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2009年6月19日金曜日

いろいろ

またまたアカデミックな話。

先月、日本に3週間滞在し、ICRAロボメカに参加した。国内の学会は、毎回同じメンバーが顔を揃えるため、おそらく自分と同世代の研究者や有名な教授陣は知り合いで、自分の知り合いが非常に少ないことを痛感した。とくに懇親会では、ロボット着ぐるみコンテストというものが開催され、参加している教授や学生やその知り合いなどがみんな内輪で異常に盛り上がり、自分がアウェイにいるような感覚だった。それでも、着ぐるみコンテストは、見てて単純に楽しかったですが、これをみた同業者以外の人たちはどう思うのだろうか。。。。しかし、パクリはずるいとおもう。

ここ数年、自分の研究を日本語で発表することもなかなかなかったし、日本の研究者と日本語で議論することはなかったので、変な違和感を感じたけれど終始楽しむことはできた。

ここで、ちょっと感じたことを数点。

ODEについて
ODEと言えば、おそらくアメリカでは、いや少なくともうちの大学ではOrdinary Differential Equationのことで、シミュレーションでODEをつかったといえば、ただ微分方程式を解いたというようなニュアンスに聞こえる。しかし、日本ではODEといえば、Open Dynamics Engineらしい。そんなにはやっているものなのでしょうか。自分も修士まで使っていたライブラリなのだけれど、結局いろいろな理由で使わなくなったもの。当時はあまり使っている人もいなかったけれど、ロボメカでは使っている人が本当に多くてびっくりした。

impedance controlについて
impedance controlといえば、たとえばロボットアームの手先に仮想のインピーダンスを想定して、手先にかかる力に相当するトルクを各関節にかけるものを思いつく。しかし、ロボメカのある発表で関節のPD制御をインピーダンス制御といっている発表者がいて、発表を聞いていた人もそれに同意していた。確かに、関節のインピーダンスを制御しているのだけれど、これって日本全体でそうなんでしょうか?

歩行補助機について
HALのような機構のエグゾスケルトンに関する研究が異常に多かった。その機械を評価するのに筋肉のEMGを用いているものが多かったけれど、ある筋肉のEMGの信号が減少したからといって、その運動を補助しているとは限らない。そして、EMGはすべての筋肉から得られるものではないので、機械を作った->ある筋肉のEMGが減ったという研究が本当に多かったけれど、まだなにも結果を示せていないと思う。

というような質問をとある先生にしたのだけれど、これをブログに書くと、いろいろな人が答えをメールしてくれるかもよと言ってくれる人がいたので、書いてみました。研究批判ではなく、単純な感想です。

2009年2月9日月曜日

アメリカにきてから、4度目の春セメスターが始まった。もはや、去年に卒業に必要な授業をすべてとったため、、今年からは勉強したいものをとることができるようになり以前にもまして余裕が生まれた。それと同時に卒業へのプレッシャーも徐々に感じるようになってきた。

今年の春セメスターは2つの教科を教える立場になった。
まず一つ目は去年も行ったDeveloping World Prostheticsという名前の授業。去年のLecturerが現在Northwestern Univ.のMedical schoolに入学してしまったため、半ば強引に押しつけられた形でLecturerになるはめになった。

授業の内容は基本的には去年と同じ。発展途上国に用いられている義足の技術、社会保険の制度、用いることのできる材料、患者の数を勉強しつつ、インドやカンボジアで用いることのできる義足の設計、制作を行うというもの。授業が終わっても、やる気のある学生は夏休み中にプロジェクトを続けることができ、うまくいけばできたものを実際に現場にもっていき、テストをすることになっている。授業を受けた20人の中から、2人の学生がインドに出向き、彼らが作った義足を現地のクリニックでテストすることができた。いまでもこのプロジェクトはつづいていて、今年の夏も行くらしい。

じつは今年は2週間ほどまえまで、2人の学生しか登録されていなかった。このままでは授業を行うことができないと思い、1週間を使って、MIT全体にポスターをはったり、航空宇宙・EECS・HST・機械学科の学部生のメーリングリストにクラスの宣伝メールを行った。その甲斐あって、最初の授業には15人の学生が授業にきてくれた。今年は何人の学生が夏に現地にいくことができるであろうか。

そして2つめの授業の名前はHuman 2.0。この授業はアドバイザーが今年から始めて教える授業で、TAをやることになった。授業の内容は実はあまり理解していないのだけれど、人間の脚部のセミナーから始まって、上半身、記憶、感情などの人間の要所要所の機能のメカニズムを勉強し、最終的にはプロジェクトとして人間の何かしらの機能を向上させるをするものをつくらなければいけないらしい。

という感じですでに、忙しいながらも、楽しみながら日々を送っています。こっちに来たばかりのときには、自分がいままで学んで機械工学、メカトロの知識を義足に役立てるんだって意気込んていたけれど、いまとなってはすっかり、人間の複雑さ・頑強さ・柔軟さに惹かれるようになった。筋肉一つをとっても、あれだけの機能を再現できる機械要素はみつからない。そんな筋肉を500個以上もつかって毎日体を動かしている人間はすごい。

