2009年6月14日日曜日

富士山のふもとで、たねを育てる

世界の中心で。。、的なこのタイトルは先日行ってきた美術館でやっていた展示。

美術館というと自分とはほど遠いものといわれるかもしれないけれど、実はその昔工業デザイナーになりたかったと思っていたくらい、(あまりうまくないけれど)絵を描くのは好きで、いまでもえんぴつデッサンを研究の合間の空いた時間に描いている。

先日沼津にいる間に、クレマチスの丘にあるビュッフェ美術館で働いているいとこが、いろいろなパンフレットをおくってくれた。その中で「MITマン」という名前の気になる作品があったので、行ってきました。

MITマンを作ったのはFabrice Hyberというフランス生まれパリ在中のアーティストで、社会問題をアートという形で世界に発信している今はやりの社会派アーティストの一人。彼が注目しているのは「食文化」。彼の親が農業を営んでいたということもあり、彼は「たねを育てる」ことによって、都市を押し進めている東京のやみくもな追求と、そのことへの自覚に到達する方法とを組み合わせること、そしてそれを何度でも繰り返して説明しようとしている。

そんなことは、当時つゆ知らず美術館を歩いて回って気になった作品は2つ。

一つめはもちろんMITマン。もちろん名前が気になっただけ。
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必要な栄養素を持つ野菜や果物が体のその場所につけられたオブジェ。例えば、頭部のカリフラワーは髪の毛を豊かにするものらしい。なぜMITマンとよばれているかというと、2007年彼がMITで有名な教授Robert Langerと出会って、共同で実施した研究成果。Robert Langerといえば、おそらくMITで1,2位を争う有名な教授でNatureへ論文をぽんぽん出している。彼のwebsiteを見てみると、彼の所属はbiologyでもbioengineeringでもHSTでもなく、Chemical Engineeringなんですね。とにかく、まったく専門でない自分が知っているくらい有名な先生ということ。彼のある一日の生活の風景がNaturenewsの記事になっていた。とても健康的な生活を送っているようだ。ちなみに、彼のところでポスドクをやることになっている友人にこのMITマンをみせたけれど、やっぱり知らなかった。


もうひとつがこれ。

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その展示には、さまざまな食、生き物、技術をモチーフに描かれた彼の習作が壁にびっしりと、不規則に貼り付けられていた。その中でなぜこれが気になったからというと、だたこれをみて、うずしおキングを連想してしまったから。。

と変な感想ばかり書いてしまったけれど、全体的にただのアートとしてではなく、社会問題をアートで表現するという、今となってはありきたりになってしまったことだけれども、彼の場合にはより科学者に近い視点をもっているような印象を受けた。しかし、正直このようなアートをみても素人にはやっぱり理解しがたく、自分にはNorman Rockwellのようなわかりやすい絵を見ているほうがいいかなとも思った。

2009年6月11日木曜日

日本から帰ってきたときからか、このブログのアクセス数が増えたので、アクセスログをみてみると、不思議なことにgoogleから直接きている人が多かった。検索キーワードはHugh Herrやmedia lab、留学などが多かった。日本に帰国したときに会った人が、がんばってさがしてくれたのだろうか、それともただHugh Herrが有名になっただけか。いずれにせよ、最近非常に多くの人がここを訪れてくれているみたいでうれしいかぎりです。。また学会でいろいろな人にあったけれど、意外に多かったのが初対面だけれど、このブログをよんでくれている人が少なくなかったのに驚きました。

そんな同業者のみなさん、遅れること9日、やっとIROSの通知がありました。無事にアクセプトされたので、ぜひぜひ10月にまた会いましょう。ちなみに1650通以上の論文の中から900通の論文がアクセプトされたようです。約54%なので、そこまで低くならなかったみたいです。よかったよかった。

2009年5月24日日曜日

久しぶり。

先日の学会で日本で活躍されている若手の先生方や研究員の方々と話をする機会があったが、やはり自分が気になるために、よく自分の今後の進路について相談をする。

海外でPh.Dをとるということに関しては、メリットはもちろんデメリットもある。これに関しては留学生の間でもかなりの議論されていることだと思う。これから書くことは、ロボット関連のことだけれど、もしかしたら他の分野でもそうなのかもしれない。

