2006年1月31日火曜日

robot rivalries

IAPも最後の週になりました。来週からついに春セメスターがはじまります。どきどき。。。

MITのIAPではロボット関係の授業が何個かあります。簡単にいうと、
6.270 - autonomous robot design competition
LEGOmindstormを使った授業。2,3人のグループでロボットのデザイン、プログラミングを行う。
6.370 - Robocraft programming competition
これはプログラミングに特化した授業で、1人から4人の生徒がコンピュータゲームのロボットの動きをプログラムをする。
MASLab: an advanced IAP robotics competition
2人から4人の生徒が、1台のロボットを製作する。ロボットは未知の環境であるタスクを行う。
2月の2,3,4日に各コースの最終講義が行われるらしい。しかもその講義は観客の前で行うみたい。おれもはじめはこういう講義を取ろうかと思っていたけれど、同じラボの友達が「あれは学部生向けのクラスだからつまらないよ。」といわれて迷った挙句、結局取りませんでした。でもせっかくなので最終講義は是非行こうと思ってます。
以前、慶應大学で後輩の有志といっしょに、簡単なロボットを作ってコンペティションをやろうとしたところ、難しすぎたのか、それとももともとつまらないことだったのかわからないけれど、学生のモチベーションを上げることができなくて、失敗したことがあります。そのときは、先輩の転職や後輩の卒業もあって、うやむやになりかけたけれど、なんとか1台のロボットを作りました。けれど学生にものを教えるのって大変だなぁと落ち込んだのを思い出しました。。
LEGOのホームページ、はじめてみたけれど面白いね!!

2006年1月29日日曜日

いまさらながら、時間があったのでスチームボーイを見ました。
steam.jpg


本当に軽い気持ちで、あまり期待せずにみたのだけど、自分が科学者ためか、結構よかったです。ネタバレになるといけないのであまり細かくは触れないけれど、簡単にいうと科学のあり方について対立する2人。一方は、自分の発明を戦争を含むあらゆるものに利用しようとし、それはしょうがないと思ってしまう。片方はそれを阻止しようとし、科学は平和のためと信じる。
このことに関しては多くの研究者が学会や取材とかでいやというほど話をしていると思う。でも結局自分のような若くてなんの実績のない研究者にはあんまり関係ないやって思うんだよね。自分の何回かどっかの新聞社の人とか、テレビの取材のときに適当なことを言った記憶があるけれど、なんていったっけ。。
うちの研究室でもDARPA(米国防総省)からお金をもらって研究をしているけれど、これって戦争のための研究なんだよなってちょっと冷静になって考えてみた。こっちにきたときにも思ったんだけれど、DARPAのfundってアメリカでは本当にどこの研究室でももらっていていろいろな研究がされているから、当たり前になってた。
アドバイザーにDARPAはやめようなんて口が裂けてもいえないけれど、自分がDARPAの研究をやることは絶対にやめようと思いました。
主人公レイが言った言葉
「科学は何のためにあるの?」
ちょっと、考えさせられるものがありますよね。
科学の発展が反戦の方に役立ちますように。。。

2006年1月27日金曜日

aaana.jpg


一瞬、baby_touchさんのところのパートナーロボットとか、あるいはposyが成長したのかとか思ってしまいましたが。。

これは戦争を講義するデモをするためのロボットらしいです。ANA(Autonomous Non-voilent Agents)Vida 8.0のファンドを得て、このプロトタイプを20体作ったそうです。そもそも、何でこのロボットが作られたかというと、本人がデモ活動をしていると、警察に捕まる恐れがあるから、遠隔操作で1マイル離れているところからも操作できるため、本人は捕まらない、という目的かららしい。
ロボットはSegwayのように2輪と姿勢センサを用いて、小回りのきく動きが可能で、カメラも搭載していて、ナビゲータが1マイルはなれたところから操作できるようになっている。
こんなところにまでロボットが使われるようになったのか。。というかこのロボットの出所がわかっているから、販売が差し押さえられることはないのか、また逮捕されるくらいならこんなお金のかかるロボットが警察に拘束されるがましなのか。逮捕されるくらいの行動をこのロボットがすることができるのだろうかといろいろ疑問が浮かんできてしまう。おれとしては、反戦運動はロボットなんか使わず、逮捕なんか恐れず、がんばって自分で抗議してほしいな。おれにはそこまで無理だけどさ。
というようなことをラボの数人で話をした一日でした。。