2008年10月6日月曜日

ひさびさの更新です。
これまで地下の窓がまったくない部屋で研究していたけれど、MITにきて3年、念願の窓のあるオフィス。しかも2人部屋。
最高です。これで冬でも太陽の光をみることができます。。

IMG_0252.jpg

部屋番号はE15-421です。よかったら遊びにきてください。

2008年8月11日月曜日

Jaipurfootでのインターン

日本に帰ってきて1週間経ってしまったけれども、忘れないうちにインドでのインターンについて。

今回のインドでのインターンの目的は
-春セメスターにデザインした膝義足の現地テスト
-来年のプロジェクト向けて、ネタ探し
-NPOの新しい形の模索

これが春セメスターにデザインされた膝義足とその実験の様子。



学部生がデザインしてくれたのだけれど、なかなかのでき。義足のテストは問題点がまだまだ多いけれど、今回6人に使ってもらっていろいろなデータがとれた。その中で、出会ったKamalという15歳の少年。彼はバイクにのってアクロバットをするエンターテイナー。ショーの最中に客からチップをもらうために無理な運転をして激しく転倒し、不運にも膝上から片足を切断するはめになった。現在は義足を使用して生活をしている。現在も義足を使ってバイクにのっているらしい。彼の英語も片言だったので、あまりコミュニケーションはとれなかったけれど、アメリカや日本のことなどいろいろなものに興味をもってくれた。将来は勉強をして大学に行きたいと目を輝かしていっていた。連絡先をおしえてくれといったので名刺を渡した。その名刺を大事そうにバッグにしまってくれたけれど、いまだに連絡はこない。。。

このJaipurfootというNPOは義足を無料で配っているために、毎日たくさんの人が朝から夕方までクリニックに来ていた。クリニックに来る人の中には、会社を経営している人、投資家などの資産家や、一方で路上生活をしている人などもいた。この団体はお金をもっている人からはお金を受け取り、新しい義足を開発するための資金を捻出し、スタンフォードやMITのようなアメリカの大学とのコラボレーションをしっかりとした形で組織化したいらしい。従来のものよりは機能的で、かつ値段も手頃な義足をMITで作ったのだ。NPOの問題点は大きな利益を得ることができないので、製品開発ができないため、競合する団体がよりいいものを提供していると太刀打ちできなくなるらしい。よりサステイナブルな組織を作るために、利益をある程度追求する姿勢を見せると、逆に個人投資家からの寄付は減る傾向にあるらしい。今後はどうやって彼らの理解を得るのかが問題だと団体の代表が語ってくれた。社会貢献にもビジネスが必要ということだ。

ここでの生活は本当におもしろかった。宿泊したところはクリニックの隣の宗教団体の建物でクリニック自体もその宗教の建物らしい。その宗教の名前はJaneといい、仏教の一部だといっていたけれど、調べてみてもwikiにもどこにものっていなかった。この宗教は肉類を食べるのを禁止しているため、この建物内で肉を食べることも禁止されていた。そのために、この団体の従業員はクリニック内で朝昼晩と野菜or豆類のカレーをつくってくれた。MITからきた学生
たちは、現地の人たちが作るカレーを毎日たべたのだ。このカレーはおいしかったけれど、アメリカ人のルームメートはおなかを壊してさんざんな目にあっていた。自分はというと不思議なくらい絶好調で一回もお腹を壊すことはなかっ
た。

この従業員はクリニック内にすんでいて、夜になるとどこからかベッドをもってきて巨大な扇風機の風にあたりながら、インドの夕暮れを毎日楽しんでいた。この扇風機の風は本当に強力で、蚊を吹き飛ばすためにつかっているらしい。そして、彼らはタバコを吹かしながら、携帯電話で音楽を聞きつつ、会話を楽しむのである。話す言語は当然ヒンディー語。英語は数単語しか通じなかったけれど、一日に一フレーズずつ覚えたヒンディー語でちょっとずつコミュニケーションを試みた。10時頃になると始まるトランプを使ったゲームはルールをがんばって覚えようとしたけれど、結局最後まで覚えることはできなかった。rummyというゲームらしい。いろいろ調べたけれど、ここで使用されていたルールがのっているwebsiteは発見できなかった。

最終日には言語は通じないけれど、現地の人たちともう打ち解けていて、その場を離れるのが少しさびしかった。また会える日がくることを信じて。

2008年7月29日火曜日

Delhiです

実は先週からインドのデリーにいます。
こっちでは、インターンをする予定だったのだけれど、担当の人がインフルエンザにかかってしまい、さらに他の人たちがまったく英語を話せないということで、こっちにきてから観光以外何もできていない。ただ、おなかはすこぶる調子がいい。

