2006年7月22日土曜日

留学に至る過程で、いろいろなことがあった。あのときはすべてのできごとが留学の方向へ向かっているような気がした。

「なんで留学したの?」
多分留学生はよく聞かれることだと思う。理由はいっぱいある。でもかっこつけて、
「行きたい研究室があったから」
ってだけ言うことが多い。それもあるんだけれど、やっぱりarchitravelerの件が大きい。
1年間海外の大学院の生活をして、本当に疲れた。これがあと何年も続くのかと考えると、本当に耐えられないと思った。
だからこの帰国で彼には1回会っておこうと思った。
実際に会ってみると、建築のことや、将来のこと、いまやってることなどを話すだけ。ただそれだけでおれは不思議と来年度もがんばろうという気持ちになっていた。
さんきゅ。
考えてみると留学に向けてn-eastというバスケのチームがおれの与えた影響は大きい。いろんなメンバーがいるなかで、留学を徐々に意識づけてくれたのは事実。このチームがなかったら多分留学もなかった。帰国中に練習に顔を出せてよかった。
さんきゅ。

2006年7月21日金曜日

帰国するときには毎回十数時間もの間、飛行機にならなければならない。そのときに楽しみなのは映画を見ること。

今回もたくさんの映画をみることができた。
ピンクパンサー
Vフォーヴァンデッタ
県庁の星
glory road

中でも注目したいのがglory road。
「Glory Road」は1966年NCAAトーナメントを制したTexas Western Universityのバスケットボールチームを題材にしており、このチームは初めて黒人5人をスタメンに起用したチームとして知られている。
内容もバスケ好きとしては楽しめたのだけれど、気になったのがこの主役を演じているJosh Lucas。なんかおれのアドバイザーに似ている気がする。
herr175.jpg

アドバイザー、Hugh Herr
josh_lucas.jpg

Josh Lucas
ちょっと言い過ぎかも。

2006年7月18日火曜日

今日まで極秘で日本にいっていました。超短期決戦だったので、会えなかった人ごめんなさい。また今度。

もう2週間ほど前になってしまったけれど、アメリカにきてはじめての独立記念日を迎えた。

独立記念日とは1776年7月4日独立宣言に署名がなされた日。アメリカ人にとってはもっとも大きなイベントのひとつ。
ボストンでは毎年大規模なイベントが行われるらしい。ボストンコモンでは有名な人を呼んでコンサートをやったり、チャールズリバーには花火がうちあがった。ぼくは川沿いに住んでいるため、部屋からも花火がみれるんじゃないかということで、友人何人かよんではじめての独立記念日を部屋で迎えることにした。
independent2006.jpg

実家の沼津の夏祭りは毎年見ていたけれど、アメリカはやっぱエンターテイメントの国。みせ方が派手。かなりすごかった。沼津では5分ごとにスポンサーの名前が呼ばれたり、仕掛け花火にスポンサーの名前が浮き出たりして、田舎の雰囲気がこの上なく、好きだった。ここでは音楽に合わせて一気にドバーンという感じでした。こういう花火もいい。しかし、打ち上げ花火を見た後で、線香花火をやりたくなるのはやっぱ日本人だからだろうか。

2006年7月4日火曜日

MITの先生のイメージ

今日、知り合いの後輩H君がMITを尋ねてきた。なんでも、今年、MITのコンピュータサイエンスにアプライするとかしないとか。

そんな彼は2人の先生とアポを取ってきた。
1人目はRuss Tedrake。去年facultyのメンバーになったばかりでまだ若いからか、2人でRussの部屋にいったら、学生と一緒に実験を行っていた。H君はそれにおどろいていた。先生が実際にPCの前に座って、学生と実験を行っているというシーンがめずらしかったみたい。Russは今年が初年度なので、tenureもからんでくるため、かなり気合がはいっているのだろう。
2人目はRodney Brooks。彼は本当に忙しい人で、めったにアポを取れないと聞いていたのだけれど、ラッキーなことにH君はRodney Brooksと会う機会を得た。
ぼくは実は去年の3月に新入生のイベントでRodney Brooksと話す機会があって、これまでにやってきたこと、これからやりたいことなどを話したあと、RAのオファーをいただいた。しかし、現在いるラボの研究テーマが第一候補だったので、オファーを断った。それ以来、彼とは会っていなかった。
さすがに覚えていないだろうと思っていたけれど、あって少し話をすると
「あー、きみは一年目の学生?」
「media labにいったんだっけ?」
のような会話のあと、H君に
「Kenはコンピュータサイエンスのくせにmedia labにいっただめな学生だ!!」
といっていた。もちろんこれは冗談。H君もいっていたけれど、Rodney Brooksは本当にすばらしい先生。学生には本当に優しく接するし、授業もわかりやすい。話がおもしろい。
そのあと、2人でMIT museumにいってきた。ここは歴代のleg labのロボットやRodney Brooksのロボットなどが飾られている。ロボット好きにとってはまさに聖地。
そんなわけで、H君はぼくもうらやましいと感じるMIT初日を終えた。ただ、うちのアドバイザーの印象は悪かったみたい。。うーん、たしかに見た目は怖いんだよね。
あと、機械科のD先生は見た目も周りの評判も悪いけれど、本当はいい人らしい。

