留学を決意したのにもっとも大きな影響を与えた友人が義足を使うことを決意した。そして、ぼくの研究テーマは大腿部切断患者用の義足。
彼はこれまで、人工関節を使ってきた。これは、すぐに壊れてしまうし、痛みもあるので、普段の生活の中で常に気をつけなければならないもの。彼が人工関節にしてから、口ではいえなかったけれど、なんで義足にしないのかとずっと思っていた。それは、こっちに来て義足の研究をして、義足を使っている人をみて、義足がlife of qualityを向上させるものだとばかり思っていたからかもしれない。でも彼の最近の文章を読んでわかった気がする。
義足にするか、それとも人工関節にするか。
彼の場合、切断しなくてもいいという選択肢があった。義足にすると、自分の足がなくなるわけで、自分にはそれがどんなことを意味するのか、多分わかっているつもりでわかっていなかった。
生まれてずっといままでともに生きてきた足。いっしょにバスケをやった足。いっしょに水泳もやった足。何をするにもいっしょだった足。その足がなくなる。動かなくなったとしても自分の一部であることにはまちがいない。切り取った自分の足が自分の一部でなくなることがつらい。
義足の研究をしておきながら、彼のつらさの1/100も理解していなかった。多分、まだすべてを理解はできないと思う。だって、体験できないんだから。
彼のような人が世界中にいくらでもいる。むしろ、彼は自分から義足になるという決意をしたからいいほうなのかもしれない。選択の余地もなく、足や腕を切断される患者もたくさんいる。ぼくは病気も治せないし、患者の心も癒せない。エンジニアとしてこのような人たちになにができるのかと思うと、やっぱりいいものを作るしかない。彼らの気持ちの1/100でも理解できるエンジニアになりたい。
おまけ
来年彼が富士山を登る計画を立てているらしい。そしてその周りの友人たちもいっしょに登ろうとしているらしい。アメリカにいるからって、おれを無視するなよ。 よろしく。
2006年9月22日金曜日
2006年8月27日日曜日
ひさびさのブログです。
先日ボストン美術館に映画を見に行ってきました。
題名は「sketch of Frank Gehry」

このブログでもよく登場するStata centerを設計した建築家のドキュメンタリー。日本ではめったにみれないということだけれども、内容が内容なだけに、あまりうらやましいとは思わないか。。。しかし、建築好きの自分としては、ずっと前からみたかった映画のひとつ。以前、NYでしかやっているところをみつけることができなかったので、いつかNYにいこうと思っている矢先、Media labのメーリングリストでボストン美術館のexibitionの紹介が流れてきて、その中にこの映画がやっているのを見つけた。
独特な建物をつぎつぎと建てている建築家だけれど、この本にもあるとおり、よくみる彼の描く絵はMITのCSAILのロゴのようなものばかり。こんな絵がどうやって、あんな建物になるのかいつも不思議に思っていた。
映画の中では、ディズニーコンサートホールのプロジェクトを通して、どうやって彼がプロジェクトを進めているのかを見れる。若い建築家と建物の模型をいじるGehry氏。無理やり建物の一部をはさみできったり、くしゃくしゃにした紙をテープでつけてみたり、一見めちゃくちゃなことをやっていた。それ以降の過程は映画にはでてこなかったけれど、多分事務所のCADのスペシャリストが図面にしたり、施工のスペシャリストが彼のめちゃくちゃの建物を実際にどうやって作るか考えたりするんだろうと思う。建物を実際に作っている現場に運ばれてくるのは、くねくねと曲げられた鉄筋ばかり。これはきっと量産できないだろうから、多大な金額が必要だろう。先日わけあって高校生にMITのツアーをやった時に知ったのだけれど、stata centerの場合建築費が約300億円だったとのこと。
チームワークあってのFrank Gehryなんだろうな。。
先日ボストン美術館に映画を見に行ってきました。
題名は「sketch of Frank Gehry」
このブログでもよく登場するStata centerを設計した建築家のドキュメンタリー。日本ではめったにみれないということだけれども、内容が内容なだけに、あまりうらやましいとは思わないか。。。しかし、建築好きの自分としては、ずっと前からみたかった映画のひとつ。以前、NYでしかやっているところをみつけることができなかったので、いつかNYにいこうと思っている矢先、Media labのメーリングリストでボストン美術館のexibitionの紹介が流れてきて、その中にこの映画がやっているのを見つけた。