なぜインドにいるかというと、春セメスターにTAをしたこのクラスの一環で、クラスの中で出来上がった義足をテストしたり、来年のクラスのためのネタ探し、あるいは単純にインドでの義足事情を体験するためで、クラスをとった学生数人とオーガナイザが2週間ほど滞在している。

その滞在中にテロが立て続けに2回おこった。1回目はバンガロールという都市で、2回目はインド西部のアーメダバードという都市で、25日と26日に二日連続で爆破テロがあった。そのニュースを聞いて、
親が心配してメールをくれた。

ただ、インドではイスラム過激派は数団体存在し、テロは今回ははじめてではなく、数年前から活動が活発化し、去年で6回、今年はこれで4回の爆破テロがあったらしい。こっちの新聞でも大きく取り上げられていた。

ぼくがいるのはインドの首都、ニューデリーなのだけれど安全といえるわけではないらしい。3年ほど前に一度大規模の爆破テロがあったらしいのだ。

そのために、Ashkardham templeのようなヒンドゥー教関連の建物にはいるときには、厳重なセキュリティチェックが行われる。カメラさえ持ち込みが許されない。

テロが多い国だというのは前々からわかっていたし、もうきちゃったものはしょうがないので、遠くでおこった事件とはいえ、なるべく気をつけて過ごすことにします。とりあえず、ぼくはいまのところ大丈夫です。
なくなった方にはご冥福をお祈りします。

2008年7月23日水曜日

平城京がいつできたかというのを語呂合わせで、「なんと平城京」とか「なんとりっぱな平城京」っていっていた人が多かったけれど、うちの中学校の先生は「納豆食って平城京 (hey! 上京)」という語呂で教えてくれた。

そんな納豆のように栄養たっぷりで健康的に、かつ粘り強く生きていくように親がぼくを納豆の日、7月10日に生んでくれたとか。。


そんなわけはない。

そんな7月10日に三十路になりました。二十歳のころ描いていた三十路はまったく違うものだったのできっといまイメージしている四十路もいま思い描いているものとはかけ離れているのだろう。少なくとも学生は卒業していたい。

今年の7月10日は普通にラボにいって午前中からアドバイザーとミーティングをしていた。そして昼頃オフィスにもどって仕事をしていると同僚たちがケーキをもってきて入ってきた。三十路になってサプライズがあるとは、というかおそらくうまれてはじめてのサプライズだったかも。

そしてpinataというものを経験した。pinataとはピニャータと発音し、メキシコの遊びで、お菓子がいっぱいはいったくす玉を目隠しした人が棒を使って割り、お菓子をもらう遊びだそうです。





割ったあと、アドバイザーはご満悦。。。。。


そして、夜はサプライズ第2弾があるはずだった。というのもその日の午後、同じオフィスで同僚が「部屋の鍵をもらったから、夜サプライズをしに6時にKenのいえにいくぞ」と、おれがいるのにいないと思い込んでみんなと話をしていたのを聞いてしまった。ここは一つ聞かなかったことにしようと思って、普段通りに家にかえると、その同僚と数人が家の中で待っていた。そして、しばらくしてなぜか外にでるようにいわれる。またまたしばらくして部屋に戻ると、なぜか家のまえにsubwayの袋がおちていた。中にはまだsubがはいっている。新手のサプライズか。そして家にはいると20人くらいの人がクラッカーをならして待っていた。サプライズとは知っていたけれど、こんな大勢の人がきてくれたというのはほんとにサプライズだった。オーガナイズしてくれた人、本当にありがとう。

部屋の前に落ちていた謎のsubwayは普通に友人の一人が落としていったものだったらしい。うーん、サプライズ。

というわけで無事に30歳になりました。

2008年7月9日水曜日

先日、メディアラボのweekly letterの中にこんな記事があった。知らないうちのアドバイザーが取材されていたようだ。

Military inventions hit the civilian market

要約すると、「イラク戦争前は政府はあまり義足開発に興味を持たなかったけれど、戦争の後になると研究費が沢山もらえるようになった。このように戦争によって科学技術が進歩するといったサイクルが昔からある。」というようなことが書いてある。

自分の周りの友人もDARPAの研究をしている人がいるし、そういう自分もTATRCのプロジェクトをResearch assistantとして行っているから、学費と生活費をまかなうことができる。ちなみにDARPAもTATRCもDoDの一部。各ページをみてみると、迷彩服を来た軍人がライフルを持っていたり、戦車が砂煙をあげて走っていたりと、あからさまに戦争を彷彿させるようなイメージがあるため、おそらく多くの日本人はいい印象を受けないと思う。このようなプロジェクトから生まれたロボットたちもあからさまに戦争を意識したものが多い。1 2 3 4。そしてこのような動画が日本のメディアに現れるたびに、「アメリカは軍にお金を使い過ぎ」「アメリカは科学技術を兵器にしかつかわない」というようなアメリカ批判をよく目にする。たしかにそういう印象を持つのはわかるけれど、自分もその一部であるため、ちょっとはそういった否定的な見方に反論できないかと思い、素人なりにいろいろと調べてみた。