研究者として留学するメリットとしては
1.日本国内だけではできないことができる
2.英語がうまくなる
3.進路先の選択肢が広がる
4.お金がもらえる

1に関しては人によるのだけれど、自分に関していえば、潤沢なグラントを使える研究環境の他にも、安い義足をつくってインドにもっていくプロジェクトに参加したり、MITの学生相手にrobo-oneをオーガナイズしてみたり、なにかやろうとすればしやすい金銭的にも恵まれた環境であると感じる。2に関してはもちろんだれも疑わないだろう。しかし、ネイティブレベルかといわれると、絶対にそれはないと思う。よく1,2年アメリカにいれば、英語は完璧になると思っている人がいるようだけれど、実際は4,5年いても純日本人は結局はネイティブとの差を歴然と感じ続けているはず。3はいろいろな経験をすることができるので、自ずと人間関係は広がり、いままで一人では知り得なかったことを知るようになり、当然将来のオプションの増えていく。4はあまり知られていないようだけれど、大抵留学生は授業料と生活費を研究室の先生から支給されている。

つぎにデメリットを考えてみる。
1.博士取るまでの時間が長い
2.学会論文、雑誌論文を出しづらい
3.日本でのコネを増やしづらい

��学科や大学によって異なるだろうけれど)平均5年はかかるアメリカでの博士課程。修士をもっていても結局はQualifying examがあるので、同じ大学で修士と博士を取得する場合には、実はあまり年数に影響はない。2の論文の数に関しては、一言申したい。日本の学生は国内の雑誌があるために、あきらかに論文の数を揃えやすい。さらに狭い業界であるために、研究室の先生が論文誌の特集を組むときには同じ研究室の学生の論文が投稿される。一方で海外でPh.D取得を目指す学生は最初の2年はQualifying Examがあるために、授業でいっぱいいっぱいになる人が多い。そのあとも結局はマイナーなどのために授業は取り続けなければならない。論文の質を無視して、論文の数を評価の対象にいれる大学があるのはどうかと思う。最後にやはり狭い業界では良くも悪くもコネが必要であるということをよく思い知らされる。博士課程を終了した人たちは多くが本人、あるいは先生の知り合いのところにお世話になることが多いのも一つの理由だ。

別に日本の博士がだめだといっているのではない。日本の学生はあまり授業がないために、純粋に研究をする時間の割合が多いのが魅力だと思う。ただ、日本の博士とアメリカのPh.Dを同じ土俵にのせて勝負させても意味がないのではと思う。

今回いろいろな人と話をするまで、このような不満を日々持っていた。そのために、日本のアカデミアへの就職はかなりきびしいものと思っていた。いまでも厳しいとは思う。しかし、今回の学会で会った先生方の話によると、評価対象も徐々に変わってきているらしい。とくに、アジアや欧米からの留学生が増えている大学では、英語で講義ができるということもプラス査定になるとのこと。

ただ、評価方法や大学のシステムが変わってきている反面、まだまだ至らない点も多いらしい。例えば、海外の大学ではよくあるテニュアの制度を取り入れている大学も増えてきた。しかし、本質はあまりかわっていなかったり、任期があるだけだったりするらしい。古くからのこっている講座制というものも、システムを新しくすることへの妨げになっている大学もあるらしい。

日本は優秀な研究者を増やすために、ポスドクを増やしたり、高校生向けのプログラムを用意したり、大きな助成金を大学向けにつくったりと一見努力を試みていはいる。海外の大学へあわせるために、教授、準教授、助教という名前に変わったりと、様々な制度も新しくなったけれど、本質を知らずに海外のまねだけしてみても、結局は民間主体の日本の科学技術は変わらないと思う。変な欧米化はしなくていいから、とりあえず名刺のサイズは同じにしてほしい。。

正直、いろいろなオプションはあるけれど、卒業してからの進路はまだ決めていない。こんな時代、卒業したらなにをすればいいのだろう。なにかコメントや反論があれば、ぜひぜひお願いします。

2009年5月22日金曜日

おひさしぶりです

実は5月12日から日本にきている。

空港での新型インフルエンザ対策はマスクと白衣を身につけた10名ほどの人たちがサーモグラフィーのカメラを片手に乗り込んできた。あとはどこからきたか、あるいは日本の滞在先を用紙に記入し提出するだけ。これだけでも乗客全員を終えるのに1時間以上かかり、一部の人たちはかなりいらついていた。乗り継ぎがきびしかったのだろうか。

そのあと、実家にはよらずに直接学会の開催地である神戸に向かった。10時間以上のフライトでつかれきっていたので、東京から新神戸の新幹線の中では寝てしまおうとおもっていたのだけれど、同じ学会に参加したドイツ人の集団に絡まれ、終始話しかけられて、寝ることができなかった。それでも大阪についたころには知らない間に寝てしまっていて、実家からかかってきた電話で目が覚めた。

今回の帰国はICRAという国際学会に参加するためだ。学会会場にもサーモグラフィーカメラが入り口にあって、スタッフはみんなマスクをつけていた。学会会期中は参加者もマスクをつけるようにといわれたが、海外からの参加者はとくにつけている人は少なかった。会期中に神戸市内で感染者がでてからは、とにかく全員マスクをつけるようにと市からもいわれて、スタッフは徹底しようとしていたけれど、それでもあまり効果がなかった。