独特な建物をつぎつぎと建てている建築家だけれど、この本にもあるとおり、よくみる彼の描く絵はMITのCSAILのロゴのようなものばかり。こんな絵がどうやって、あんな建物になるのかいつも不思議に思っていた。
映画の中では、ディズニーコンサートホールのプロジェクトを通して、どうやって彼がプロジェクトを進めているのかを見れる。若い建築家と建物の模型をいじるGehry氏。無理やり建物の一部をはさみできったり、くしゃくしゃにした紙をテープでつけてみたり、一見めちゃくちゃなことをやっていた。それ以降の過程は映画にはでてこなかったけれど、多分事務所のCADのスペシャリストが図面にしたり、施工のスペシャリストが彼のめちゃくちゃの建物を実際にどうやって作るか考えたりするんだろうと思う。建物を実際に作っている現場に運ばれてくるのは、くねくねと曲げられた鉄筋ばかり。これはきっと量産できないだろうから、多大な金額が必要だろう。先日わけあって高校生にMITのツアーをやった時に知ったのだけれど、stata centerの場合建築費が約300億円だったとのこと。
チームワークあってのFrank Gehryなんだろうな。。
2006年7月22日土曜日
留学に至る過程で、いろいろなことがあった。あのときはすべてのできごとが留学の方向へ向かっているような気がした。
「なんで留学したの?」
多分留学生はよく聞かれることだと思う。理由はいっぱいある。でもかっこつけて、
「行きたい研究室があったから」
ってだけ言うことが多い。それもあるんだけれど、やっぱりarchitravelerの件が大きい。
1年間海外の大学院の生活をして、本当に疲れた。これがあと何年も続くのかと考えると、本当に耐えられないと思った。
だからこの帰国で彼には1回会っておこうと思った。
実際に会ってみると、建築のことや、将来のこと、いまやってることなどを話すだけ。ただそれだけでおれは不思議と来年度もがんばろうという気持ちになっていた。
さんきゅ。
考えてみると留学に向けてn-eastというバスケのチームがおれの与えた影響は大きい。いろんなメンバーがいるなかで、留学を徐々に意識づけてくれたのは事実。このチームがなかったら多分留学もなかった。帰国中に練習に顔を出せてよかった。
さんきゅ。
「なんで留学したの?」
多分留学生はよく聞かれることだと思う。理由はいっぱいある。でもかっこつけて、
「行きたい研究室があったから」
ってだけ言うことが多い。それもあるんだけれど、やっぱりarchitravelerの件が大きい。
1年間海外の大学院の生活をして、本当に疲れた。これがあと何年も続くのかと考えると、本当に耐えられないと思った。
だからこの帰国で彼には1回会っておこうと思った。
実際に会ってみると、建築のことや、将来のこと、いまやってることなどを話すだけ。ただそれだけでおれは不思議と来年度もがんばろうという気持ちになっていた。
さんきゅ。
考えてみると留学に向けてn-eastというバスケのチームがおれの与えた影響は大きい。いろんなメンバーがいるなかで、留学を徐々に意識づけてくれたのは事実。このチームがなかったら多分留学もなかった。帰国中に練習に顔を出せてよかった。
さんきゅ。
2006年7月21日金曜日
帰国するときには毎回十数時間もの間、飛行機にならなければならない。そのときに楽しみなのは映画を見ること。
今回もたくさんの映画をみることができた。
ピンクパンサー
Vフォーヴァンデッタ
県庁の星
glory road
中でも注目したいのがglory road。
「Glory Road」は1966年NCAAトーナメントを制したTexas Western Universityのバスケットボールチームを題材にしており、このチームは初めて黒人5人をスタメンに起用したチームとして知られている。
内容もバスケ好きとしては楽しめたのだけれど、気になったのがこの主役を演じているJosh Lucas。なんかおれのアドバイザーに似ている気がする。

アドバイザー、Hugh Herr

Josh Lucas
ちょっと言い過ぎかも。
今回もたくさんの映画をみることができた。
ピンクパンサー
Vフォーヴァンデッタ
県庁の星
glory road
中でも注目したいのがglory road。