まず軍事費だけを単純にみてみると、やはりアメリカの数値が他の国より群を抜いている。たとえば、Stockholm International Peace Research Instituteの資料をみてみると、アメリカの軍事費は2位のイギリスの約10倍である。この資料は各国の報告をもとにSIPRIが推測したものなので、ある程度誤差はあるだろうけれど、さすがにアメリカの1位をひっくり返すほどの誤差はないと思われる。日本も金額だけをみると、他の先進国に匹敵するほどの金額を軍事にあてていることがわかる。

military_SIPRIY.jpg


次にGDPと軍事費の割合をみてみた。CIAのfactbookをみてみるとOman、Qatar、Saudi ArabiaがGDPの10%以上を軍事費に当てているが、アメリカは4.09%。ちなみに日本はわずか0.08 0.8%。この値は少し古いうえに、軍事費は年によって(その年に勃発する紛争、戦争によって)変動するけれども、アメリカはここでも先進国の中では高い数値である。

factbook


ほかにもいろいろな情報源があるようだ。こことか。wikipediaはやっぱすごい。


しかし、よくよく考えてみると、日本では経済産業省や文部科学省のプロジェクトとして行われるようなものが、 アメリカではDARPAなど軍関係のプロジェクトとして行われているケースも多い。(もちろんNSFなどのような資金源もある) 果たして軍事費の中からどれくらいの割合で研究開発がおこなわれているのだろうか。

military_dod1.jpg

2006DoD newsより

これは軍事費を項目別に分けたものである。RDT&Eが研究開発費だろうか。この中の兵器開発の費用もあるだろうけれど、戦争とはまったく関係ないものも多くあるように思える。一方で日本はというと、具体的なデータは見つけられなかったけれど、得られた資料からは民間との共同開発はおこなわれている一方で、大学との連携は少ないようにおもえる。
(研究開発の資料より)

そもそも、日本には自衛隊を軍隊と呼ぶか呼ばないかという議論があるらしいけれど、こういった一連の資料からもわかるとおり、立派な軍隊として位置づけられている。そして最後に、日本にアメリカ軍隊が駐在し、一応守ってもらっているということもわすれてはならない。

何をもって軍事国家というのかはわからないけれど、こういったデータをみてみると、やっぱりアメリカは立派な軍事国家の一つであるといわざるを得ない。しかし、軍の研究=悪ときめつけて、頭ごなしに批判するのもどうかと思う。現に軍のお金を使って現在自分がやっている研究は義足であって、兵器ではない。

夜中に暇になって、いろいろ読み出したらとまらなくなってしまったので、一応記録に残そうと思って書いてみた。ここにはまちがったことも書いてあるかもしれないので、鵜呑みにしないほうがいいかも。

だって、しろうとだからよ。

2008年5月17日土曜日

すごいですね

数ヶ月前に話題になったOscar Pistorius。彼は両足の膝下がないため、両足にバネのような義足をつけて走っている。それがスプリントに有利に働いているとして、数ヶ月前にオリンピックへの出場を認められなかった。

理由は消費エネルギーが健常者の25%少ないってこと。エネルギーだけをみれば、これは明らかなこと。足がないんだからその分筋肉を使わないため、その分のエネルギーが必要とされていないんだし。ただし、消費エネルギーだけを考えたらというだけの話。

この裁判の話が、うちのラボにきたのが2ヶ月ほど前。義足が有利に働いていないということを証明できないかというのだ。

義足一言でいってもいろいろな要素がある。バネの部分だけみたら、エネルギー効率は間違いなく、人間よりも優れている。ただし、ソケットや人間の足首の動きを考えると、有利にはたらいているというこはない、ということが分かった。正直にいうと、有利に働いているか、不利に働いているかはわからないけれど、25%エネルギーが少ないからといって、全体的にみて、有利にはたらいているとはいえないということがなんとなく証明できた。(つもり)

そして、今日NYからアドバイザーからの電話で、裁判に勝利し、彼がオリンピックにでれるようになったという連絡があった。これは、セメスターの最後で疲れきっていた学生を大興奮の渦に巻き込んだ。このために、試験前の数週間必死になって資料を読んだり、議論したりしたから。
NYtimes の記事


しかし、今後もこのような議論は続くと思う。そして近い未来に義足が有利に働き、オリンピックにはでれなくなる人がでる。そして、さらに先にはパラリンピックのほうがオリンピックよりも、いい記録がでる時代がくると思う。それは決して、障害者たちへの差別ではなく、技術が人をdisabledからenabledへ変えることができるから。。

そんな未来を夢みています。

2008年4月13日日曜日

ほんとにインドに行くの?