また、会期中に保健所から実家に連絡があったようだ。その日から毎朝電話がかかってくるようになり、渡航してきた人の体調を観察してるのだ。幸い、いまのところ体調はかわりない。

その後、数日にわたって日本では新型インフルエンザ感染者が急激に増えた。最初に感染者がみつかったのは神戸だ。しかも学会期間中に。この時期に海外からたくさんの人が一カ所に集まるイベントはそうない。まっさきに疑われるであろうこの学会だけれど、いまのところ感染者がいたという情報は聞かない。それでも某大学では、この学会に参加した人は数日間自宅待機であったり、感染をさけるためにfarewell partyに参加できなかったりと、かなり警戒している大学があったようだ。

今週末からはまた別の学会があり、同じような参加者が今度は福岡に集まる。福岡に感染者がでたら、きっと同業者が疑われるのかな。

水際で防ぐといっていた厚生労働省だけれども、警戒しすぎだよと避難されている日本人。おれはそれよりも、感染者が増えてから、新型は季節性と変わらないといって、感染者の入院措置を緩和するのはちょっと、「防ごうと思ったけれどやっぱりだめだった、ごめん」というようなニュアンスに聞こえる。これからどうなるんだろう。何事もなくアメリカに帰れればいいけれど。

2009年5月8日金曜日

ぼくの所属する研究室の真上はちょっとしたアートギャラリーになっていて、数ヶ月ごとに展示されるものが変わる。その展示物を入れ替えるときに簡単な工事がよくあるのだけれど、そのときの騒音が本当にうるさい。そのため、最近tenureをとって浮かれているアドバイザーは人数分Bosequietconfort3を買ってくれた。その性能は本当に驚くべきもので、工事の真下で働く人に取っては書かせない物になったとさ。

そのBoseとは全く関係ないのだけれど、1ヶ月ほど前に坊主になった。ずっと長めだったのだけれど、「あ、坊主になったらどうだろう」と思い、バリカンを用意して友達にきってもらった。野次馬的にあつまった人とうちの部屋でわいわいやりながら刈ったのだけれど、刈った当時はまだ外は寒く、ニットの帽子をかぶらずに外を歩けなかった。

Before
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After
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刈った直後はさすがに5mmはやりすぎたと思ったけれど、触った感触の気持ちよさとか懐かしさとか考えるとやってよかったかな。誰かに、「どうせ抜けてなくなるのだから、いまやらなくても。。」ともいわれた。それでも、体も少し軽くなった気がするし、バスケをやっても少しドライブが鋭くなった気がする。いまは少しのびてしまったけれど、これからしばらく坊主を続けようかと思ってます。

どうかよろしく。

2009年3月24日火曜日

知り合いが文房具について記事を書いていたので自分も書くことにした。

自分はかなりの文房具好きであると思う。数万する万年筆やボールペンが好きな訳ではない。外食で例えるとB級グルメ的で手軽に使える文房具が好きなのだ。研究を進めるにあたり、自分は研究ノートを奇麗につくるほうであると思う。いままでいろいろなペンをつかってきたけれど、ここ数年はボールペンをつかってノートをとるようになった。アメリカに来てからはいい店がないのであまり買っていないけれど、実家に帰るといつもいく文房具屋さんがある。インクという店だ。ここは非常にアクセスが悪く、車でないと行けないけれども、いままでいった文房具屋さんでも、ここほど品揃えがいいところはなかなかない。

これまでも何度も足を運んだ店だけれど、前回の帰省でこの店の専務が兄の知り合いであるということがわかった。早速挨拶がてら行かなければと思い、買い物に出かけた。そのとき知ったのだけれど、自分だけじゃなく、自分の兄も親も文房具好きであるということをしった。遺伝って恐ろしい。

専務もやはり文房具マニアでいろいろな物を進めてくれた。

まずはシャープペンについて。現在日本では三菱鉛筆のクルトガという品物があるということを教えてくれた。シャープペンを使っていると、通常の芯の先が平らになってしまう。クルトガは芯をくるくると回転させることによって、芯の先が常に使いやすい形状を保つというものだ。これにナノダイヤという固い芯を使えば、最強であると教えてくれた。さらに消しゴムはサクラクレパスのフォームイレーザーダブル。残念ながら、シャープペンを使う機会がなかなかないのでこれらの組み合わせを試したことはまだない。