2006年1月25日水曜日

ジョンホプキンス大学に留学中のtyamaさんの記事でqualifying examをクリアしたとありました。おめでとうございます。

qualifying examとは名前は違えど、アメリカの大学ではどこもあると思われる試験。これをパスしないと退学になってしまうという大事なもの。
MITにもこのqualと呼ばれるものがあって、ぼくの所属するEECSAria II、つまりコンピュータサイエンスの学科では、Technical Qualifying Exam(TQE)とResearch Qualifying Exam(RQE)をクリアしないとPh.Dのコースに残れない。うちの学科はちょっと変わっていて、TQEでは3セメスター以内に4つのコースをとり、3つ以上のA-よりいい成績を取らなければならない。(さもなければ、oral examをさらに受けなければなrない)おれはこの秋セメスターにすでにB+を取ってしまったので、残りの3つのコースでA-以上の成績を取らなければならなくなってしまった。
なんでこんなこと書いているかというと、この時期はqualを受ける人が多いので、おれもあせってしまうから。MITで同じ学科の日本人が今年TQEをパスした。そして、去年同時期に来た人(学科が違うけれど)は水曜日にqualを受けるらしい。
コンピュータサイエンスの学科では初年度からTQEをパスする人はほぼいないと聞いたけれども、同時期に来た人がqualを受けると聞くとなんかあせってしまう。
来年の今頃はTQEが終わってるはずなので、今年一年は自分にとって大きな年。留学して最初の難関。自分の周りの人のがんばりを励みにして、あせらずにがんばろうと思う。

2006年1月23日月曜日

最近研究を進めるモチベーションがあがってきました。

これまでにいろいろなロボットに携わってきて、チームの都合上いろいろな機構設計用のCADソフトを使ってきました。
AutoCAD
Inventor
CATIA
この中でもInventorは長いこと使ってきたし、学生に優しい価格なので、アメリカにきてもInventorがいいなぁとひそかに思っていました。そしてラボのみんながつかっているのは残念ながらSolidworks。また新しいCADソフトを使い始めています。でも基本的な考え方や設計方法はこれまでのものと似ているのですぐにおぼえられそうです。
しかし、ここで大きな障害につまづいています。単位の違い。日本ではmmを使うのですが、ここではinchが標準。ねじもインチネジ。設計していても実際のものの大きさがいまいちわかりづらいです。やっぱこれも慣れなのかなぁ。日本ではRS-コンポーネンツとかミスミとかアキバのお店の部品を使って設計していたのだけれど、こっちはMcMasterばっか。新しいことばかりですが、楽しんで設計しています。
気温は日本が摂氏を使っているのに対してアメリカは華氏。
摂氏10度=華氏50度
摂氏20度=華氏68度
摂氏30度=華氏86度
こっちにきて長い人はもう慣れているみたいですけれど、おれはまったく慣れません。
重さもこっちはパウンド。
1パウンド=454g
だそうです。しかもパウンドはlbsと書きます。あじめてスーパーにいったとき、本当にわかりませんでした。アメリカ人に「なんでパウンドはlbsをつかうのか?」という質問したら、そんなのは知らんという答えが返ってきました。数日後そいつからlbsの意味がメール送られてきました。
The abbreviation comes from a Latin phrase – libra pondo, which means “pound of
weight.” So the “lb” derives from the Latin “libra”. And of course the “s”
indicates plural.

へぇ。

2006年1月22日日曜日

今日はdrawingの授業。

drawingといっても鉛筆を使ったデッサン。昔から絵を描くのは得意だったんだけれど、高校以降は絵を描く機会がまったくなかったため、懐かしい感じ。
もともとはというと、設計とかやるときにラフスケッチをするんだけれど、これが他人にも見せられるくらいのものがすらっとかけるとかっこいいなって思ったのがきっかけ。
大学生のときにデザインの授業かなんかで、コピックつかって絵を描いたんだけれど、そういうのも将来的にはできればいいな。これまでに仕事で松井さんとか山中さんの絵をみたからその影響もあるはず。
いままで独学でやってたんだけれど、本格的に教えてもらうのはこれがはじめて。MITにもartやってる人が多いと聞いていたので、こっちにきたらやろうとおもってたんだよね。
今日の授業でいろいろ描いたんだけれど、まだアップできるほどのものは描けないや。半年後くらいにはましなものが描けるといいな。と思いながら授業を終えました。

2006年1月20日金曜日

現在、MITはIAPという期間らしいです。

IAPとはInddependent Activities Periodの略。この期間はさまざまな授業が用意されていて、生徒は自分の専門の分野のものやまったく関係のないものを受けることができる。もちろん大学院生はこの時期に研究を進めなければいけないらしいけれど。。
おれはこの時期に2つの授業を受けている。ひとつはバスケットボール。もうひとつはdrawing。
今日は時差ぼけは本当にひどく、直す努力もしていないので夜一睡もできなかった。朝の7時くらいの窓から見える夜明けがとてもきれい。。
dawn.jpg