今期の春セメスターは攻めに攻めて、TAをいれて授業を3つ登録してみた。
そのTAをしている授業なんだけれど、講義は機械科のものでもコンピュータサイエンスのものでもメディアラボのものでもなく、D-labというMITの中にある不思議な団体からオファーされているもの。D-labとは、発展途上国へアクションをおこしている団体。たとえば、発展途上国のために、車いすをつくったり、安全な水を確保する装置をつくってみたり、その国にあった新エネルギーを考えてみたりしている。D-labの面白いところは、クラスをオファーして学生を集めて、クラスのプロジェクトとして世の中の実際の問題に取り組み、そしてその技術を現地に持っていけるだけのレベルもものをつくりだしているところ。

今期TAをしているのは、そのD-labのクラスの一つで、DEVELOPING WORLD PROSTHETICSというもの。簡単に説明するとインドで使える材料をつかって、安い義足を作るというクラス。そしてその義足を実際に今年の夏にインドに持っていって、実際に使えるかどうかテストしに行きたいらしい。

よくよく考えてみると、アメリカやインドでの義足にまつわる話(市場、保険制度、技術力、ビジネス、問題点等)は勉強しているつもりだけれど、日本ってどうなっているのだろう。。

もし、良い物ができて、いま行っているファンドレイジングがうまく行けば、自分も実際にインドに今年の夏に行くかもしれない。でも最近インドにいった友人は10日間のうち、後半の5日間は入院していたらしい。食べ物には気をつけろという、ありがたいアドバイスをいただいた。。。どう気をつければいいのだろう。。

2008年1月25日金曜日

じつは最近まで日本に帰っていた。
今回の帰国はバケーションではなくお仕事。
MIT メディアLAB ++

MITメディアLAB 取材こぼれ話
MITメディアラボ in 東京 | WIRED VISION

ぼくの所属するMedia labでは年に2回スポンサーウィークとよばれるオープンハウスがある。これはMedia labのスポンサーの方々を招待して、研究のアップデートを行うイベントである。しかし、土地柄からか、アジアからの参加者はいただいている金額にくらべて少ない(らしい)。現在のMedia labの収入の45%以上がアジアにheadquarterを有する企業からのスポンサーであり、これからのアジア諸国の経済的•技術的な発展を考え、アクセスのしやすい日本でMITメディアLAB++というイベントを行った。

そこに数人の教授陣に混じって、なぜがぼくが発表する機会を得た。最初は所属する研究室の研究のアップデートをいつもアドバイザーがやっているような感じでやればいいのかと、高を括っていたけれどリハーサルでぼろぼろにされる。自分に求められていたことは、ただのアップデートではなく、熱意だった。なぜ、Media labに来たのか、Media labの魅力はなにか、なぜいまの研究をやっているのか、というようなことを学生の立場から改めて考えるいい機会になりました。また、普段あまり話をしたこともない教授陣と話をする機会もできた。

一番うれしかったことは、自分の発表直後にarchtravelerがきてくれたこと。少ししか話ができなかったけれど、まったくもって元気で、あいかわらず熱かった。かれは本当にがんだったのだろうか。。。

まじめな話はさておき、今回の仕事のおかげで3日の間国際文化会館に泊まることになった。六本木ですよ。六本木。六本木ヒルズはみたことはあるけれどいったことがなかったので、いってみたかったけれど、さすがに一人じゃいけないところでした。。。最近ではミッドタウンというのもあるらしいですね。まったくしりませんでした。

今回の帰国で連絡するといっておきながら、連絡できなかった人たちごめんなさい。結婚する人、おめでとう。転職する人、がんばれ、留学したいっていったひと、やめとけ。

では。

2007年11月9日金曜日

もう2週間前になるけれども、先日のHeinz awardの時にきまったラボの旅行にいってきました。

場所は、ニューヨーク州にあるMohonk mountainというリゾート地。みためものすごい立派な場所だけれど、リンク先にあるお城みたいなところにはとまらず、ぼくらはちょっと離れたキャビンにとまった。(ちなみにうちのアドバイザーはお城にとまったらしい。。)ラボのほとんどのメンバーが参加する3日間の旅行、初日は移動日、2日目はハイキング、3日目はロッククライミングで、朝食、夕食はラボのメンバーが持ち回りで作るという、普段の生活とはまったく違うイベントだった。

初日には車にアメリカ人、日本人、韓国人の組み合わせで移動。車の中ではずーーっと、アメリカ人のiphoneを使って、韓国人がwonder girlsのyoutubeを見ていた。10代の女の子の話に盛り上がる韓国人約1名とそれをちょっと引き気味に話しを聞く約2名。それでも楽しく4時間の移動時間を過ごすことができた。

2日目。湖の周りをハイキング、と思いきや軽くロッククライミング。

labretreat1.jpg


絶壁の合間をただひたすら登り続けて2時間ほど、やっと休憩。そして、壁を見つめながらアドバイザーが一言。
「明日これくらいの壁をのぼるから。。」
えっ、こんな平面を??みたいなどよめきがちょっとあってから、やっぱ冗談だったみたい。その壁は彼がまだ登れていない難しい壁らしい。そんなの登れるわけないし。。。



