もその一人)
と思っていたところ、yukkeが去年留学するといっていて、かなり刺激をうけた。じゃ、おれもということで受験したら受かって現在にいたっている。
まー、いろいろあったけどいくからには
がんばってきます。じゃ。
なんで留学しようかと思ったかというと。。。
おれはいままでロボットの研究をやってきた。
ロボットといえば,これまでは工場などで車を作ったりするような工業ロボットが主流であった.しかし,ここ数年では,ロボットといえば,asimoのようなヒューマノイドロボットやaiboのようなペットロボットを思い浮かべる人が少なくない.これは,ロボットというものが人々の生活に現れてきたからである.
この理由は,技術者が子供のころアニメでみたガンダムやアトムなどのロボットにあこがれているからである.そして,人々はこのようなロボットをみて,昔みたアニメに近いものが実現したことに喜んでいる.現在,ヒューマノイドロボットはエンターテイメントを中心とした市場を確立し,ロボット産業を活性化させている.
ロボットが企業広告の大きな武器になることがわかると,ホンダを皮切りにソニー,三菱重工などの大企業もロボット開発にのりだし,ZMPなどのベンチャー企業も現れた.
これらの企業は「将来役立つ!!」というまだ先の見えない理由でロボットを開発している.むしろ、エンターテイメントの分野を目的にしている企業もある。
たとえば,トヨタ.
二足歩行ロボットの車いす.これは将来車椅子でいけない不正地なども移動できるようなものになって,将来は役立つかもしれない.
ぼくはいくつか疑問をもってしまう.
いつになったら本当に役立つものができるだろうか?はたして大きな需要が発生するか?
患者はこんなものに乗りたいか?自分が歩けるようになる方向に技術開発がすすまないだろうか?
ぼくはどうしても,このようなロボットを技術者の自己満足だと思ってしまう.企業は企業広告という目的のために,技術者は昔夢にみたようなロボットを作るためにという理由からロボットが開発されている(気がする).
ぼくもはじめはそれでいいと思っていた.自分の好きなロボットを作って,それが仕事になればいいと.楽しいし,生活もできると...そんなぼくに,本当に大きすぎるショックな出来事ができた.本当に大好きな高校の後輩が骨肉腫のせいで,ひざが人工関節になってしまった.1年間も入院生活のあと,彼は退院した.しかし,今年の初め,肺に転移してまた手術をした.それでも彼は前向きに行き続けている.本当は,怖いにちがいない.本当は毎日転移に恐怖しながら生きているにちがいない.
そう思いはじめると,自己満足で歩行ロボットを作るのってなんておめでたいのだろうかと感じ始めた.ヒューマノイドロボットを作るための技術じゃなくて,歩行技術がなにに役立つのか考えはじめなければいけないんじゃないかと.
エンジニアは最終的には人の役立つようなものにならなければならないと思う.車や自転車(これらもロボットの1つであるといえる)は人間の小さな力をつかって,大きな効力を得る装置であるといえる.人間が歩くよりも劇的に速く移動できるし,楽である.では,二足歩行ロボットをつかった移動はどうか?たしかに,歩けない人にとっては移動できるような手段の一つになるかもしれない.しかし,高価,怖いと理由から,そんなに社会に浸透するとは思えない.もしくは、普及にかなりの時間を要するだろう。だったら,車椅子でいいのではと...エスカレータのようなもの(これもロボットのひとつ)を階段にとりつければ移動も可能である.むしろ,そのほうが二足歩行ロボットをつかうよりもはるかに現実的である(いまのところ).では二足歩行ロボットはなんのために開発されているのか?やはり,技術者の自己満足,企業広告,エンターテイメントにしかならない(いまのところ).はじめは,技術者の好奇心や自己満足から科学技術は進歩することはあるだろう.しかし,二足歩行ロボットに関しては,もうその理由はあきた.
ぼくが今年からいくMITのBiomechatronics groupという研究室はロボット技術をつかったリハビリを目的とした研究が行われている.とくに義足や歩行補助器などは,かなり実用に近いものを開発している.ぼくは医者でもなければ,看護士でもない.でも,ぼくはその後輩のような人を助けるような仕事がしたい.エンターテイメントで人を楽しませるのではなくて,歩けない人が歩けるようにする,あるいは歩けるように補助するようなものを作って,人を本当に心のそこから笑わせることのできる仕事がしたい.(このような考えをもっている人はいっぱいいて、ここの教授もその一人)
と思っていたところ、yukkeが去年留学するといっていて、かなり刺激をうけた。じゃ、おれもということで受験したら受かって現在にいたっている。
まー、いろいろあったけどいくからには
がんばってきます。じゃ。
2005年8月6日土曜日
昨日は高校のバスケ部の合宿にいってました。
今年は8月3,4,5,6日の4日間の日程で合宿が行われていて、おれは3,4日に参加してきました。
��日の夜練が終わった後に、現役生によばれて「これをアメリカにもっていってください」といって渡されたのがこのボール。
おれは最近まで仕事をやってたので、yukkeほど練習に参加してなかったので、あまり。。。。というかまったく期待していなかっただけにかなり涙ものでした。先生からもせんべつをいただいて。。本当にありがとうございます。いろいろ写真をとったのですが、とりあえず今日はこのへんで。。。
今年は8月3,4,5,6日の4日間の日程で合宿が行われていて、おれは3,4日に参加してきました。
��日の夜練が終わった後に、現役生によばれて「これをアメリカにもっていってください」といって渡されたのがこのボール。
おれは最近まで仕事をやってたので、yukkeほど練習に参加してなかったので、あまり。。。。というかまったく期待していなかっただけにかなり涙ものでした。先生からもせんべつをいただいて。。本当にありがとうございます。いろいろ写真をとったのですが、とりあえず今日はこのへんで。。。
2005年8月5日金曜日
うん?
先月の31日に引越しをして、いま出発までの1週間を実家で準備におわれてます。
実家にはネット環境がないので、ブログをアップできない。。。。とおもっていると、ふとwireless LANのネットワーク発見。まー、使えないだろうと思っているとつながっちゃった どうも、隣の家らしい。しかも、おれが使っていたメルコのやつと同じなんで、初期パスワードもわかっちゃう。大丈夫か?この家?
アク禁(なのか?)とかいわれるといやなのでここは我慢してよしき(mixi仲間)と同じネットカフェにいってアップしてます。
また暇になったらきます。ネタはだいぶたまってるので。。
実家にはネット環境がないので、ブログをアップできない。。。。とおもっていると、ふとwireless LANのネットワーク発見。まー、使えないだろうと思っているとつながっちゃった どうも、隣の家らしい。しかも、おれが使っていたメルコのやつと同じなんで、初期パスワードもわかっちゃう。大丈夫か?この家?
アク禁(なのか?)とかいわれるといやなのでここは我慢してよしき(mixi仲間)と同じネットカフェにいってアップしてます。
また暇になったらきます。ネタはだいぶたまってるので。。
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