2006年7月1日土曜日

前回、このようなことを書きました。
正直に自分の意見をアドバイザーに伝えたけれど、結局説得することができず、数日が過ぎた。

一緒に研究しているスタッフLもちょっと不機嫌そうだったけれど、また今度アドバイザーと話してみようということにしてその場をしのいだ。
そして数日後、アドバイザーからの電話で「論文はそのままの結果をだすことにした。」という連絡が入った。Lの結果は、あるひとつのデータに関しては有効だけれど、普遍的なものではなかったらしい。なので、今回はもともとのぼくが出した結果を論文に載せることになった。最終的にはぼくの願っていたとおりになったけれど、アドバイザーはLの結果が使えないということに気づいただけなのだろうか?それとも、ぼくの意見を少しはわかってくれたのだろうか?後者であってほしい。
コメントをくれた同世代の研究者のみなさま、いろいろな意見ありがとう。これからもよろしくお願いいたします。

2006年6月30日金曜日

first authorとは、論文の著者の一番初めの人。つまり、論文に一番関わった人がここに名前を書く。

先日submitして、無事にacceptされたIROSの学会論文。とうぜん、first authorは私。今度はreviewerのコメントを参考にして、最終的にpublishされるものを来月提出しなくてはならない。

どのように書き換えるかとアドバイザーと話していたところ、信じられない一言。
「論文の結果をすべてLの結果に代えて提出しよう。」
Lは同じ研究室でおれの手伝いをしてくれているスタッフ。簡単に言うと、ぼくは人間の足を簡単にモデル化したあとその結果を論文に書いて提出し、モデルの最適化を彼に任せて、ぼくはシミュレーションに取り掛かり始めた。しかし、彼が続けてきた結果がよいために、今回の論文の結果を彼のものに代えようというのがアドバイザーの提案。
私の意見としては
-結果を代えるならば、first authorも彼に代えるべき
-もともと、ぼくの結果で通った論文なのだから、結果はそのままにすべきではないのか
と思う。もちろん、アドバイザーにも言ったけれど
-Kenの結果で通ったのだから、Kenが発表すべき
-当然first authorもKenでいい
という返答。他人の結果で発表なんかしたくない。代えるのだったら、論文から自分の名前も消してほしいくらい。
どうしたらいいんだろうか。。。

2006年6月21日水曜日

タイのヒューマノイドロボット

以前ここで紹介した、アドバイザーのきびしい意見とぼくの何気ない意見でミーティング中に困り果ててしまった三ヶ月限定ポスドクのタイ人N。結局Humanoid 2006には投稿することができなかったらしい。 本当にごめんなさい。。

そして今日、ラボのメンバーがつぎつぎと帰ってしまい、夜7時くらいに彼と2人きりになってしまった。これはチャンスと思い、がんばってコミュニケーションをとってみる。そして、彼が所属している研究室のURLをゲット。
それがここ
タイではじめてヒューマノイドロボットを作ったところらしい。それにしてもネットが重い。重いくせに動画のサイズが大きい。タイのネット事情はこんなものなのだろうか。がんばってダウンロードしてみたものは、でっかい2足歩行ロボットが静歩行しているところ。なんでもプロジェクトがはじまたのが3年前でハードウェアが2年前にできて、改良を重ねているけれど、まだまだ研究が進んでいないというのが現状らしい。これからが楽しみです。
現在ドイツで行われているワールドカップと平行で行われているrobo-cupのヒューマノイドリーグにも参加しているプロジェクトがあるらしい。でもこのページの動画はすべてリンク切れだったので、ロボットが動いているところは見れずじまい。robo-cupのページから結果をみると、そこそこの成績だったので、それなりに動いているのでは。
彼の話によると、タイの大学は本当に研究しづらい環境らしい。まずは、お金。研究費となるのは国からちょっと出る助成金のみ。あと、優秀な学生は国費で日本やアメリカに行ってしまい、タイにいる学生はだいたい学士、よくて修士でいなくなってしまうから、なかなか研究がすすまないらしい。
とここまで書いたけれど、彼の片言の英語なのであっているかどうか。。。。