そして、その夜はぼくと中国人が夕食当番。ラボのみんなが中華料理と日本料理を期待していたので、肉じゃがをつくってみた。あとアスパラガスをニンニクと油でいためた中華っぽい料理。一方中国人がつくった料理は。。。。。。

labretreat2.jpg



なんと、パスタ。。中華料理じゃないじゃんというブーイングもまったく気にしない中国人。まー、うまかったから文句はないかな。


��日目、なんと車の都合でロッククライミングには参加せずにボストンへの帰路につく。メンツはまた同じ3人にもう1人のアメリカ人。話しの内容はいわずとしれたwonder girls。Tell meという曲の出だしのダンスが韓国でものすごい人気らしい。うーん、微妙。。。

ただ、このときにずっとみていたiphoneをどうしても欲しくなってしまい、ついに購入。TIME誌の今年の発明にも選ばれたし、やっぱ人気。学生の中ではやっぱりhackするのが楽しいみたい。いろいろと教えてもらったけれど楽しすぎる。現在hack toolとfirm wareのいたちごっこがつづいているけれど、来年の2月にはSDKが公開されるみたい。どんどんいじるのが楽しくなりそう。。。

2007年10月23日火曜日

この時期になるとラボが急に慌ただしくなってくる。
スポンサーウィークに向けて各ラボが準備をし始めるから。うちのラボは比較的楽な部類だと思っていたけれど、急にスライドを準備しなければいけなくなったり、作りかけの膝のデバイスを仕上げるようにいわれたりして、やっぱり忙しくなった。その上に中間試験。

スポンサーウィークは学生にとっては、他の研究室を見るいい機会。そして毎日フリーフード。それだけが楽しみ。今年はOLPCの発表をみる機会があった。このプロジェクトはかなり有名で昔は100ドルPCとかいわれていたけれど、いまはXO laptopっていわれているらしい。スポンサーウィークの最初の講演がそのプロジェクトに関してで、PCのスペック、インストールされているOS、ソフトウェアについて説明が行われた。そのPCが11/12から一般にアメリカとカナダで売り出されるらしい。というのもやっぱり大量生産が始めるにあたって、発注が予想を大幅に下回り、Give 1 Get 1 というキャンペーンを始めることになった。つまり、2つかって、一つを発展途上国に寄付してもう一つをもらえるというもの。価格も399ドル。奇しくもiphoneと同じ値段。

たぶん買ってもあまりつかわないだろうけれど、やっぱこういうのは欲しい。。。。でもiphoneも欲しい。。。葛藤しています。


そんな中、メーリングリストにあるサイトを紹介する一通のメールが。
OLPCでいろいろなポジションでjobのオファーがある模様。ここで働きたいとは思わないけれど、こういうプロジェクトに関わりたいというのは正直あるかな。。こういうところにインターンってできないのだろうか。。。。

2007年9月8日土曜日

photostatic

時差ぼけです。日本から帰ってきて1週間がたった今、、研究も本格的に再開し、授業が始まったんだけれど、早起きがとまりません。今日の起床時刻は朝の4時。いくら早起きとはいえ、もう2時間くらいは寝ていたい。窓の外を見てみても、日の出はまだ。

boston_morning.jpg


このセメスターは授業を1つだけとって、研究に集中するようにアドバイザーにいわれたので、授業に関してはちょっと楽観的。この2週間日本にいたので、ひさしぶりに研究室にいってみると、どうもメンバーの顔ぶれが違う。新学期なので新メンバーがラボにきて、仕事をすでに始めていた。それにしても、メンバーがだいぶ変わったのでとなりのメキシコ人に話をきいてみると、今年はポスドクが3人、修士の学生も1人ファンドの関係で契約を更新できなかったらしい。自分が長い時間日本にいたにも関わらず、知らないうちに契約更新してくれたアドバイザーに感謝すると同時に、自分の研究を進めて来年の契約更新へむけて、アピールしなければ。。。。


ちょっとつかれてmedia labの3階のカフェにいくと、窓からとなりの工事現場がよくみえる。ここは数年後にmedia labの新しい建物が建つらしい。数ヶ月前に工事が始まったばかりなんだけれど、まだまだ時間がかかりそう。自分が学生でいる間に完成してほしい。

newbuilding.jpg



窓の近くに、新しい建物の設計図とか間取りらしきものがあるけれど、いまいち見方がよくわかりませんでした。

新しい建物についての記事 1 2

2007年5月23日水曜日

やっと今日ファイナルが終わり、春セメスター終了。

この春セメスターは授業、研究以外にもいろいろと活動をして、勉強をおろそかにしてしまったというのが感想。とくに春セメスター終盤のmedia labのsponsor weekはひどかった。