徹夜のあと、今日の午前中はバスケのクラス。大学のチームの監督がコーチしてくれると聞いていたので楽しみにしていました。授業といっても技術的な練習が中心。この日はリバンド、スクリーンプレイをつかった2対2。そして5on5。
ホームページには
This is an intermediate level course, prior experience is necessary.
って書いてあったのに、たぶんみんなチームではやったことないやつら。授業は不完全燃焼のまま終わってしまったけれど、大学のコーチに個人的に教えてもらえるっていうのはいい経験です。
そして午後は大雨。ラボでの勉強を早々に切り上げて家に帰ってしまいました。はやく時差ぼけを直さなければ。。
最近研究すすまないな。。。。。

2006年1月19日木曜日

おかげさまで

まだまだ、インフルエンザの後遺症と時差ぼけの影響で社会復帰できない状態です。

今回の帰省で実家のネット環境とPCを整えてきました。それで親に使い方を簡単に教えてきました。というのも去年の夏にADSLとウェブカメラを準備しておいて渡米したのに、やりかたがわからないとかいって携帯のメールのみで連絡を取り合ってきました。せっかくのネット環境もったいない。。。というわけで、今回はちゃんとしつけてから渡米してきました。skypeをインストールするときに最新版ではビデオチャットできるとかなんとか書いてあったりして。。
そして、今日はじめて親とskypeでつながることに成功。なんといってもビデオチャットのクオリティにびっくり。もうmsnmessengerいらないかも。これでわざわざ国際電話することもなくなりそう。

2006年1月18日水曜日

前回の日記から1週間たってしまいました。

yukkeから大丈夫かというメールをもらいました。ありがとう。大丈夫じゃないです。
体がだるくなり始めたのが4日の夕方。鼻水とせきが出始めてました。熱はなかったので気にしないでいました。5日には葬式のため山梨へいってました。とてつもなく寒い中で1時間ほどいたけれど、体に異常はありませんでした。
そして6日の朝、異常なほどの体のだるさ、関節の痛さ。熱をはかってみると39度。急いで病院にいくとインフルエンザA型であることが判明。その日の予定はもちろん、そのあとの予定もすべてこなすことができませんでした。さらに渡米の予定も1週間ほど遅れてしまいました。
熱は3日ほどで下がってきたのだけれど37.5度くらいの熱が1週間ほど続き、体のだるさも続いていました。そして、昨日渡米。日本も寒いって思っていたけれど、やっぱこっちの寒さは別格。外で5分以上歩けません。
一番つらいのが元の生活に戻ることができないこと。ずーーっと寝ていたせいか、なんか精神的に自分を追い込むことができなくなってしまっている。幸い、授業がはじまるまであと2週間ほどあるので、徐々に体を慣らしていこうかと思ってます。
心配してくれた人たち、わざわざメールくれた人たち、ありがとう。地道にがんばります。

2006年1月9日月曜日

予定は9日に日本を経つ予定でした。。

4日から体調が急変しました。鼻水とくしゃみ。でもまったく熱がなかったので、安静にしたり、早く寝てみたりすると、次の日には元気になってました。そして5日に葬式のため、山梨にいっても元気でした。
そして6日の朝。体に異常なだるさを感じました。熱をはかってみると38.9度。
急いで病院にいって、検査を受けてみるとインフルエンザであることが発覚。タミフル投入。タミフル万歳。
だれからもらったんだろう。3日、つまりOB会があやしいんだけれど、他にも体調悪くなった人いなかった?
お陰で帰国の日程が数日遅くなりそうです。