「Glory Road」は1966年NCAAトーナメントを制したTexas Western Universityのバスケットボールチームを題材にしており、このチームは初めて黒人5人をスタメンに起用したチームとして知られている。
内容もバスケ好きとしては楽しめたのだけれど、気になったのがこの主役を演じているJosh Lucas。なんかおれのアドバイザーに似ている気がする。
アドバイザー、Hugh Herr
Josh Lucas
ちょっと言い過ぎかも。
2006年7月18日火曜日
今日まで極秘で日本にいっていました。超短期決戦だったので、会えなかった人ごめんなさい。また今度。
もう2週間ほど前になってしまったけれど、アメリカにきてはじめての独立記念日を迎えた。
独立記念日とは1776年7月4日独立宣言に署名がなされた日。アメリカ人にとってはもっとも大きなイベントのひとつ。
ボストンでは毎年大規模なイベントが行われるらしい。ボストンコモンでは有名な人を呼んでコンサートをやったり、チャールズリバーには花火がうちあがった。ぼくは川沿いに住んでいるため、部屋からも花火がみれるんじゃないかということで、友人何人かよんではじめての独立記念日を部屋で迎えることにした。

実家の沼津の夏祭りは毎年見ていたけれど、アメリカはやっぱエンターテイメントの国。みせ方が派手。かなりすごかった。沼津では5分ごとにスポンサーの名前が呼ばれたり、仕掛け花火にスポンサーの名前が浮き出たりして、田舎の雰囲気がこの上なく、好きだった。ここでは音楽に合わせて一気にドバーンという感じでした。こういう花火もいい。しかし、打ち上げ花火を見た後で、線香花火をやりたくなるのはやっぱ日本人だからだろうか。
もう2週間ほど前になってしまったけれど、アメリカにきてはじめての独立記念日を迎えた。
独立記念日とは1776年7月4日独立宣言に署名がなされた日。アメリカ人にとってはもっとも大きなイベントのひとつ。
ボストンでは毎年大規模なイベントが行われるらしい。ボストンコモンでは有名な人を呼んでコンサートをやったり、チャールズリバーには花火がうちあがった。ぼくは川沿いに住んでいるため、部屋からも花火がみれるんじゃないかということで、友人何人かよんではじめての独立記念日を部屋で迎えることにした。
実家の沼津の夏祭りは毎年見ていたけれど、アメリカはやっぱエンターテイメントの国。みせ方が派手。かなりすごかった。沼津では5分ごとにスポンサーの名前が呼ばれたり、仕掛け花火にスポンサーの名前が浮き出たりして、田舎の雰囲気がこの上なく、好きだった。ここでは音楽に合わせて一気にドバーンという感じでした。こういう花火もいい。しかし、打ち上げ花火を見た後で、線香花火をやりたくなるのはやっぱ日本人だからだろうか。
2006年7月4日火曜日
MITの先生のイメージ
今日、知り合いの後輩H君がMITを尋ねてきた。なんでも、今年、MITのコンピュータサイエンスにアプライするとかしないとか。
そんな彼は2人の先生とアポを取ってきた。
1人目はRuss Tedrake。去年facultyのメンバーになったばかりでまだ若いからか、2人でRussの部屋にいったら、学生と一緒に実験を行っていた。H君はそれにおどろいていた。先生が実際にPCの前に座って、学生と実験を行っているというシーンがめずらしかったみたい。Russは今年が初年度なので、tenureもからんでくるため、かなり気合がはいっているのだろう。
2人目はRodney Brooks。彼は本当に忙しい人で、めったにアポを取れないと聞いていたのだけれど、ラッキーなことにH君はRodney Brooksと会う機会を得た。
ぼくは実は去年の3月に新入生のイベントでRodney Brooksと話す機会があって、これまでにやってきたこと、これからやりたいことなどを話したあと、RAのオファーをいただいた。しかし、現在いるラボの研究テーマが第一候補だったので、オファーを断った。それ以来、彼とは会っていなかった。
さすがに覚えていないだろうと思っていたけれど、あって少し話をすると
「あー、きみは一年目の学生?」
「media labにいったんだっけ?」
のような会話のあと、H君に
「Kenはコンピュータサイエンスのくせにmedia labにいっただめな学生だ!!」
といっていた。もちろんこれは冗談。H君もいっていたけれど、Rodney Brooksは本当にすばらしい先生。学生には本当に優しく接するし、授業もわかりやすい。話がおもしろい。