というのも今回はじめてMedia labのsponsor weekにh2.0という大規模なイベントをやるということになったから。このイベントはHugh Herr, John Hockenberryの二人がhost。Hugh Herrは僕のアドバイザーでこのイベントで開発中だった義足を発表したいというのをメンバーに知らされたのがイベントの2週間前。ぼくはその義足の担当ではなかったのだけれど、あまりにも大変そうだったので、手伝いをずっとしていました。

これまでのsponsor weekはMedia labの教授陣が半年の研究成果をスポンサーに発表する場だけれども、このh2.0というイベントではthe new science of human adaptabilityをキーワードに、Media labの中で人間の身体•精神を支えるテクノロジーに関する研究を中心に発表が行われていった。詳しくはホームページから動画が見れるから、ぜひ見てほしい。とくにイベントの最後にはHughが実際に義足でロッククライミングをやっていて、これは聞かされていなかったからかなりびっくり。


そして、ラボの友達の義足もしっかり動いていました。よかったよかった。

2007年3月23日金曜日

去年の11月頃、Media labの友達がぼくのアドバイザーに密着取材をしていた。そのムービーが送られてきた。

彼はEdwardという台湾人。Media labのPh.Dの学生で、グループは違うけれど、去年の夏頃から話をするようになった。彼が話があるといって、初めてラボにきたのは去年の10月ごろ。何でも彼がHarverdで取っている授業のfinal projectとしてぼくのアドバイザー、Hugh Herrのドキュメンタリーを取りたいとのこと。そこで、話しやすいぼくにHughがどんな人が聞きにきたらしい。

予想通り、Hughは快く快諾し、撮影がはじまった。期間は2週間くらいだったけれど、sponsor weekもあったため、忙しさは尋常ではなかったらしい。

そしてできあがったものがこれ.Life. Researchというリンク先にある。重いので注意。

LifeResearch.jpg


自分としては、普段から見慣れているアドバイザー。これをみた義足使用者は、みんな口を揃えて両足がないにも関わらず、不整地を走っているのが信じられないとのこと。本人に聞くと、やっぱたまに滑って転ぶらしい。だけど、せっかく走るんだったらやっぱ景色のきれいなところがいいといって、聞かないらしい(奥さん談)。

現在世の中にいろいろな義足があるけれど、高機能なものほどやっぱり価格が高くなる。需要がそれほどないにもかかわらず、高度な技術が要求されるから。それでも、Rheo kneeC-legを初めて使った人は、みんなその機能に驚く。保険制度がしっかりしている国では、このような義足を使う人もいるけれど、未だにPeg leg(関節のない棒だけの義足)を大多数が使っているところもあるらしい。うちのグループではその解決法の一つとして、将来的にはOLPCのように安くて高機能な義足を開発し、政府やNPOに買わせて、配布できるような仕組みを考えている。まだまだ雲に手を伸ばすような感覚だけれど、実現できるようにがんばりたい。。。

2006年12月1日金曜日

先週末、東京理科大の学園祭で照明展が催されました。これは去年から始まったもので、後輩とその知り合い数人がオーガナイズしているらしい。去年たしか後輩に「Kenさんだったらぎりぎりにまで出してくれれば、間に合いますよ」とか言われて、照明展のリーフレットまでもらっておきながら、こっちにきてすっかり忙しさの波にさらわれてしまった。その後ろめたさもあったし、今年こそはなんか彼のために何かしたいと思って、照明を作ろうと思い立ったのが照明展の2週間前。

何を作ろうかと悩んだ末、やっぱ動くものを作ろうと考えた。その理由は簡単。だって畑違いの、しかも知り合いがまったくいない展示会におれが何ができるだろうかと思ったから。
1週間くらい、家に帰ってよなよなの作業。家にある材料だけでなんとか作ろうと思ったけれど、やっぱり時間と材料に無理があったかも。
結局できあがったものがこれ。
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光センサがあって、夜があけると花が開く。土台の中にモータがはいっていて、光センサが夜明けを感知するとモータが糸を引っ張って花びらが開く仕組み。光る部分には3色LEDを使って時間によって徐々に色が変わる。ただし赤は故障。いたってシンプル。
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他にも温度センサとか距離センサがあったんだけれど、フル可動させることはできなかった。結局見た目のデザインまで手は回らず。でもやりたいことの60%くらいはできたかな。
航空便も間に合ったみたいだし、一番心配していた日本での故障もなかったようなので、一安心。ただ、会場にはいけなかったので、おれの作品がどんだけ空気を読んでいないものだったのかが心配。
今回の件でわかったのは自分のものづくりのうでが落ちたということ。半田のテク、プログラミング、回路設計、すべてにおいて、思ったよりも時間が数倍かかってしまった。原因はケアレスミス。去年までなら、毎日のようにこんなことやっていたんだけれど。。。。。来年はもうちょっと時間をかけてやろう。