2006年1月6日金曜日

あけましておめでとうございます。今年もよろしく。

今年も1月3日に高校のOB会に行ってきました。
archが7時30分に来るということだったので、がんばって8時にいってみたけれど、そのときにいたのはyukke1人。コートサイドには車椅子がぽつんと置いてあった。ちょっと遅かったか。。。
9時からゲームをやるというという話を聞いてアップをはじめたけれど、東高の体育館寒すぎ。「ボストンのほうが寒いでしょ?」ってよく言われるけれど、体育館は暖房がかかっているのであんな寒い中でバスケをやるのは去年のOB会以来です。
9時半になってもOBたちはあまり集まらなかった。たぶん10人いるかいないか。今年は不作か?と思っていると、そのうちにものすごい人数のOBが登校。また、いつものメンバーに会えてよかったです。でも年々同期のメンバーの人数が減ってきてさびしいかぎり。車椅子にも乗ったしレイアップのチャレンジしたけれど、1回も入らず。さらにフリースローもやったけれど届かない。分かっていたことだけれど難しいんだな。。。
ゲームのほうは30日とは全く違う、「楽しむバスケ」。みんなと昔を懐かしむかのようにプレーを楽しみました。同期とうちの1つ下の代が(何回も)失礼致しました。
男子の後は女子のOG会もはじまり、何人かの人たちとちょっと話をしてlosの家へ帰宅。夜にいつものように駅周辺で飲み会。あと何年これが続くのかな。バスケ部の同期が3人しかいなかったのでちょっと心配。でもバスケ部以外の同期はあいかわらずたくさんいてうれしかったかな。マイミク増えたし。。建築情報よろしく。
今年のOB会は自分にとってまた一味違うものになりました。いつものメンバーとのバスケ。あいかわらずdaiはうまいし、keigoは強いし、genkiは速いし、yokoたちは似てるし。(以下略、ごめん)。こいつらがいるからおれもアメリカでバスケもがんばろうって気になる。そして、同じ帰国組の人たちとの会話。yukke、iyo、zeusとの話はやっぱお互いがんばろうーって感覚がわきます。境遇が似てるからだろうな。次はkeigoたちの代の飲み会。ここの代はもう同期だろ。何人か彼女をつれてきた人たち、お幸せに。
そして最後に、同期のやつらの近況。要は結婚話。今年に同期だけで3人が結婚をする予定。めでたいけれど帰国できるかどうか。次のセメスターの講義次第。おめでとう。
今年も無事にOB会に行くことができ、2006年をスタートすることができました。今年の目標は
-今年の講義すべてA
-ダンクをもう1度!!
-学会に投稿
です。今年もよろしく!!
おまけ
archととった写真、部屋の机の前にはっときます。渡米した目的を忘れないように。。。

2006年1月1日日曜日

今年は自分にとって大きな1年となりました。

まず、今年のはじめには、applyしてみたMITから合格通知。そして、来年卒業するつもりだった慶應大学を退学。6月には愛地球博。そして、8月に渡米して、まったく新しい環境での生活、まったく新しい研究を始める。
そして、再開にめぐまれた年でもありました。小学校の同級生とは1人とも連絡をとっていない状態だったのだけれど、mixiのおかげで数人と再会(実際にはあってないけれど。。)。いつか実際に会ってみたい!!そして、高校1年生のときの同級生の人たちとも再会。集まりには参加でなかったけれど、来年に期待。
さらに、いままでの知り合いともこれまで以上に仲良くなれた年でもありました。バスケを中心に、同じ高校という枠を超えて、いろいろな世代の人たちと知り合うことができました。またmixiやブログを通じて、研究関係の人たち、同じく留学している人たちとも連絡を取り合えるようになりました。
来年は本当に自分にとって勝負の年。来年の終わりには笑っていられますように。。。
28日、実家に着きました。
ちょっと空港から不便なところにあるけれど、ほどよく田舎であることが本当に嬉しい。。

沼津に帰ってきて気づいたこと。。
 セブンイレブンの看板かわってないか?
 DAPUMPって3人だっけ?
 TSUTAYAが実家の近くにできてるし。。
 やっぱ食べ物がうまい。
 SMAPが知らない曲うたってる。。
 HGおもしろい。
 長州小力最高
そして、帰国の疲れからすぐに寝れたのだけれど、目が覚めたのが夜中の2時。それからまったく寝ることができず。
そして、朝の10時に東高に行ってみたけれど誰もいなかったりしたり。でもしばらくすると懐かしい面々がつぎつぎを現れてきました。半年くらいしかアメリカにいなかったのだけれど、髪形とかが微妙に変化していてちょっとした時の流れを感じました。
試合は、楽しかったの一言。ちゃんと体を作ってくるつもりだったんだけれど、大学の体育館がクリスマスのせいで23日から27日までしまっていたので失敗。もうちょっと体力つけて自分の動きができればなーと思ったけれど、まわりのやつらがうまいからあわせることに専念。それだけでも満足。
そして念願のホルモン。やっぱ日本に帰るとほっとしますね~~~。
最後に、中山記念、じゃなくて中山杯をしきってくれたdai、そしていつもいっしょにバスケをやってくれてるOBたち、後輩たち、現役生たち、本当にありがとう。来年は同期もなんとかいっしょにバスケをやりたいな。。。