そのあと、2人でMIT museumにいってきた。ここは歴代のleg labのロボットやRodney Brooksのロボットなどが飾られている。ロボット好きにとってはまさに聖地。
そんなわけで、H君はぼくもうらやましいと感じるMIT初日を終えた。ただ、うちのアドバイザーの印象は悪かったみたい。。うーん、たしかに見た目は怖いんだよね。
あと、機械科のD先生は見た目も周りの評判も悪いけれど、本当はいい人らしい。
そんな彼は2人の先生とアポを取ってきた。
1人目はRuss Tedrake。去年facultyのメンバーになったばかりでまだ若いからか、2人でRussの部屋にいったら、学生と一緒に実験を行っていた。H君はそれにおどろいていた。先生が実際にPCの前に座って、学生と実験を行っているというシーンがめずらしかったみたい。Russは今年が初年度なので、tenureもからんでくるため、かなり気合がはいっているのだろう。
2人目はRodney Brooks。彼は本当に忙しい人で、めったにアポを取れないと聞いていたのだけれど、ラッキーなことにH君はRodney Brooksと会う機会を得た。
ぼくは実は去年の3月に新入生のイベントでRodney Brooksと話す機会があって、これまでにやってきたこと、これからやりたいことなどを話したあと、RAのオファーをいただいた。しかし、現在いるラボの研究テーマが第一候補だったので、オファーを断った。それ以来、彼とは会っていなかった。
さすがに覚えていないだろうと思っていたけれど、あって少し話をすると
「あー、きみは一年目の学生?」
「media labにいったんだっけ?」
のような会話のあと、H君に
「Kenはコンピュータサイエンスのくせにmedia labにいっただめな学生だ!!」
といっていた。もちろんこれは冗談。H君もいっていたけれど、Rodney Brooksは本当にすばらしい先生。学生には本当に優しく接するし、授業もわかりやすい。話がおもしろい。
そのあと、2人でMIT museumにいってきた。ここは歴代のleg labのロボットやRodney Brooksのロボットなどが飾られている。ロボット好きにとってはまさに聖地。
そんなわけで、H君はぼくもうらやましいと感じるMIT初日を終えた。ただ、うちのアドバイザーの印象は悪かったみたい。。うーん、たしかに見た目は怖いんだよね。
あと、機械科のD先生は見た目も周りの評判も悪いけれど、本当はいい人らしい。
2006年7月1日土曜日
前回、このようなことを書きました。
正直に自分の意見をアドバイザーに伝えたけれど、結局説得することができず、数日が過ぎた。
一緒に研究しているスタッフLもちょっと不機嫌そうだったけれど、また今度アドバイザーと話してみようということにしてその場をしのいだ。
そして数日後、アドバイザーからの電話で「論文はそのままの結果をだすことにした。」という連絡が入った。Lの結果は、あるひとつのデータに関しては有効だけれど、普遍的なものではなかったらしい。なので、今回はもともとのぼくが出した結果を論文に載せることになった。最終的にはぼくの願っていたとおりになったけれど、アドバイザーはLの結果が使えないということに気づいただけなのだろうか?それとも、ぼくの意見を少しはわかってくれたのだろうか?後者であってほしい。
コメントをくれた同世代の研究者のみなさま、いろいろな意見ありがとう。これからもよろしくお願いいたします。
正直に自分の意見をアドバイザーに伝えたけれど、結局説得することができず、数日が過ぎた。
一緒に研究しているスタッフLもちょっと不機嫌そうだったけれど、また今度アドバイザーと話してみようということにしてその場をしのいだ。
そして数日後、アドバイザーからの電話で「論文はそのままの結果をだすことにした。」という連絡が入った。Lの結果は、あるひとつのデータに関しては有効だけれど、普遍的なものではなかったらしい。なので、今回はもともとのぼくが出した結果を論文に載せることになった。最終的にはぼくの願っていたとおりになったけれど、アドバイザーはLの結果が使えないということに気づいただけなのだろうか?それとも、ぼくの意見を少しはわかってくれたのだろうか?後者であってほしい。
コメントをくれた同世代の研究者のみなさま、いろいろな意見ありがとう。これからもよろしくお願いいたします。
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