2006年10月17日火曜日

多分参加するのは2年ぶりぐらいの国際学会。北京に行ってまいりました。というかまだ北京にいて、今日ボストンに帰ります。

留学を決めてから、学会に参加しなくなったので、学会発表はひさしぶり。ブログで、留学がつらいとばかり書いていて、しまいには最近更新がなかったせいか、会う人みんな優しかった。

一番ショックだったのは、同年代の人たちがすでにドクターをとっていて、かなり年下だと思っていた人たちが、博士課程2年とか3年になっていたこと。

いろいろと書きたいことはあるけれど、帰国してからにします。

2006年9月22日金曜日

義足にする気持ち

留学を決意したのにもっとも大きな影響を与えた友人が義足を使うことを決意した。そして、ぼくの研究テーマは大腿部切断患者用の義足。

彼はこれまで、人工関節を使ってきた。これは、すぐに壊れてしまうし、痛みもあるので、普段の生活の中で常に気をつけなければならないもの。彼が人工関節にしてから、口ではいえなかったけれど、なんで義足にしないのかとずっと思っていた。それは、こっちに来て義足の研究をして、義足を使っている人をみて、義足がlife of qualityを向上させるものだとばかり思っていたからかもしれない。でも彼の最近の文章を読んでわかった気がする。
義足にするか、それとも人工関節にするか。
彼の場合、切断しなくてもいいという選択肢があった。義足にすると、自分の足がなくなるわけで、自分にはそれがどんなことを意味するのか、多分わかっているつもりでわかっていなかった。
生まれてずっといままでともに生きてきた足。いっしょにバスケをやった足。いっしょに水泳もやった足。何をするにもいっしょだった足。その足がなくなる。動かなくなったとしても自分の一部であることにはまちがいない。切り取った自分の足が自分の一部でなくなることがつらい。
義足の研究をしておきながら、彼のつらさの1/100も理解していなかった。多分、まだすべてを理解はできないと思う。だって、体験できないんだから。
彼のような人が世界中にいくらでもいる。むしろ、彼は自分から義足になるという決意をしたからいいほうなのかもしれない。選択の余地もなく、足や腕を切断される患者もたくさんいる。ぼくは病気も治せないし、患者の心も癒せない。エンジニアとしてこのような人たちになにができるのかと思うと、やっぱりいいものを作るしかない。彼らの気持ちの1/100でも理解できるエンジニアになりたい。
おまけ
来年彼が富士山を登る計画を立てているらしい。そしてその周りの友人たちもいっしょに登ろうとしているらしい。アメリカにいるからって、おれを無視するなよ。 よろしく。

2006年7月1日土曜日

前回、このようなことを書きました。
正直に自分の意見をアドバイザーに伝えたけれど、結局説得することができず、数日が過ぎた。

一緒に研究しているスタッフLもちょっと不機嫌そうだったけれど、また今度アドバイザーと話してみようということにしてその場をしのいだ。
そして数日後、アドバイザーからの電話で「論文はそのままの結果をだすことにした。」という連絡が入った。Lの結果は、あるひとつのデータに関しては有効だけれど、普遍的なものではなかったらしい。なので、今回はもともとのぼくが出した結果を論文に載せることになった。最終的にはぼくの願っていたとおりになったけれど、アドバイザーはLの結果が使えないということに気づいただけなのだろうか?それとも、ぼくの意見を少しはわかってくれたのだろうか?後者であってほしい。
コメントをくれた同世代の研究者のみなさま、いろいろな意見ありがとう。これからもよろしくお願いいたします。

2006年6月30日金曜日

first authorとは、論文の著者の一番初めの人。つまり、論文に一番関わった人がここに名前を書く。

先日submitして、無事にacceptされたIROSの学会論文。とうぜん、first authorは私。今度はreviewerのコメントを参考にして、最終的にpublishされるものを来月提出しなくてはならない。

どのように書き換えるかとアドバイザーと話していたところ、信じられない一言。
「論文の結果をすべてLの結果に代えて提出しよう。」
Lは同じ研究室でおれの手伝いをしてくれているスタッフ。簡単に言うと、ぼくは人間の足を簡単にモデル化したあとその結果を論文に書いて提出し、モデルの最適化を彼に任せて、ぼくはシミュレーションに取り掛かり始めた。しかし、彼が続けてきた結果がよいために、今回の論文の結果を彼のものに代えようというのがアドバイザーの提案。
私の意見としては
-結果を代えるならば、first authorも彼に代えるべき
-もともと、ぼくの結果で通った論文なのだから、結果はそのままにすべきではないのか
と思う。もちろん、アドバイザーにも言ったけれど
-Kenの結果で通ったのだから、Kenが発表すべき
-当然first authorもKenでいい
という返答。他人の結果で発表なんかしたくない。代えるのだったら、論文から自分の名前も消してほしいくらい。
どうしたらいいんだろうか。。。