ボームペンについては、ゲルインクでいいものはないかと聞くと、ある一本のペンを持ってきてくれた。おれはこれまでにいろいろなゲルインクのペンをつかっていたけれど、色の違いがあるものの、書きごこちについては、あまり大差がないと思っていた。アメリカに来てからは、PilotのG-2を愛用をしていた。学内の店でも手に入りやすかったからだ。数年前に日本にかえったときには、ZEBRAのsarasa clipを気に入って、大量に買って渡米した。そして、今回専務に勧められたのはPentelのEnerGel。これはいままでにない滑らかな書き心地とペン先から描かれる奇麗な線にすっかりほれこんでしまった。いまではこれが自分のメインツールになっている。

もう一つ教えてくれたのがPilotのフリクション。このペンで字を書いた後、ペンの後ろにあるゴムの部分で文字をこすると、不思議なことに文字が消えるというもの。実際は字が消えるというよりは、摩擦によって引き起こされる温度変化によって、インクが見えなくなるというものだそうだ。最初はおーーと思ったけれど、結局使い心地のいいEnergelに落ち着いたので、フリクションはアメリカにいる友達のお土産にした。意外と好評だ。


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ここ数年に使ってきたボールペン。自分には0.7mmがいいらしい。

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今使っているペンケース。

みなさんはどんなペンつかってますか??

日本の文房具最強説

2009年3月19日木曜日

最近身の回りでは、目を覆いたくなるようなことばかりおこるけれども、それでもそれらを受け入れて、できることを一生懸命やり抜こうと思った。

自分が留学を決意したときには、不思議と気持ちが留学に行き着くきっかけがいくつもあった。そのきっかけの一つをくれた後輩YNに会いにNYにいってきた。というと、もう一人の後輩が怒りそうなので、本当のことをいっておくと、日本から別の後輩が彼氏といっしょにNYにくるという連絡をもらったので、YNにも連絡をしてそこで会うことになった。

最初は4人でマンハッタンで食事をした後、おれとYNは後輩と別れ、YNの仕事場へ連れて行ってもらった。彼は現在New York KnicksのAthletic trainerのインターンをしているのだ。そのときはKnicksの選手たちは遠征にいっているため、中にいれてもらえたのだろう。おそらく、おれはとてつもなく運が良かったのだと思う。そこで軽くバスケをした。ひさびさにみる彼のシュートフォームは懐かしい物があった。2回ほど3ポイントシュートの勝負をしたけれど、2回とも負けた。NBAのボールが小さいからと言い訳をしておこう。。ちくしょ。。

仕事場を見せてもらいながら、普段彼がどんな仕事をしているのかを話してくれた。薄々気づいてはいたけれど、おれと彼は結構近い分野で勉強をしているということがわかった。ただ、彼のほうが圧倒的に臨床に近く、実用的な知識だと思う。

そもそもおれが留学というオプションに気づいたのは、彼が留学するということを聞いたからだ。2005年の夏頃、彼は大学を卒業してから、留学するために英語を勉強しているというような話をしたのを覚えている。その頃、博士課程の1年目だったおれは、自分の研究分野に違和感を感じていて、なにか他の道はないかと思っていたところに、彼の留学という話を聞いた。そして、2005年の秋にたまたま学会であったMITのポスドクに言われるがままにアプライし、現在に至った。おそらく、彼が留学していなかったら、おれも留学していなかっただろう。

当時、彼はNBAでアスレチックトレーナーをしたいといって、留学をした。そのとき、本当に彼がNBAで仕事をすると何人が思っただろう?少なくともおれは難しいのではと、そして挑戦することは悪いことではないと、ちょっと上から目線で思っていた。正直びっくりした。インターンとはいえ、彼は実際にNBAで仕事をしているのだ。なんで、このことを自慢しないのかと笑いながら聞くと
「やりたいという情熱だけでここまでこれたけれど、まだ自分の技術が認められたわけではない」
と答えた。夜遅くまで話をしていて、もっとかっこいいことをいっていたけれど、とりあえず、おれの心の中にとどめておくことにする。


話は変わるけれども、夜12時をすぎた頃、YNは彼女としきりにskypeで話をしたがっていた。彼女は台湾人で台湾にいるため時差があるのだ。おれがいるのになんでそこまで話をしたがるのかなぁと思いつつ、紹介してもらい、軽く話をしたあと、電話を切る間際に
「けんさん、おちゃめですね。」
と奇麗な日本語でいわれた。なるほど、これをいいたかったのか。。

日本にいたころに高校のOBで作ったn-eastというバスケのチームにいたころ、おれはおちゃめキャラというポジションだった。正直、自分としては心外で、そんなキャラではないはずだといまでも思っている。

そんなおれが、彼が留学するときに寄せ書きしたメッセージが以下の写真。
なんだ、、おれ。
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